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バックナンバー 2006-12

「日・タイ随想」

No.03 三原比沙夫 2006/12/03

マナーに見るタイ人と日本人

 日本人の繊細さと清潔好きには定評があるが、『におい』にも敏感な人が多い。中でも調香士といえば、多彩なにおいを嗅ぎ分ける専門的な『ハナ』の持ち主である。11月12日の「朝日」は、調香士、鈴木 隆氏の地下鉄のにおいに関する話を載せていた。銀座線は油のにおい、東西線は水と苔のにおい、日比谷線は鉄の焦げたにおい、有楽町線は合成皮革のにおい、だという。沿線の情景を髣髴させる処があって面白い。

 もしも、永田町線や県庁線なるものが存在したら、何の臭いが検出されるのだろうか。ハナの利かない筆者などには答えの出せる筈もないが、所変ってバンコク、それもサイアムスクエア近辺なら染み付いた『におい』がある。チュラルンコン大学(チュラ大)の学生たちのにおいだ。

 筆者のオフィスは長いことサイアムスクエアにあった。7 年ほどをそこで過ごしたが、昼食時や夕食時ともなれば、周辺のレストランは隣接エリアにあるチュラ大の学生、それも殆どが女子学生たちの姿に彩られていた。チュラ大といえばタイの大学の最高峰だ。同大の学生たちは別格視されるそうだが、そのよしあしは別として、目の輝きの違う学生の何と多いことか。若さと知性のかもし出す女子学生たちの雰囲気には格別なものがあった。

 本年は3度バンコクを訪れ、都度BTSを利用したが、記憶に残る出来事が2度あった。発足当初は利用客の少なかったBTSも、昨今は都市部の所得水準の向上もあり、いつも混み合っている。その日も、アマリンプラザ前のチッドロム駅で乗った車両は、立ち客が入り口付近まで溢れ、掻き分けながら中ほどへ進んだ。

 と、スペースを得てつり革を握った瞬間である。斜め前の席にいた女性がすっくと立ち上がり、席を譲ってくれたのだ。見れば、紛れもないチュラ大生である。育ちの良さそうな雰囲気の、細身の美人であった。昨今の東京では、JRでも地下鉄でもめったに見られないことである。心温まる思いで嬉しかったが、こんな学生さんがなぜ筆者などに席を譲ってくれたのだろう。

 外国人なら他のつり革にもいるし、当方が『いけめん』のわけもない。いけない方の面である。やっと気付いたのが、我が身の華麗ならぬ『加齢』であった。中ほどに近い昭和一桁を見破られたのだ。そして離盤の近づいた数日後のこと。またもBTSで同じように若い女性から席をゆずられたのだが、今度は有難くもあり、侘しくもあった。女性はチュラ大生ではなかった。

 それにしても、総じて、タイの中流階層以上の知性ある若者の中には、いまの日本からは失われつつあるようなマナーの良さを見る。深く浸透した伝統的仏教文化の裏打ちと、なお残る大家族主義における家庭教育の所産と云っても過言ではあるまい。タイの社会は、一部の心ない観光客の描くイメージなどとは異なり、良家の子女の躾は、いまも戦前の日本のように厳しく堅固だと聞く。
昨今の日本の社会は、上から下まであまりにも暗いニュースが多く、道徳の崩壊を感じるが、どうしてこうなったのだろうか。哲学者、梅原猛氏の論文「神は二度死んだ」が想起される。「近代日本において神殺しは二度にわたって行われた」と云うのだ。一度目は明治維新における廃仏毀釈、二度目は敗戦における天皇の人間宣言による(維新以降の)新しい神道の否定。この神仏殺しの報いが今徐々に現れていると説く。

 大胆かつ深遠な哲学的思考であるが、顕在化しつつある日本人の精神的支柱の欠如を喝破する至言として、浅学菲才の身にも共感を覚えるものがある。いま国会で論議されている教育基本法の問題は、教育のあり方の枠組み改善に関するものとして極めて重要であることは云うまでもない。だが如何に法律を変えても、日本人の道徳を取り戻す教育が、一人一人の子供に現実にインプットされるものでなければ意味はない。

 学校教育は大事だが、それにも先んじて大事なのは、親による幼児期の家庭教育ではあるまいか。厳しい道程ではあろうが、早く日本人の精神の美しさを取り戻してもらいたいものだ。

(了)