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タイ国の社会構造
寄稿:吉川和夫(JTBF事務局長) admin@jtbf.info
JTBF事務局があるABIC(NPO法人 国際社会貢献センター)では種々の活動をしておりますが、主たる活動の一つに大学への講師派遣があります。多国籍企業論、海外市場進出戦略、貿易実務、等のほか、食、エネルギーなどの分野別講義もあり、時に地域研究があります。以下は、‘東南アジアに触れる’というテーマ講座が東大教養学部で行われた際の、派遣講師のレジュメです。学内の講師10名に加え、ABICより2名の講師が参加しました。
“タイ国の社会構造” (テーマ講座 “東南アジアに触れる”)
タイ国は戦前外交筋で嫌われた国“三シャ”(シャム、ペルシャ、ギリシャ)の一つであった。 戦後1970年頃までは低い商道徳の国だった。 註1 タイ国駐在を好まない日本人が割りと多かった。 現在タイ国は東南アジアで政治が安定し、経済面で最も発達した国の一つである。 昨今殆どの日本人はタイ国滞在を好む。 何故急速に環境良化を来たしたか。
良化したのは社会・経済構造の変化に起因する。 ラック・タイと称され、国の基幹となる三要素を以って構造変化の説明の切り口としたい。 三要素とは国旗の三色が象徴する青色(=国王)、白色(=宗教)、赤色(=人民)である。 今回、ビジネスに重点を置くので、赤色の人民は華僑・華人を重視する。
1.社会構造の底流と変動
(1) 華僑・華人
華僑が流入しやすい環境であった。17世紀のアユタヤは東南アジア最大の交易市場であり、華僑の流入が多かった。 18世紀の末頃バンコックの人口の半数は華僑・華人と伝えられる。 トンブリ王朝のタクシン王は潮州華僑の子供だった。 現ラタナコーシン王朝のラマ一世の母親も華僑の娘であった。 国王が華僑を登用 アユタヤ時代より貿易独占権を有していた国王は管理組織の整備を迫られていた。 貿易に関わる官吏を華僑によって埋めた。徴税人としての活動もさせた。 功績のあった華僑に爵位を与え優遇した。Royal Chineseが誕生した。 環境に恵まれ流通面を掌握した。反華僑論は過度にならず。 註2 潮州幇(パン)が過半を占め、まとまり易かった。 付表1 タイ国華僑にとり戦後も宗主は不変だった。 タイ国が独立国であったゆえの大きな利点であり、安定した身分を継続できた。 他国では植民地宗主が交代し、政治の混乱を招いた。 旧宗主側に雇用されていた他国華僑は国民に憎まれる立場にあった。 その後の華僑弾圧に発展した。
戦後のタイ国華僑・華人の動向 戦後悪徳商法を進めたのは‘白手起家’を狙う華僑一世が多かった。 戦後、外国人の移入が制限され、新規華僑流入は止んだ。 既に流入済みの華僑・華人のタイ国への同化は急速に進んだ。華僑は頼るべき国がなく、自己防衛のために子弟の教育に熱心であった。 高等教育を受けた子弟は行儀がよくなる。 外国に移住しないタイ華人。 註3 「落地生根」が進展。「落葉帰根」は廃れた。 地場投資を積極的に推進した。商業資本の工業資本化が進展した。 註4 工業化に伴い企業の国際化が促進された。 地方の華僑・華人も旅館、レストラン等に地場投資した。 結果として全国的にインフラ整備が進展し、企業誘致に貢献した。
(2) 国王
列強国の干渉が激しくなる19世紀中頃の国王が巧妙な対応をした。 ラマ4世が宗教、教育に注力し精神面の支柱を確立。 註5 ラマ5世がタイの国としての基礎を固める。行政組織の整備が進展。 東南アジア地区で唯一の独立国を維持できた。 ラマ6世は自らシェクスピア劇の翻訳をするほどの文人国王であった。 国費の浪費が目立ち、結局1932年の立憲革命へと進展していった。 国王の権力は不変。立憲君主制に移行した。 国民の信望を一身に集める現国王。 現ラマ9世は名君の誉れ高い。 “クーデター”が成功しても、国王の同意なくして政権奪取は出来ない。 1992年騒動の調整は画期的。民主化の動きが加速される。
(3) 宗教
