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バックナンバー 2006-10

「日・タイ随想」

No.01 三原比沙夫 2006/10/04

9.19 クーデターに想う

 2006年9月20早朝の日本のメディアは、19日深夜(現地時間)タイにクーデター発生、首都を制圧と報じた。「まさか」と発した筆者の呟きは、一呼吸して「やっぱりね」と変わった。

 8月中旬バンコクを訪問した折、既にタイの政情はひどい混迷の中にあった。一度は引退を表明したタクシン首相が、各種疑惑にからむ訴追の懸念からか、権力に執着の構えを見せ始める一方、王室との関係には微妙な状況が取りざたされていた。

 しかし、91年2月のクーデターと、翌92年の五月事件以来、一貫して民主化の定着しつつあったタイに、クーデター再発を予測する者は殆ど居なかったであろう。第一、軍の中枢は首相の近親者と、警察予備士官学校10期生同士の側近で固められていたのだ。

 このクーデターをめぐっては様々な評価があるが、良し悪しを問われれば悪いに決まっている。暴力によって憲法を停止し、民主的に選ばれた政権を排除したのだから、論ずる余地はない。非難の声明を出した国が多々あり、建前を重視する米国やEUが、民主政権の樹立までタイへの援助停止に踏み切ったのは驚きにあたらない。

 だが、一口にクーデター(パティワット)と云っても、タイのクーデターは凄惨な流血を伴う中南米やアフリカのものとは性格を異にする。1932年の立憲政体への移行以来、一説によれば、タイには14回のクーデターがあり(プロット段階のものを含めれば24回)、このうち8回が完全無血だという。

 筆者も通算17年に及ぶバンコク駐在の中で3度のクーデターを体験したが、いずれも知ったのは翌朝の新聞であった。市民の日常生活にはさしたる影響はなかったが、経済には一定期間ダウンブローに似たダメージが出、海外からの投資が減ったと記憶する。今回もまた同じような経過を辿るのだろうか。やはり、クーデターのツケは大きい。

 処で、今回の無血クーデターには、発生と同時に多くの国民から支持・歓迎の声が上ったが、それはこのクーデターが、国王をはじめとする王室関係者の暗黙の了解の下に遂行され、かつ国軍には政権奪取欲無しと見た国民の認識によるものだろう。タクシンは経済政策面では一定の業績を残したとはいえ、余りにも非民主的、利己的、同族主義的で金権まみれの独裁政治を募らせ、他の手段では阻止し難い状況に立ち至ったことを、国王は予てより察知、憂慮されていたのだ。

 こう見てくると、タイのクーデターはまるで不文律の憲法条項のごとき観を呈するが、そんな暴言が仮に通るとしても、英邁な国王のご判断と認容の裏づけがあってこそだ。この裏づけを欠いたら巨悪な暴力と化するが、その保障のないところにクーデターの恐ろしさがある。タイは、これを最後の最後として、クーデターの二度と起こらない民主国に定着してもらい。だが、それには金権に左右されない民意の向上が先決となる。

(了)