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唐船風説書

第19回 2018.10.1 配信
JTBF 広報委員会

タイとの交易は、御朱印船の時代(16世紀末から17世紀始め)、当時の王都であり国際的な港湾都市として繁栄したアユタヤとの間で盛んであった。その後鎖国によって交易は途絶えたと思われがちであるが、実際は唐船を介して継続していた。唐船は中国沿岸はもとより遠く東南アジアと長崎を結び、その船乗りの口述記録は「華夷変態」(1644~1724 林春勝と林信篤の編纂)に納められている。その中から東南アジアを出航地とした記録を拾い上げ英訳したのが「The Junk Trade from Southeast Asia」で石井米雄氏(京大名誉教授、故人)の執筆による。JTBF 広報委員会は、この本に触発され、華夷変態から特にタイを出航地とした記録を抽出して現代文に訳して紹介していきたいと考えている。出航地はシャム(アユタヤ)、リゴール(ナコン・シータマラート)、パッターニー、ソンクラーである。シャムとリゴールは山田長政ゆかりの地でもある。


元禄五年(一六九二) 五十八番カンボジア船の唐人共の口述

私共の船は、カンボジアで積荷を仕立て(注①)、唐人四十四人とカンボジア人一人合わせて四十五人が乗組んで、当六月朔日に友船も無く私共の船一艘のみでカンボジアを出船しご当地を目指しました。途中同二十二日広東の内弓鞋と申す所の海上で比類の無い大風に逢いましたが、幸い弓鞋へ船を乗り寄せることが出来そこで碇をおろし待避しておりました。ところが間もなく悪風が強く吹き出し、降ろしていた碇二筋を吹き切り船も大分損じました。荷物等も大分海へ捨てなければならない有りさまで、最早破船かと覚悟しました。なすすべも無く船が洋中に吹き出されてからは、あとに乗り戻すことも出来ず、只運にまかせるほかありませんでした。しかしその後は順風に恵まれ船も大事無く乗り渡ってきました。日本の地は何国へも船を寄せる事も無く、直に今日入津致しました。弓鞋を出船した後同月二十六日に福州海上でご当地へ向かう様子の唐船を二艘を遠くに見かけましたが、洋中のこととて何国の船か見届けることは出来ませんでした。これらの外、洋中で変わったことは少しもありませんでした。船頭陳干龍並びに乗り渡ってきた船は、五年前辰年八番の船と同じでございます。

さてカンボジアのこと、大王とそのいとこ、大王の寵臣で位を二王と称するもの、最初は両王とも恩愛深かったのですが、十年前二王が野心を抱き反逆して大王の位を奪い取ろうと乱撃を起こしました。その為大王は奥山に籠もられ敵対することが無かったので、大王の居城は二王が取り仕切って我儘のし放題でした。そのため数年来カンボジアは安寧を欠き、入民は難儀に及びました。諸方からの商人共もカンボジアへ渡船する者は稀でした。そうした折去秋、二王が病死して、王子が一人おりましたが幼少でカンボジアの地を押領することが叶わなくなりました。手下の諸臣も王子を取立てる事無く、ことごとく山中の大王に降参しました。一方大王は好機とばかり追討の人数を差し向けられたので、いよいよ二王の後継は権威を失い広南の地を頼って退散しました。これにより大王は元のカンボジア本地へ帰住され、只今は乱撃の様子は少しも無く国中が静謐になっております。これからはカンボジア仕立ての船も年々多くなるでしょう。今度も私共の船の後に二艘ご当地へ向かう筈です。一艘は厦門よりカンボジアへ向かい商品を仕立てて来る船でございます。もう一艘は広東からカンボジアに渡り商品を仕立ててご当地へ参る筈です。二艘とも私共の船に数日遅れて彼の地を出帆したと思います。ただ間違いなくご当地に到着するか確かに申し上げることは出来ません。さて大清諸省のことですが、カンボジアは遠国に位置するため詳しいことはわかりません。以上述べたことのほか、異説はございません。

 右の通り唐人共が申すに付き、書付け差上げ申しあげます、以上。
 申七月五日 唐通事共


注① カンボジャ船の口述は対象外としてきた。しかしタイの属国ではなかったものの近国であったことから、16回配信から取り上げることにしている。


元禄五年(一六九二) 六十一番カンボジア船の唐人共の口述

私共の船は、カンボジアで積荷を仕立て、彼の地において唐人四十四人が乗り組んで、当六月十二日に友船も無く私共の船一艘のみで彼の地を出帆し渡海してまいりました。私共の船に先行して陳干龍と申す者の船がご当地へ向かいました。只今お聞きしたところでは、去る五日に入津した五十八番船の由にございます。後船が今一艘、私共の船に数日遅れて彼の地を出船した筈でございます。やがて到着するものと思います。当年カンボジア仕立ての船、前後に二艘、私共の船一艘、しめて三艘で外にはございません。今度渡海の、洋中において変わったことは少しもございませんでした。何船も見かけることはありませんでした。風並も良く、日本の地何国へも船を寄せること無く、直に今日入津致しました。本船頭郭進昇、脇船頭藍異石、ならびに乗り渡ってきた船ともども、初めての渡海でございます。

次にカンボジアの様子ですが、累年大王二王の取り合いがあり、変乱収まる間もありませんでしたが、去年二王が病死した後、おのづから静謐に成り、只今の国王はすなわち大王でございます。この委細については、定めて先だって入津した陳干龍が申上げた通りで、私共が加えて申し上げることはございません。大清のことは、カンボジアと遠境でございますから、諸省の委細はわかりません。もっとも諸省共に太平の様子はカンボジアへも伝わっております。この外に申上げるような異聞はございません。

 右の通り唐人共が申すに付き、書付け差上げ申しあげます、以上。
 申七月八日 唐通事共


文責 奥村紀夫(JTBF 会員) 

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