国王は仏教徒であることが憲法に規定されている。 国王も僧籍に入った経験を有する。 仏教行事に国王の参加。国民の求心力を高める一因。 仏教を国教と規定しない巧妙さ。 ビルマは国教と規定したためキリスト教徒のカレン族の反発を招いた。 その後のカレン族との対立の基となる。 タイ国々民の行動の基準となる。 上座部仏教(小乗仏教)教義、行事が国民に浸透。 註6 年末年始のプレゼントに経典が利用される程で低層者でも経典を諳んじる。 国民皆僧の慣習は昨今崩れ行くが、今尚根強い。 僧籍を経験しなければ熟者とみなされない。 穏健で懐深い宗教。 宗教間対立を起こさない。精霊信仰(アニミズム)とも共存する。 異教徒間結婚にも宗教的束縛はない。 華僑・華人とタイ人との混血が進む。社会基盤の強化に貢献した。 根本的にインドネシア、マレーシアと異なる。 華僑・華人も敬虔な仏教徒になる傾向が強い。役人も執務室に仏壇を設ける。 全国民の精神的バックボーンになる。
アジアの他国は宗教、言語、人種等の対立があり国情不安の一因。 タイ国は社会構造の底流となる上述3要素が渾然として融和し相乗効果を挙げている。 華僑・華人を自然同化させ、彼等の活力を利用したことが経済発展の最大原因であろう。
2.発展に貢献する社会構造の側面。
上述三要素が作用しあい経済・社会基盤を強固なものにする事と併行して発展に貢献する 他の要素がある。
(1) 地理的要因が好結果。
政府として管理しやすい国の地形と国の規模。 東南アジアの他の国、特に島嶼国家に比し有利な地形。 交通・通信が容易で、言語も標準タイ語で統一され易い。 方言の比較的少ない国となる。 華僑も潮州幇が2/3を占めていたため、他幇華僑も潮州語習得に努めた。 註7 人口分布が競争力促進に好結果。 華人は首都圏在住が多い。東北タイは低所得農業人口が多かった。 付表2 個人所得で首都圏の1/8の東北人が人口では首都圏の2倍もいる。 工業化に伴い東北タイが大量の低賃金労働力を供給した。 若い女性だけをキャディーに出来る程労働力の余裕がある国である。 女性労働者の質は高い。母系家族的習慣でしっかりモノの女性。
(2) 経済面の発展を促進する巧妙な政治
タイ国は政治の天才と評されてきた。 外国の力を利用する術に長ける。 華僑・華人を同化させ能力を利用したように、外国の勢力をうまく利用する。 1960年産業投資奨励法を他国に先駆け制定した。 クーデターで政権を奪取した軍内閣でも率先して外資導入を促した先見性。 外資誘致を常時画策し、成功している。 重化学工業化は外国資本に依存するところ大である。 日本では“アジアは一つなり”が格言化し、一人歩きしていたように思われる。 註8 社会の構成要素は国ごとに異なり、国の形を変えることになる。 国ごとの構成要素の認識を深めることが要求される。
- 註1
契約不履行をなじられていたタイ商人が最初は契約の存在を惚けて否定していたが、契約書原本を見せられるや、自己の署名欄を引き裂き飲み込んだケース。重量・品質を検査済みの農産物を本船に積み込むべく艀輸送中、夜陰に乗じ劣悪品、重量不足のものにすり替えたケース等々枚挙に暇なし。輸入ビジネスで契約しても価格下落すればL/Cを開設しないバイヤーが多く、トラブルは農産物、鉄鋼、雑貨等各方面に及んでいた。
- 註2
タイ国でも華僑弾圧が実施されたと論ずる向きもあるが弾圧は形式的なものが多かった。反華僑論文として引用される有名なラマ6世の“東洋のユダヤ人”は何故英文で書かれたか? 何故弾圧できる立場にありながら論文を書いても弾圧を実行しなかったか? ピブン内閣時代の華僑活動の制限も過度にならず。 ピブン首相は華僑の末裔であった。1970年代第二次タノム内閣の際、19名の閣僚のうち12名は華人であった。タノム首相も海南華僑の子孫であった。その傾向が更に強まり、チュアン内閣ではチュアン自身もそうだが、4人の副首相の内3人が華人であった。
- 註3
華僑・華人の第二次移動の結果、1986年オーストラリヤにおける華僑・華人の人口は約20万人であったが、出身地別では、ベトナム39%、マレーシア22%、中国18%、香港13%、シンガポール8% となっており、タイ国よりの移住者はいない。(‘華人月刊’1989年3月号の資料が基)
- 註4
1960年代に日本向け約200万トンに及んだメイズ輸出は 国内消費に回り、鶏肉の輸出に変わり、ついで焼き鳥へと変化し、2003年度は約18万トンの鶏肉と、7万トンの加工鶏肉(焼き鳥・から揚げ等)が輸出された。1970年代まで農産物取り扱い企業が1990年代には製造業へと変身を遂げた。
CPグループの例 (農産物、種苗の取り扱い業者から、今や飼料工場、ブロイラー次いで、ビニール
生産、電話事業、コンビニチェイン経営等にいたるまで広範囲な事業展開) TPI グループの例 (農産物取り扱い業者より、石油化学製品製造業に)
