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☆☆私がおすすめするタイの旅-ルーイ特集☆☆

昨年2010年、タイ国政府観光庁(TAT)は50周年を迎えました。その機会にJTBFでは、TAT東京事務所の要請に応えてアンケートを実施し、JTBF会員から"私がおすすめするタイの旅"を募りました。

会員からの紹介をもとに、JTBF観光委員会では、ツアールート4案を策定し、2010年9月1日TAT東京事務所に提案しました。またTAT東京は、会員の紹介したスポットの中から、ベスト5を選びました。詳しくは、私がおすすめするタイの旅-アンケート結果をご参照ください。

JTBFでは今年(2011年)2月の訪タイミッションに際して、上記提案のツアールート4案のうち、「ロッブリ、ペチャブン、ルーイの旅」を実際に試して見ることにし、吉川和夫、森田仁美、石井利一夫妻、奥村紀夫、吉田研一、水谷和正の七名が参加しました。ただし日程の関係でルーイに焦点を絞りました。また実施にあたってはTAT東京事務所より多大なサポートを得ました。

この観光視察の第一報としては JTBF 訪タイ・ミッション2011 (2/7-2/11) 観光視察報告をご参照下さい。視察報告は
「結論としてルーイ県は、タイ東北部の自然と生活に関心も持つ日本人観光客であったら、是非おすすめしたいところである。ただし、我々は一泊2日だったが、少なくとも二泊三日は欲しいところである。」
と結んでいます。

このルーイ特集ページでは、更に次のような内容を追加して、タイ当東北部観光ルート開発の一助に資したいと考えます。


ルートマップと旅程



第一日 (2011年2月10日)
(By Airplane) Bangkok → Phitsanulok
(By chartered bus) Phitsanulok → Wat Yai → Wat Phrathat Si Song Rak → Rungyen Resort → Winery → Phu Rua National Park → Chiang Khan (Kaeng Khut Khu) → Loei Palace Hotel
第二日 (2011年2月11日)
(By chartered bus) Loei City → Pha Ngam Rock Garden → Jae Kim” bistro → Phu Pha Man National Park → Khon Kaen City
(By Airplane) Khon Kaen → Bangkok by Airplane


ルーイ(Loei)へ旅の誘い

吉川和夫 記

ルーイ県とはどこにあるか? ご存じない方が割と多い。
タイの鉄道で北のチェンマイ行きと東北のノンカイ行きの丁度真ん中に挟まれ、且つラオス国境に接した所であり、特に目的を持って訪ねない限り行く機会がない場所だったからである。残された秘境と言う人がいるが、そう言ってもおかしくない魅力がある。
我々JTBFが推奨した四つのルート(詳細は後述)の内の一つであり、JTBF探査チームが同県を2月10日と11日に訪問し、見聞した事項をご参考に供したい。


訪問経路

タイ国TATや旅行業者が参考として提起する案は二泊三日の行程を標準としているが、バンコックから車を利用する前提である。外国からの旅行者は時間の制約も多いから、至近場所まで空路利用がお勧めである。
ルーイ市に直行ならウドンタニ空港より車利用の方法があるが、観光を主眼にした場合はコンケーン空港又はピサヌローク空港からである。 同県の地図を眺めると、同県西部をピサヌローク県境に沿って走り、ダンサイから右折して中央部を横断する203号路、中央やや右を南北に縦断する201号路が同県の幹線道路であることが判る。

1) 203号沿いには

  • 有名なピーターコン祭りのあるダンサイ
  • 釈迦の聖骨を収納し、タイ国とラオスの王朝が友好の象徴として建立したプラタートシーソンラック寺
  • 美しい自然に囲まれたプーパーナムリゾート(Phu Pha Nam Resort)やランジェンリゾート(Rungyen Resort)等の設備
  • 好適な気候に恵まれ、203号路沿いに展開するワイン製造、各種の野菜・生花の栽培
  • プールア国立公園
  • Huai Nam Man Dam

