2度目の駐在時、住まいをPloenchit Rd.の横丁Soi Luam Ludi 3の貸家に求めたが、同じ敷地に住む大家さんのUlitさん夫妻がいい方たちだった。ご主人は西松建設とのJV、Thai-Japan Construction の役員をしておられたが、柔和、上品、親切な方で、おそらく名家の出で、その関係で日タイJVに関与されていたものと思う。奥様も優しく、店子の私たち一家をよくサポートして下さった。次男が生まれたとき、私にPermanent Visaがないため住民登録が出来なかったが、Ulitさんの養子として戸籍に入れてもらって彼はタイ人になった。帰任時Ampoe Patumwanに行き戸籍を抜き日本大使館からパスポートを貰って日本人として帰国したのだが。ちなみに区役所からは、なぜタイ国籍をやめさせるのか、タイ人のままにしておけばいいではないかと食い下がられ、その愛国心?に感心したものである。帰国後何年も経ってUlit夫人から手紙が来た。私たちが庭に植えたマンゴーの木が成長し実をつけたと、マンゴーと奥さんが写っている写真も添えて。早速この話を日本人会へ報告したが、会報Krungthepに掲載されたと後輩から聞いた。
ちなみに上述の次男をタイ国籍に入れるため必要だったタイ名をPrassert と名づけてくれたのもThaworn氏であり、2度目の駐在の後一家で遊びに訪タイしたときも、Sukumvit Rd. Soi Thonglorのお宅や市内大中華料理店にてその家族一同を交えての盛大なお招きにあづかった。01年に亡くなったがその葬儀に私たち夫婦が個人的にだが参列したのは当然である。長く続いたお通夜の3夜を王室が主持され、東京から出張してこられた塙日産会長ともども列席した。
私が仕事でお世話になった人々にも忘れえぬ方々がいる。Siam社の製造部門副社長だったKavee Vasuvatさんもその一人で、タイで日系として始めて出来た組立工場を日産エンジニアの指導のもとに建設・運営、拡張に次ぐ拡張を行い、多くの部品製造会社を日本各社と合弁で設立した。性格のいい、仕事真面目な、信頼できる人物で、後日成立したThai Automobile Industry Association の会長でもあったから、多くの日系自動車各社のトップの方々はご親交があるはずだ。今タイは自動車生産輸出国として名声を馳せているが、前記Thaworn氏、その片腕だったKavee氏らがタイ自動車工業のプロモーターであったと称して言い過ぎではなかろう。
もう一人。旧プリンス自動車工業が遺したPrince Motor Thailand の2代目社長を背負わされた67年当時の工場長Boonchu氏も忘れがたい。中国系の混じっていない、いかにもタイ人、そしてMue Thai ボクサーのような面構えの男だったが、起こりかかった労働争議を必死で解決してくれたし、また、交通事故で右腕を折ってしまったのに片手運転で毎日出勤し工場管理を果たしてくれた、あのときの感謝を忘れることができない。何かにつけMai pen rai だと、仕事に甘く、あいまい、ルーズなところがあるように一般に見られがちなタイ人だが、決してそうではないことを強調しておきたい。トラブルがあったとき、私に、大丈夫だ心配するな、という意味をBoonchu氏はMai pen rai ! と表現してくれたのだった。