- 註5
ラマ4世モンクット王こそはプラトンが哲人王と呼ぶに値する唯一の王であり、タイは世界史上、哲人王を持った唯一の国であると思う…と元駐タイ大使の岡崎久彦氏は言う。王は27年間僧籍にあった。国の基礎となる宗教や教育を重要視した。現在も文教予算は省庁別でビッグ3に入る。王には35人の妃による82人の子供があった。1892年ラマ5世が行政の大改革を行った際、新たに設けた12省のうち9省の大臣はラマ4世の子供であった。因みにラマ5世は36人の妃との間に32人の王子と44人の皇女を得ている。
- 註6
出家者は227項の戒律を、在家者は8項の戒律を守ることが要求される。 出家者 A 罰則のある規程 A-1. 許されない大罪 4項 (性交、盗み、殺人、虚言) A-2. 許されうる小罪 13項 (婦人の体に触る、婦人を淫行に誘う、マスターベーション等) B 許されうる 微罪 126項 (金銭に触れる、等) C 作法・心得・その他 84項 (立小便をしない、青物の上や水中にて大小便をしない等) 在家者 5戒 … 生類を殺さない、盗みをしない、淫らなことをしない、嘘をつかない、酒をのまない 8戒 … 上記5戒に加え、午後に食事をしない、歌舞・娯楽にふけらない、高い寝台を使わない。 現代生活で在家者は戒律を守り難いが仏教経典はよく読む。 僧侶も説教に積極的である。 経典はパーリ語経典で日本では原始仏教典と称されるものに近く、大乗仏教典(サンスクリット語経典が ベースとなり中国語に訳されて日本に入る)に比べ理解し易いといわれる。 大乗と小乗(上座部仏教)と区別するより北伝仏教と南伝仏教、又は在家仏教と出家仏教と対比した表現の方が一般にはわかりやすい。
- 註7
近年表面上は幇の存在が薄れ行くが、未だ同じ幇の世界大会が開催されるなど影響力は残る。 中国の鄧小平、台湾の李登輝、シンガポールの李光耀は全員客家人であり、各人がリーダーの時期に 各国の関係は現在より友好的な状況にあった。客家は互助精神に富む。幇によって所属業種が大別されており、華僑の3縁(血縁、地縁、業縁)のうち地縁により同郷人が 集まっていたことに因るであろう。タイ国華僑も例外ではなかった。五大幇(福建、広東、潮州、海南、客家)の内訳比率が経済界の性格に影響した。タイ国はマレーシアなどと違い潮州幇が過半を占めていたことにより幇間の確執も少なかった。
- 註8
岡倉天心(1862~1913)が英文の自著‘The ideals of the East’(1903年ロンドンにて刊行された) の冒頭に記した言葉で、多くの人が参照し、流用した。‘The Book of Tea’と共に欧米で広く読まれる。
付表-1 各国比較 タイ国社会構造
|
タイ国 |
インドネシア |
マレーシア |
フィリッピン |
シンガポール |
ベトナム |
ミャンマー |
人口 (万人) |
6,358 |
21,484 |
2,263 |
7,713 |
410 |
7,917 |
4,836 |
| 人種 |
タイ 75% 中国系 14% その他 11% |
ジャワ族 40% スンダ族 13% マドウラ族 8% 中国系 4% |
マレー 60% 中国系 30% インド系 9% |
マレー系 96% 中国系 2% |
中国系 78% マレー系 14% インド系 7% その他 1% |
ベトナム系 90% 中国系 3% 少数民族 7% |
ビルマ 68% シャン族 9% カレン族 7% ラキネ族 4% |
華僑人口 (万人) 1967 |
380 |
275 |
339 |
12 |
143 |
112 |
40 |
華僑・華人人口 1995 |
500 |
600 |
470 |
100 |
200 |
100 |
80 |
華人先祖 5大幇 |
潮州 60% 客家 10% 福建 10% 海南 10% 広東 10% |
福建 55% 客家 20% 広東 15% 潮州 10% |
福建 30% 広東 26% 客家 22% 潮州 11% その他 11% |
福建 80% 広東 20% |
福建 40% 潮州 23% 広東 18% 客家 18% |
広東 41% 潮州 37% 客家 11% 福建 8% 海南 3% |
福建 50% 雲南 20% 湖北 30% |
| 宗教 |
仏教 95% 回教 4% 他 1% |
回教 87% キリスト教 9% 仏教 1% ヒンズー 2% |
