タイ国に駐在経験のある日本人ビジネスマン(現役&OB)が個人の立場で参加しています。これまでの日本・タイ国両国におけるビジネス経験を生かし、両国間友好関係の促進に寄与したいと考えています。
リレーエッセイ 第38回配信
2025年12月01日配信
JTBF 広報委員会
今年新規入会させていただいた一般財団法人海外産業人材育成協会(AOTS)特別参与の立石と申します。
光栄にもリレーエッセイへの寄稿の機会をいただいたので、自己紹介を兼ねて私とタイの関わりや想い出について振り返ってみたいと思います。
私がJETROバンコクセンター次長としてタイに赴任したのは、通産省(現経産省)に入省して17年目の2001年6月でした。当時はタイ愛国党党首のタクシン氏を首相とする新政権が発足した直後でした。
1997年のアジア通貨危機による深刻な景気後退を経て実施されたタイ下院総選挙では、低所得層支援と中小企業振興を掲げたタイ愛国党が地滑り的勝利を収め、政権交代を達成しました。
この劇的な動きは海外からも注目されていました。
アジア通貨危機後の日タイ関係で特筆すべき出来事として、1999年、日本政府はタイ政府首脳からの緊急支援要請を受け、経産省出身の水谷四郎 元JETROバンコク所長を政策顧問として派遣し、経済復興と産業再生に向けた国家プラン作りを支援しました。
水谷氏率いるJICA専門家チームは、外貨獲得と産業再編を目的とし、日本の中小企業政策を参考に制度整備に関する提言書を作成。これが1999年に提出されたタイ中小企業振興マスタープラン、いわゆる「水谷プラン」です。
ご存知の通り、タイはアジア通貨危機で最も甚大な被害を受けた国の一つです。IMFや世銀が金融支援の前提として求めた緊縮財政は、タイ国内の中小企業の復活を制約する結果ともなりました。
その背景を踏まえれば、輸出競争力のある大企業の誘致と、それを支える裾野産業としての中小企業育成を効果的に進めるため、優良企業の与信審査や政策融資の適正化を柱とする日本の中小企業政策の経験は、IMF・世銀案よりもタイ政府に受け入れられやすかったと言えるでしょう。
やや前置きが長くなりましたが、私がバンコク赴任時に引継いだ最優先の懸案は、水谷プランに基づいて新政権が実施する産業構造調整政策と中小企業振興策を、官民レベルで側面支援し、そのための技術指導・人材育成支援事業を体系的に実施すること、そして主要支援機関間のコーディネーションを担うことでした。
日タイ両国の主要支援機関(JICA、JETRO、JBIC、JODC、JTECS 等)と、タイ側のBOI、NESDB、工業省、各インスティチュート、FTI、TPAなどとの連携はスムーズに進んでいました。
私の所属するJETROでは、中小企業診断士養成研修を担当する部長とともに、私は次長兼産業振興部長として、自動車・電気電子など戦略分野におけるタイローカルサプライヤーのQCDM能力強化を、日本側支援機関とタイ側機関の間に立って調整する役割を担いました。
特に印象的だったのは、タクシン首相が「アジアのデトロイト構想」を掲げ、外資導入と国内産業振興を両立させるハイブリッド型の産業政策を主導したことです。日系アセンブラも、トヨタのIMVプロジェクトなどを軸にピックアップトラックの輸出拠点化を進め、2005年の年産100万台目標を前倒しで達成する勢いで取り組みました。
これに呼応して、タイ工業省・TAI内にはJICA・JODC・JETROからの専門家が常駐する統合連絡事務局が設置され、週次での進捗確認とトラブルシューティングを繰り返しながら、従来の縦割りを超えて統合的な裾野産業支援が展開されました。
これが後の「アセアン自動車裾野産業人材育成プロジェクト(AHRDP)」へ続くモデルケースとなりました。
もう一つの成功要因は、JODCバンコクが事務局を務めた「AMEICC(日アセアン経済産業委員会)」の存在です。
閣僚級の枠組みの下で、官民が一堂に会し、案件形成から進捗管理まで行う仕組みは、各国への水平展開を後押ししました。私自身、JETROコーディネーターとしてこの会合に参加できたことは、その後の国際協力の基礎となりました。
バンコク時代のもう一つの忘れられない想い出は、現在ではタイ発ブランドとして定着したOTOPの立ち上げ支援に立ち会えたことです。
日本から「一村一品運動」の父・平松大分県知事を招へいし、タクシン首相や政府高官との面談を実現したこと、逆にタイ政府VIPの大分視察を全面サポートしたことは、鮮明に記憶に残っています。
その後、AOTS専務理事として再びタイと関わる中で、タイAOTS同窓会がミャンマー同窓会に講師を派遣し、OTOP経験をもとに地場産業振興の知見共有を行う姿に接し、日本からの一方向ではなく、アジア同士が学び合う「共創」の姿が現実となっていることに感動を覚えました。
タイでの駐在経験を起点に得たアセアンとの縁は、私にとって「技術移転」ではなく、「共生」そして「共創」へと向かうパートナーシップそのものでした。
この場を借りて、日タイの知己・関係者の皆様に改めて深く感謝申し上げます。
今後とも微力ながら、日タイ相互の協力の一助となれるよう努めてまいります。
JTBFの皆様、今後ともご指導・ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。
立石譲二
元 JETROバンコクセンター 次長
現 AOTS 専務理事