2) 201号路沿いは北から

  • Chiang Khan 市とケーンクックウ
  • Siringthon Art Center
  • Suan Hin Pha Ngam Park
  • Phu Kradung National Park
  • Phu Pha Man National Park と続く

203号路沿いは後年手を加えた観光資源が多い。201号路沿いは滝、洞窟、山等残された自然が多い。時間的余裕があれば、順番にルーイの名所を訪問できるが、JTBFチームは時間的制限があり、残念ながら見残した箇所が多々ある。我々はルーイ県の西部から観光を始める行程にした故、ピサヌローク迄航空機を利用した。チームが辿った訪問先を順次説明をする。


Phra Siri Ratana Mahathat 寺院 (ピサヌローク市内にあり、通称 ワットヤイ)

タイ国で最も美しい仏像と称されるチンナラート像が安置されているので立ち寄り拝観する。燦然と輝き、気品ある仏像を拝礼する人の波が絶えない。同寺はスコータイ王朝からアユタヤ王朝に移行していた時期の1357年に建立されている。


Phratat Si Song Rak 寺院

1560年にタイのアユタヤ王朝とラオスのランチャン王朝の友好の象徴として、両国が協力して建立した。従い寺院デザインにはラオス様式が採用されている。寺の名前も両国の愛の仏舎利塔の意味をあらわす。同寺のパゴダには仏舎利が収納されており、格式の高い寺である。ルーイ県の紋章に同寺の仏舎利塔が使用されている。当時両国が締結した協定のなかには国境の相互不可侵と共同してビルマの侵攻を防御することが規定されたと言われる。
近くに Wat Neramit Wipatsana 寺院があるが、建物と内部はバンコク式で、前者より整って美観を呈するが、安置された本尊は既述のピサヌロークのワットヤイのチンナラート像のレプリカである。
両寺院があるダンサイ地区はタイ国で一番の奇祭と称されるピータコン祭りが5月から7月の満月の夜を中心に3日間開催される。仮面行列に多くの人が参加する。

Rungyen Resort

203号路の手前に Phu Pha Nam Resort があったが、時間の都合で Rungyen Resort にて昼食を取ることにした。同リゾートの近くにある Chateau de Loei ブランドのワイン醸造所と同じ経営者が運営する。ワインを飲みながらのんびりしたランチをとった。
食後ブドウ園とワイナリーを見物する。15年前に脚光を浴びてデビューした頃の勢いが無くなっている。ワイン造りに入れ込んでいた創業者が亡くなったためもあるだろう。
ルーイ市に至る203号路の両側は各種草花の栽培が盛んで、10年前と比べても状況が一変している。


Phu Rua National Park

標高1365メートルの山の周辺が公園に指定されている。山頂近くまで車で登れるので楽である。山頂よりは遠く北方ラオス方面、東方ルーイ市方面にかけ森林が広がるのが見渡される。北側に山が無いから、冬になると冷気が吹き込み、タイ国で最も寒い地区となる。山頂にタイ国で最低温度を記録した場所と表示があるが何度であったか記載が無い。今年チェンマイのインタノン山頂で霜を観測したと報道されていたが、約50年ぶりである。Phu Rua 山頂も似たような気温であったろう。近くに滝や洞窟があるが、翌日に同県一のものが見られるので、山頂よりの眺めを満喫して下山する。標高1365メートルだが同地区の平地が既に標高700メートル程度故、高い山の感覚は無い。


Huai Nam Man Dam

2600万立方メートルの水を蓄え、250ヘクタールの面積を占める貯水池である。山に囲まれた景観と相俟って、竹筏レストランが人気を呼んでいる。我々は先を急ぐため、このダムには立ち寄れなかった。


