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バックナンバー 2007-03

「日・タイ随想」

No.06 三原比沙夫 2007/03/01

日タイの少子化に想う

 2月25日早朝のNHK ラジオは、最新の流行語を解説していたが、中に「交通事故ひやり地図」があった。昨今の「ひやり」は交通事故の他にも数多いが、政官界人など要人の間でひやりの代表格といえば、いまも昔も言葉遣いではあるまいか。

 1953年今月今日の「馬鹿野郎解散」は歴史に残る吉田首相の発言に因るものだが、今回は、柳沢厚労相の発した「- - 女は産む機械- -」と、これに続く「若い人たちは- - 子供は二人以上持ちたいという健全な状況- -」発言が国会の紛糾を招いた。

 言葉と心は一体であるはずだ。どうしてああ云う言葉が出たものか理解に苦しむが、「生む機械」発言は言語道断としか言いようがない。だが、「二人- -健全--」発言について云えば、「健全」の二文字が不健全な言葉遣いだったとしても、深刻な少子化の進行が憂慮される状況下、その発言の意図するところには共感を覚える部分がある。非難の声を挙げている人たちの中にも、立場を離れた内心は、この共感をシェアしている向きがあるのではなかろうか。

 何事も究極の目的を見据えた大所高所からの議論こそが肝要であり、かりそめにも、木を見て森を見ない堂々巡りがあってはならない。だがそれにしても、とくに公の場では、言葉は刃物より怖いと知るべきだ。

 処で、少子化といえば近年のタイの人口動態にも目を向けたい。筆者が初めてタイに赴任した1968年のタイの総人口は3355万人。60年代半ばの人口増加率(対前年比)は3%台半ばの高みにあり、世界の注目を浴びたものだが、経済成長と共にこの増加率は漸減し始めたのだ。

 大まかな傾向としては、第一次投資ブームが絶頂をきわめた直後の75年以降は2%台に。第二次投資ブームに火の点いた87年以降は1%台に。そして、通貨危機のどん底から這い上がり始めた99年以降は各年とも一挙に1%を割り、2003年の総人口は6308万人で増加率は0.94%であった。

 もはや人口動態は先進国型に転じ、少子化現象の出現すら見るに至ったが、これは相次ぐ投資ブームのもたらした国民所得の向上に伴う教育の普及と核家族化、即ち大家族主義崩壊の所産であることは、云うまでもない。一般に、途上国では、農村を電化しただけでも人口増加率は1割、2割と減るケースが多いといわれるから、タイの少子化傾向出現には何の不思議もない。

 かっての日本もそうであったように、60年代後半のタイにはまだ7~8人の子を持つ家庭が多かったが、最近のバンコク圏では1人子の家庭が増えているそうだ。それのみではない。総じて結婚年齢が高まっただけでなく、とくに高等教育を受けた階層にはいつまでも結婚しない男女が目立ち始めている。(それも、女性に多いとも聞く)。

 すでに8~9年前、90年代末のことだが、筆者が関与していた企業の女性たちの中にもその傾向がみられた。ほぼ同じ年齢の、最高学府を出た才色兼備ばかりが5名いたが、うち4名が三十路の半ばにさしかかっても結婚する気配がないのだ。

 ある日の昼休みのこと。偶々たむろしていたその五人と雑談した折、それとなく結婚観に触れて見たが、とにかく自由の謳歌が人生最高の幸せと信ずる者ばかりで話が進まない。そこで、まずは自由を謳歌できる自分の存在が如何にして現在あり得るのかに、思いを馳せてみたらいい。さすれれば、自ずと人生観、結婚観も変わるであろうと、婉曲な表現で水を向けてみたが、それでも取り合っては貰えなかった。

 今の日本なら、こんなやり取りは「言葉ひやり地図」に抵触するサブジェクトに違いあるまい。もしも金バッジの先生方が公の場で口にされたら、場合によっては政局にもなり兼ねない領域だろう。しかし、タイの社会では状況がちがう。邪念がなく、場所を選び言葉を選び誠意を持って話す限り、女性の結婚問題に触れるのも特にタブーではなく、国会での紛糾もあり得まい。タイは、それだけの自由と懐の広さが感じられる社会なのだ。

 それにしても、大家族主義の崩壊と核家族化の進行による少子化は、タイにも、老人介護問題や少年非行問題など様々な社会問題を提起し、日本の後追いのごとき感を呈し始めている。日本の場合の少子化は、複雑な年金問題も絡むので事態はさらに深刻だ。

 いま両国の為政者に望まれるのは、国家社会の長期的展望に立った人口問題、社会問題に対する適切な施策だが、普遍的人権にくわえ個々人の深遠なプライバシーに関する事柄だけに、万般にわたる慎重な配慮が欠かせない。

(了)