回教 50% ヒンズー教 50%
|
キリスト教 88% 回教 5% 仏教他 7% |
仏教 29% 道教 13% キリスト教 19% 回教 13% |
仏教 55% キリスト教 8% カオダイ・ホアハオ 6% 道教他 30% |
仏教 90% キリスト教 5% イスラム教 4% |
言語 ☆印 公用語 |
☆タイ語 ラオ語 |
☆インドネシア語 ジャワ語 スンダ語 |
☆マレーシア語 英語 中国語 タミール語 |
☆英語 ☆フィリピノ語 |
☆マレー語 ☆英語 ☆北京語 ☆タミール語 |
☆ベトナム語 |
☆ミャンマー語 シャン語 英語 中国語 |
| 政治体制 |
立憲君主 |
共和 |
立憲君主 |
立憲共和 |
立憲共和 |
社会主義共和 |
共和 |
付表-1/2 タイ国の首都圏と地方の格差 1998年度
|
首都圏 |
東北部 |
北部 |
中央部 |
南部 |
東部 |
| 人口(千人) |
10,894 |
20,733 |
11,200 |
6,300 |
8,157 |
3,890 |
| 人口比率(%) |
17.8 |
33.9 |
18.3 |
10.3 |
13.3 |
6.4 |
| 一人当たり所得(Bt) |
206,021 |
26,406 |
39,307 |
71,741 |
56,881 |
137,090 |
| 一人当たり所得($) |
4,990 |
638 |
949 |
1,733 |
1,373 |
3,311 |
法定最低賃金(Bt/day) '77 '80 '90 '98 '01 '04 |
28
54
90
162
165
170 |
19
44
74
130
133 * |
19
44
74
130
133 * |
21
47
74
130
133 * |
21
47
74
130
133 * |
21
47
74
130
133 * |
|
|
*他の地区は133から168迄細分化されている。 |
|
|
(註)’01にプーケット,チェンマイ等特別地区には特別レート143バーツを設定している。 |
付表-2/2 主要指標の40年間の推移
|
1960 |
1970 |
1980 |
1990 |
1996 |
2000 |
| 1.人口 (万人) |
2,639 |
3,555 |
4,696 |
5,630 |
6,012 |
6,188 |
| 2.GNP($/capita) |
96 |
195 |
688 |
1,511 |
2,965 |
1,929 |
| 3.経済成長率(%) |
10.0 |
6.5 |
4.8 |
11.2 |
5.9 |
4.6 |
| 4.公定歩合(%/annum) |
5.0 |
9.0 |
13.5 |
12.0 |
10.5 |
4.0 |
| 5.輸出総額(M$) |
406 |
710 |
6,505 |
23,052 |
55,720 |
69,152 |
| 6.対日輸出(M$) |
72 |
181 |
982 |
3,965 |
10,684 |
10,180 |
| 7.輸入総額(M$) |
454 |
1,298 |
9,215 |
33,006 |
72,321 |
62,180 |
| 8.対日輸入(M$) |
116 |
486 |
1,953 |
10,131 |
19,417 |
15,349 |
| 9.貿易収支(M$) |
-48 |
-588 |
-2,710 |
-9,954 |
-16,601 |
6,972 |
| 10.対日貿易収支(M$) |
-44 |
-305 |
-971 |
-6,166 |
-8,733 |
-5,169 |
| 11.外貨準備(M$) |
372 |
906 |
3,026 |
14,273 |
38,725 |
32,661 |
| 12.為替レート(Bt/$) |
21.182 |
20.800 |
20.476 |
25.585 |
25.343 |
40.112 |
(註)1997年金融危機発生の前後を比較する為1996数値を併記した。 主として「タイ国経済概況」2001年版に基づく。 |
寄稿/掲載日: |
2005/5/1 |
寄稿者紹介: |
(前) タイ・トーメン社長 (現) NPO 国際社会貢献センター メコンデスク担当コーディネーター |
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