Chiang Khan と Kaeng Khut Khu

201号路を北上してメコン河にたどり着いた所が Chiang Khan である。朽ちかかった家の軒並みがタイ国の宿場町はこんな所であったかと想像させる。街を通り抜けて東に進むと最大の注目地点 Kaeng Khut Khu に到着する。直訳すれば‘折れ曲がる急流’である。
タイ国東部でラオス国境を流れる、あの川幅の広い雄大な河が、ここではV字型に流れを変える。訪問時は乾季の終わり近くで最も水位が低く、水量も少ないので大人しく流れているが、雨期の終わりころは激流渦巻く一大景観を呈するであろう。流れが激突する場所には大量の砂が堆積している。
夕日が沈むメコンが観光のセールスポイントとなるが、これほど少ない水だと夕日が川面に映えないかもしれない。我々は当初の予定が狂い、現場に到着した時、日が沈んだ直後であり、メコンに沈む夕日は見ることが出来なかった。当日の日没時間は 18:23 であることを確認していたが、実際は 18:00 には沈んだ。日没時間はバンコックの時間であり、ルーイ県の時間でなかった。バンコックは北緯13度程で、ルーイは18度近いので、その程度の差が生ずるのであろう。誤算であった。
然し日は没したが、夕映えを背後に、幻想的な Kaeng Khut Khu は得難き眺望であった。大メコンがここでは又この時期には予想できない顔を表すことに感激した。メコンは百面相である。
尚 TAT がルーイ市を起点に一日旅行のサンプルを提示しているが、やはり中心はこの Kaeng Khut Khu であり、その前後に Loei Cultural Center, Wat Si Khun Muang 寺院、Wat Lat Pu 寺院、家具工場見学を入れている。



ルーイ市

12年ぶりに同市を訪ねたが、大きく変貌しているのに驚く。それまで取り残されていたため、一旦開発が進むと街自体が大きく化けるのであろう。宿泊は5年前に出来た市内で最新、最高の Loei Palace Hotel であった。国内各地からの団体旅行が同宿していた。
ルーイ市より Chiang Khan に向かう201号路は、途中まで驚く程広くなっている。10年前は交通量も少なく、片側一車線であったが,今は所により三車線となっている。メコン河を渡らずに、ラオスに入国する経路が急速に整備されているからである。201号路を途中左折して40km程の Tha Li に行き、Hueang 川に架かるタイ―ラオス友好橋を渡るとラオス領である。川は小さいと見え、地図に載っていない。メコン河の西側のラオス領を約360km走ると、世界遺産の旧都 Luang Phrabang に到着する。Tha Li の District Office が現在は Immigration 関係事務を担当している。この経路が整備されるとルーイは地理的に重要な位置を占めることになる。タイ国の奥座敷でなくなるだろう。


Sirindhorn Art Center

ルーイ市より201号路を南下し、ウドンタニ市に向かう210号路の交差点の一角にある。1993年に Si Songkhram 専門学校の敷地内に建設された。バンコックより講師の巡回があり、小中高生徒が絵画、彫刻、舞踊等を学ぶ。日本の展覧会に出品し、入賞した小学生の作品が展示されていた。


Suan Hin Pha Ngam Park

雲南省昆明の石林を引き合いに、タイ国の昆明と PR している。201号路をルーイ市より43km南下し、右折して19km入る。石灰岩が風化し、種々の形をした石山が出来ている。TAT資料には元々海であった所が地殻変動を起こし、2億3千年以上経って現在の状況になったと説明がある。
Visitor Service Cente r の前から耕運機の牽引する作物運搬車に乗り替え、のんびりと見物する。見物車より降り、岩の間をめぐる短いトレッキングパスをたどると、パボン展望台に着く。上ると近辺の山肌が迫り、美観である。昆明と比較するのは当を得ていないだろう。昆明の方が石の密集度が高い。

同地の呼び名が資料によって変わり、目に触れただけでも Suan Hin Pha Ngam Park, Pa Hin Ngam National Park, Pha Ngam Rock Garden, Hin Pha Ngam Garden と4種ある。タイ語が判らない外国人は同じ場所と類推し難く、英語の呼称を統一すべきであろう。逆にいえば、それだけ観光資源が整備されていない観光処女地である証でもあろう。1994年に国立公園に指定されたと言うが、記載されていない観光地図もある。


