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バンコックの今昔

写真で見るバンコック50年の変遷

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寄稿: 日タイビジネスフォーラム 副会長
吉川 和夫


左側の写真は主として1960年に撮影。右側の写真は50年後の写真であり、左右対比出来るようにした。

1960年は私がバンコックで活動始めた年ですが、同時にJTBF と関係の深い投資委員会、観光庁、タイ航空が発足した年でもあり、タイ国が近代化に向けて take off しようとした年でした。

昨年2011の JTBF ミッションに参加して、特に予定が無かった日曜日にバンコック市内の変貌ぶりをゆっくり見て歩いていた時、50年前の写真と対比することを思いついたので、改めて写真を撮り対比した。ただ50年前の写真を持参していなかったので、同地点撮影をするのが難しかった。2012年のミッションにも参加したが、今度は50年前の写真撮影場所を特定出来ていたので、改めて現在の写真を撮りなおした。従って以下は昨年作成した対比写真の改訂版である。

最新最高を誇った Erawan Hotel。
バスとタクシーが走っている。女子学生の服装は今と変わらない。

Grand Hyatt Erawan Hotel と名前に名残をとどめる。
左写真の撮影場所からは BTS の構造物しか見えない。

現在の Inter-Continental Hotel の前より Ploenchit 路の東方を望む。写真左側に、かの有名な Sani Chateau があった。兵どもの夢の跡!

渋滞の酷い場所である。運良く、車が途切れた時に撮った。道路の反対側にバンコック日本人商工会議所がある。

両側の土を掘って盛り上げて造った道路である故、道路の両側にクローンが出来た。道路に木を植え日差し除けにした。その後クローンを埋め立て道路を拡巾した。多くの道路に痕跡がある。

Wireless Road は昔の路端の木が残っている。50年前英国大使館前のクローンで早朝投網して魚を捕っていた人がいた。上図の通りクローンが車道に変わっている。

英国大使館の横と記憶する。

最近漸くクローンが整備された。

Chulalongkorn University の本部。Siam Square は未だ開発されず、広大な空地が広がっていた。

キャンパスは木が生い茂り、高層ビルに取り囲まれてきた。

ルンピニー公園正門のラマ6世像は近辺に高い建物が無かったため、目立つ存在だった。

今や公園の周囲は高層ビルが立ち並んだ。像の後ろの白屋根の建物は臨時の催しもの会場。

ルンピニー公園の一角。公園の利用者は外国人が多かった。。

木が大きくなり、高層ビルが眺望される。見える石のベンチは左図の50年前の物か? 似ている。

中華街 Yawaraj Road の入り口。奥に進むに従い、賑やかで大型店が並んだ。

左図に比べれば、多くのクルマと若干の緑が増えて来たことか?

Yawaraj Road と New Road の交わる所に大きな中華料理店があった。一階は銀行。

同料理店ビルは残っている。ビルの右が New Road、左側が Yawaraj Road。

市内電車(9系統)が走っていた。小さい車両だが、一等と二等に分割され、一等にはマットレスが敷いてあった。バスが主流となり、1960年台半ばに撤去された。

Yawaraj Road の極一部に2階建の家が残っている。上の写真のように車が途切れる瞬間は稀である。 旧正月を控え街の飾り付けが進む。

最大の繁華街Yawaraj Road の表通り。行き交う人の服装は中国式が多かった。金行、家電と時計店が多かった。

地盤沈下と言われるが、まだまだ実力を温存する街である。二階建のショップハウスが5・6階の建物に変わった。家電、時計の店が消え、銀行とファーストフードの店が増えた。

中央郵便局前の New Road。庶民の足である人力三輪車はクルマの邪魔になるとの理由で1960年台の初めに市内より追い出された。

New Road は拡幅出来ず、駐車スペースも少なかった上、交通渋滞と相俟って地盤沈下をきたした。1960~1070年代に、日本の商社・銀行の支店の多くが New Road に事務所を構えた。クルマの少ない日曜日の朝の写真。

Krung Kasem 運河を跨ぐLang luang Road、市電が懐かしい。

市電は撤去され、代わりに水道管が設置された。水の汚染が目についた。

Krung Kasem 運河を利用して舟で農産物が近くの市場に運びこまれた。

同運河の側道に多くの果実が並べてあったが運河を利用せず、クルマ利用となったのであろう。右側は運河。

HuaLampong 中央駅の近くを通るクローンは大きく、物流面でも大きな役割を果たした。

中央駅を過ぎてメナム川に達する地区のクローンは、1990年代に異臭を放ち、最悪の状況だったが、漸く改善が進み水がきれいになって来た。

市内からドンムアン空港方面に向かう Phahon Yothin Road。何処の駐在員も駐在期間中、多い来客の送迎でこの道を100回以上通ったと言われた。

Phahon Yothin Road は、最も様変わりした道路ではないだろうか。BTSの終点 Morchit にて。

-バンコック以外-

ピサヌローク市を流れるナーン河に多数の浮家があり、名所扱いされていた。

10年前は十数軒見かけたが、今は一軒もない。

アユタヤに於ける日本人街跡であり、近くに赤い鳥居が建っていた。

日本政府援助で記念碑と共に、歴史博物館と別館(山田長政像を保管)が建った。