Phu Kradung National Park

201号路をルーイより73km地点で右折し、進み2019号路を8km進むと Phu Kradung Office がある。標高1325mの山頂は広い台地でベルを伏せたような形をなしている。松林や数々の野生の花、滝があり、タイ国内のトレッキングコースとしてベストの人気を誇る。
頂上まで6kmで少なくとも3時間を要する。7か所の休憩所がある。事務所にはポーターも待機しており、kgあたり20バーツの費用で荷物の運搬をするとの事である。
観光資料に大きい岩板が空につきだし、その上で観光客が景色を眺めている写真があるが、同地のものである。時間にとらわれずのんびり登ってみたいものである。
タイの人達は夜間にゆっくり登り、翌朝の日の出を眺めるのが通例である。先述の Phu Rua でも日の出を見るために早朝山頂に登るが、日本と同じく日の出に特別の感慨を持っているようだ。我々はコンケーン市に到着すべき時間の関係で当地の見物は断念した。


Phu Pha Man National Park

ルーイ県とコンケーン県にまたがって、350平方キロに広がる国立公園である。大半は常緑樹に覆われた丘である。石灰岩の丘や渓谷が標高200mから800mの間に連なり、多くの滝や洞窟がある。確認され調査が進んだものに、それぞれ4つの大きな洞窟と滝がある。
蝙蝠の洞窟(Tham Klang Khao)は夕刻洞窟を飛び出す蝙蝠の列が10キロに及び、全部が飛び出し終わるまで40分程かかるといわれる。洞窟の入口が地上100メートルの所にあり、簡単には入れないが、入っても大量の排せつ物の悪臭で耐えられないとの事である。
201号路より5km入った公園管理事務所で手配して貰った案内人と最も推奨できると判断される Phraya Nakarat Cave に向かった。10人乗りのマイクロバスで洞窟の入り口近く迄行けるが、道路は未整備である。車を降りて山道を10分程登ると洞窟の入り口に着く。
案内人が各自に懐中電灯を渡してくれる。入口は高さ1m程度、幅3m、木の枝を組んだ梯子を3m程降りるとやや平地に出る。更に30m程進むと高さ10m以上のホール状の場所に出る。石灰岩より流れ出た石灰が大きな緞帳の様な仕切りを作り上げている。足元が狂うと雨水がたまった池にポチャンする。異様な雰囲気が漂う。湿度が高い。我々70歳余の壮年?は余力少なく、段差の大きいところで引き返した。精々50メートル程で引き返したが、この洞窟は1km続くようだ。若い人が挑戦すると種々の収穫があるだろう。
この洞窟を訪ねた日本人は過去1組あるだけで、我々は2組目と案内人は言う。この洞窟が発見されたのは10年前である。秘境と言ってよいのだろう。Discover Loei である。


我々は蝙蝠の大群が現れる時刻まで滞在することが出来なかったが、公園管理事務所にその様子を撮影した写真が展示されていた。確かに壮観である。



Khon Kaen 市

Waiting の状態が続いた航空機予約が漸く確定したので、逃してならじと市街に行かず早めに空港に向かい、無事バンコックに帰りついた。



以上観光ルートを大雑把に見たが、食事はどうか?簡単に触れたい。
ルーイ県も広くはイサーンである。イサーンの北西部の端にあり、どこかの帰りに立ち寄る場所ではなかった。他県との交流が少なく、食事もその傾向があるかと想像されたので、昼の Rungyen Resort と夜の Loei Palace Hotel にても、知っている料理を注文せず、ルーイの通常の料理で、これはと思うものを見つくろって提供してくれと注文した。両所とも似たような料理が出たが、何ら抵抗感はなかった。

出た料理は

  1. ラープ・ム― (バンコックでも馴染みのもの)
  2. コー・ムー・ヤーン (バンコックでも多い 豚の首肉の照り焼き)
  3. スア・ローンハイ (直訳すれば‘虎が泣く’である。肉が固くて虎が泣いたが原意) 
  4. サイ・オオン・ヤーン (モツの炒め焼き)
  5. トム・サップ・ムー 等々である。

11日昼は紹介されていた、Pha Nok Kau の町にある有名イサーン料理店 ‘Jae Kim’ にて、店頭に並んだ料理から適宜選択し、食べ慣れたガイヤーン、ソムタムとカオニィヨウの三点セットも注文し、舌鼓を打った。同店はルーイより85kmの地で、コンケーン県との県境に近い。

今回の旅行を振り返ってみると種々の感慨があるが、一言でいえば Amazing Loei であった。


(ルーイ県にJTBF探査チームが旅行した背景)

日タイビジネスフォーラム(Japan Thailand Business Forum=JTBF)は10年前、タイ国政府、特に大使館の要請で設立した団体である。気楽に相談しあえる関係を作る事が目的であり、そのために、会員はタイ国に駐在経験あり、タイと日本の事情に通じ、相談事項に意見を述べられる人を集める事だった。結果として、殆どの業界を網羅して、平均4年程度駐在した人々が集まり、現在は70名余の会員が所属している。

今まで、タイ側とは種々の問題を討議してきた。観光を如何に発展させるか?ロングステーは如何に推進するか?等の論議もした。毎年2月に JTBF ミッションをタイ国に派遣しているが、その都度、TAT のご支援を受け、観光開発に参考となる一泊の小旅行を実施してきた。
今年は例年と違った事情があった。昨年の TAT 創立50周年を記念して、TAT 東京がタイ国へ旅行した人に “My Best” の想い出の場所は何処であるかアンケートを求めた。JTBF も TAT 東京に呼応して、会員が長年タイ国に駐在した人でありタイ国に思い入れの強い人達であるので、同様にアンケートを求めた。

結果として27案が集まった。長期滞在経験者が応募したため、ひと味違っていた。
チェンマイの北 ドイアンカーンの桃源郷、メコン河の途中チェンカーンのケーンクックウ、等々であり、中には果物の王様ドリアンの花を見たことと回答した人もいた。27案はそのままTATに提出した。
一方我々は折角の機会であるので、27案を整理統合して JTBF 推奨ツアールートを策定致し、下記の4案に纏めて TAT に提出した。この間の経緯は、このページの冒頭で述べた通りである。


タイ東北部(イサ-ン)ルーイ県の旅、雑感

水谷和正 記

日本人のタイ旅行は?

近年、年間、タイへの外国人は1300万を優に超え、日本人も100万人を超えて、タイは東南アジアで最も日本とのつながりが強い国である。リピーターの数も多いが主な行き先は極めて限られた、バンコック及びその周辺、一部チェンマイ、プ-ケット等のビーチリゾートであろう。
今回、我々が旅したイサーンへ行く日本人は極めて少ない。タイに長期滞在のビジネスマンでも仕事でない限り、自ら観光地として足を伸ばす人は極めて少ないだろう。今回の一泊二日の旅でも日本人、日本人らしき人には会っていない。往復の満席の飛行機の中でも欧州人はかなり目立ったが日本人らしき人は見られなかった。


タイの東北部(イサーン)てどんなとこ?

タイ東北部の呼称イサーンは面積人口共にタイの3分の1を占める広大な土地であり,19の県に分かれている。今回旅したルーイ県(一部コンケーン県)はその一部でありイサーンの西北部に位置する。
イサーンはタイ国の中ではやや特殊な地域といえるであろう。北と東をメコンに限られ、南と西は緩やかな山脈で囲まれている。海抜100-200メートルの高原地帯が大部分で今回旅したルーイあたりの北西部にやや高い山があり、それでも1300メートルぐらいの山々である。イサーン地方はタイ国内でも雨量の少ない地方で乾期には水不足が起きるのは今も昔もあまりかわらない。家々の庭には大きな水がめがいくつも置かれているいるのも昔と変わらない風景である。
一昔前までは、イサーンといえば、極貧地域の代名詞で、多くの人が出稼ぎにバンコックに出、都会の底辺部分の仕事を支えていた。たとえば、バンコック市内にひしめくタクシー運転手、飲食店に働く女性の多くはイサーンが最大の供給地である。昔はイサーンの人たちは何かタイにおいて差別を感じてきたのではないか。でも今は、事情は確実に変わっている。大きな労働力の供給地域であることは今も変わりないが、いまやイサーン出身で活躍する政治家も多く、大臣も輩出している、民間企業でも成功組が出ていることからイサーンの人々にも自信が出ている。近年、タイ政府も、王室と共にたくさんのイサーン開発プロジェクトを推進しており、水不足対策のダム、灌漑用水路、道路の建設、大学の設置等教育の充実、国立公園、美術館、各種文化施設等、昔の極貧地域イサーンイメージは完全に払拭されつつあるのではないか。観光面でも昔はイサーンといえば、見るような所はない、広い地域を移動する道はない、貧民地区に魅力はない、等言われ、国内でも観光スポットとして対象とされず、まして外国人の行けるところではなかった。がいまや違う。タイ観光庁もここの所イサーンイヤーとしてイサーン地域の観光振興に力を入れている。今回旅したルーイ県でも、いくつか訪れた国立公園の整備のすばらしさ、二日間の旅で車で500キロ以上を移動したが、完璧に整備された道路の快適さ、ルーイは山合いの県だが山々の麓に見事に植樹されている数万本の、高級家具財のチークの木(家具材となるのは30年以上、孫、ひ孫の時代)、多くの近代的ホテル、レストラン、走る道路の両側に広がる草花の栽培、野菜の栽培、畑に見える灌漑用水路、整然と植えられた綿花、タロー芋、砂糖きび、マンゴ、マカデミアナッツ、ぶどう、みかん等の果物の木々、車窓から見える近代的家々、イサーンの景色は確実に変わっているのだろう。
今回の旅に同行した仲間のK氏は大手商社の社員として若い頃からこの地域を見てきた方だが、移動する車の中でイサーンはだいぶ変わった、と、しきりにつぶやきながら、氏の青春のイサーンノスタルジアにふけっていたのが印象的であった。
イサーンは「黄色の大地から緑の大地に」変わっていると言われるのは本当である。
イサーンへの観光を語るにあたり、イサーンの人々の気質につき少し触れねばならない。一般的におおらかで、やさしいのがタイ人気質だがイサーンの人達に特にそれが際立つといわれる。さりげない思いやりは水の心(ナムチャイ)の昔ながらの美風である。最近の日本の生活は何かについて堅苦しい。ここではすべてがゆったり、ゆるやか、一見ルーズに見え、なんでも予定通りにいかないと不機嫌な日本人には歯がゆいが、この中にいると、長い人生、おっとり、ゆっくりのこのような魅力ある地域が地球に存在するのもほっとするのではないだろうか。


今回のイサーン(ルーイ)の旅、心に残る良い旅だった・・・

人は一生の中で色々な旅に出る。その時々驚きの出会いがあり感動を覚えるが時間の経過と共に記憶は削られ、ちょうど岩が風雨に削られるように小石の思い出になる。人はこの小石の思い出を暖めながら生きていく。今回の短い旅でも恐らく永く心にのこるであろういくつかの場面がある。


その1メコンを抜きにしてイサーンの旅はない

メコンは東南アジア最大の川で、その長さ約4800KM,、イサーンの北と東のラオスとの国境約800KM流れている。今回の旅の楽しみの一つはルーイ市から50KM北を流れるメコンを訪れメコンに映える夕日を見ることであった。結果的には残念ながら予定外のこともおきて、夕日の時間にメコンに立つことはできなかった。が、メコンがその場所、その時間に見せる様々顔をあらためて見ることができた。
我々はスコタイのピサヌロークから約250KM,山々を越えて山間の町ルーイ市に入ったのは午後4時頃、予定外のこともおきて町を出たのが5時近く、50KM北のメコンの町チャンカーンへ、車は能力最大の時速120kmで前行く車を追い越し追い越し整備された直線道路をまっしぐらに北へ走る。町を出る頃にはまだ進行方向、左側の低い山々の上に高くあった太陽が刻々とおちていくのと競争するように北へ向けて進む。しかし、沈み行く真っ赤な太陽はメコンに着く少し手前、6時を超える頃にはついに山に落ちる。後には赤く大空に広がる残照のみが空を染める。
メコンの川岸の町チャンカーンはひなびた木造の家々、昔日本のどこかで見た懐かしさのある町である。家並みの間からメコンの流れを見つつ、町外れの川岸の公園に出る。太陽はすでに沈んでいるが未だあたりは薄暗く、遠く広い砂州の向こうに見えるメコンの流れもその向こう岸のラオスの灯り、比較的大きな山もかすんで見える。岸の公園には屋台の店も多く出ていて、ここが日中は川遊びの人々、夕方は夕日を見に来る人が集まる憩いの場所であることが分かる。後で知ったが、ここはクット・クーの早瀬としてつとに有名な観光スポットである。目の前にはラオスの岸から流れと直角に水をせき止めるかのような岩場が突き出ていて水路が狭められ、川は自動車レースのヘアピンのように急カーブになり北へ方向を変えて渦巻きつつ流れてゆく。その手前は、広々とした川州があり日中は多くの川遊びの人がいるのだろう。遠く、川原にもたくさんのよしずばりの店が見える。我々一行は高い護岸の道路から小一時間、暮れ行くメコン慕情にただ黙って浸っていた。
後で聞いた興味深い話だが、我々はメコンの流れはタイとラオスの国境線であると思っていたがここにきて見て、それが違うことをはじめて知った。チェンカーンの町から数キロ西でメコンがタイに接するが、そこから数百キロ先のチェンコーンまでラオス領内を流れているのはなぜだろう。それは19世紀末に英仏がインドシナ半島に進出し、ラオスを植民地化したフランスがタイを脅しこの部分をフランス領インドシナ連邦に強奪したのだ。それが今に残っている。
機会を作ってもう一度ここに来よう。そして、チェンカーンの小さな宿屋に泊まり一日ゆっくりメコンの流れを見つつ過ごし、夕方からサームローを雇って、この先さらにもう少し川を北に下ればメコンに映える夕日が見られるところがあるに間違いない。メコンに映える夕日をタイ側で見るのは難しいのは分かっているが見られるのはこのあたりに違いない。




その2 イサーン(ルーイ)は国立公園の宝庫

今回の旅ルーイ県はイサーンの北西部、特にタイにしては高い山々の連なる山間の小さな町である。北にはメコンが流れ、山々には国立公園が数多くある。
1300mを越える山もあり、山頂の展望台、永年の風雨の侵食により作られた奇岩の数々、滝、洞窟、、バードウォッチング,山岳トレッキング、等観光スポットは多い。今回の旅でとくに思い出に残るスポットから。次の二つ。

ひとつ、パーナム奇岩公園 (Suan Hin Pha Ngam Park ルーイ県)
ルーイ市から南へ約60km、コーンケン市へ行く途中に訪れた公園で、その管理センターから農作業用のトラックに乗り換え、いたるところに広がる人間の顔、いろいろ動物の名前のついた奇岩の数々を左右に見ながらのどかな農道を30-40分行くとかなり大きな岩山の登り口に到着。みやげ物店を過ぎて大きな岩の間を主に木と竹で作られた急傾斜の階段をよじ登ること約30分金網交じりの展望台に到着。周囲手前にはかなり大きな永年風雨の浸食で鋭く削られた岩山、その向こうに広がる大平原の展望は圧巻。一緒になった中学生の男女学生たちが校外授業らしく引率の先生の号令で整然と整列して行進していく姿も印象的であった。


動画に収めた課外授業の様子を紹介する。単なる遠足ではなく軍事教練のようなものも兼ねているようだ。4カ国との陸続きの国境を持つタイの教育の現実を垣間見る思いがします。

ふたつ、プーパーマーン(Phu Pha Man 国立公園)(コーンケン県)
今回の旅で最後に立ち寄った国立公園。滝、洞窟、展望台、トレッキングコース等見所はたくさんあるようだ。時間の関係で1点、洞窟探検を選ぶ。管理センターよりガイド同行の下、約40分山に入り、さらに約30分岩山の道をトレッキング。イサーン料理腹いっぱいの昼食の後の山登りはかなりきつい。息を切らし登りきったところで洞窟の入り口に到着。洞窟の入り口は高さ1m幅3mくらい。一瞬は入るのをやめようと思ったが、ガイドより懐中電灯を渡され勇気をだして身体を小さくして入り口に向かう。中は真っ暗、懐中電灯の光だけが頼り。入り口から木と竹で作られた梯子が下へ。しがみつきながら恐る恐る一段一段慎重に下へと降りる。足が地面についたと思われるところで電灯の光を一周させると数千年、あるいは数万年の自然の営みが作ったのか周囲100mぐらいはあるであろう石灰岩のごつごつした壁、が現れる。空気はひんやり、しかしなぜか汗がむやみに出る。中央に大きなカーテンのような岩が聳え立つ。足元を照らせば、これまた鋭くとがった岩また岩。前を歩くガイドの案内で下へ下へと降りる。ところどころに雨水がたまり、極めて歩きにくい。200mも歩いただろうか前方にうつむき加減の女性の形をした大きな岩が現れる。おいでおいでと呼ばれるようで、このあたりで引き返すことにする。穴はこの先地球の中心にどのくらい深いのだろう。奥の天井に光を当てると何か無数の生き物がへばりついているのを発見。ガイドによるとこれらはこうもりとのこと。毎日、夕方5時ごろいっせいに洞窟からら飛び出し、数千羽、数万羽が夕焼けの真っ赤な空を整然と隊列を作って飛ぶ姿は言葉にならない美しさとの事。公園の見所のひとつ。我々は残念ながら時間がなく見られなったが、昨日ルーイからメコンに行く途中、走る車の中から遠く山々に沈んでいく夕日の空に整然と飛ぶ鳥の隊列を見たのを思い出した。



その3 旅の最大の楽しみ イサーン料理とルーイワイン

いつの旅でも食事は最大の楽しみの一つである。今回の旅、期待のひとつは本場のイサーン料理とブドウ栽培に適した山岳ルーイの気候が生んだ、ルーイワイン。ピサヌロークから約170km、ルーイ県のプールア国立公園の域内にあルンイエンリゾート(Rungyen Resort)の中にあるレストランのテラスで昼食。我々のイメージした、期待した素朴なイサーン料理ではなかったがリゾート経営と同じタイ財閥開発の地元白ワインを飲みながらの食事は極楽気分。テラスの前は広く広がる丘陵、小川、畑、その向こうに1000mぐらいの山々がまさに紅葉真っ只中。日本の紅葉の色とは又違う赤、黄色、贅沢気分満喫。昼食後、近くにあるワイン醸造所へ、地下の貯蔵庫で寝かされている赤、白、ローゼ、ブランデーなどを見学、帰りがけに宿泊ホテル、ルーイパレスホテルのデナーのために昼食の際飲んだものと同じ白ワイン3本を購入。ホテルでの今回の旅2回目の食事を大いに期待。結果は残念ながら期待したほどのものではなかった。昼に購入したワインも昼のものとは何故か大分違っていた。
食事については今回の旅で3回のチャンスがあった。皮肉な事に我々のイサーン料理への思いと期待を100パーセント満足させてくれたのは初日のリゾートの支配人が教えてくれたルーイからコーンケンへ行く途中の幹線道路の道端にあった屋台を道端に面して出した店での三回目の食事、昼食であった。髪をイサーン風に後ろに高く結ったお母さんの作ってくれたこれぞイサーン料理が今回の旅一番。

     
  • カイヤーン(鳥のあぶり焼き)
  • ソムタム(パパイヤサラダ)
  • ラープ(生肉のミンチサラダ)
  • ムーヨ(イサーンソーセージ)
  • カオニャオ(蒸したもち米)  そして、シンハービーール
    

ソムタムもバンコックのように甘くない。その辛味の切れ味の鋭さ。


店の前の道路の向こうに大きな奇岩を眺めつつ、イサーン万歳。







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