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バックナンバー 2007-04

「日・タイ随想」

No.07 三原比沙夫 2007/04/01

ダメモトの戒め

 このたび、5年の期限がきて運転免許を更新したが、幾つかの点で免許制度が変わっていた。主な点の1つは、70歳以上の高齢者に義務化された実技を伴う3時間半の事前講習。2つ目は、高齢者のばあい「優良」でも有効期限が3年に短縮されたこと。いま1つは、更新期間が誕生日の1ヵ月前から1ヵ月後までとなったことである。

 そこで想い出されるのがタイの免許だが、書き換えは期限切れ後に行う制度であったと記憶する。日本ではうっかり期限を切らしたら厄介なことになったのに、万事おおらかなタイでは免許書換えまで人に優しい制度だと思ったものだが、何やらここで日本も肩を並べた感がある。

 処で、私の運転免許の出生地はほかならぬバンコクである。1968年の取得だから40年近く前の話しになるが、この時の免許取得に思いを馳せると、タイ人のダメモト主義に唖然とした記憶がよみがえる。当時マカサンにあった教習所に行くと、タイ語でやるなら300バーツ、英語なら500バーツだと言う。赴任早々のこと、タイ語でやれるわけもなく、500バーツを払ったが、なんとその場で左ハンドルの中古ジープを宛がわれ、全くの未経験者が路上運転を命じられたのだ。

 だが、それで驚いてはいけなかった。出てきた指導員が浮浪者風の中年男なのは已むを得ないとしても、その英語がひどかった。この指導員、私の右側に乗りこむや左足の靴を脱いで構え、危険を察知すると私の靴の上からブレーキを踏みつけるのだが、指示を与える言葉ですらすら言えるのは、start, go, stop, turn right, left 位のもの。あとはボディー・ランゲージに頼るほかない始末だった。

 連日1時間半ほど、大河のごとき車の流れの路上を運転させられたが、2週間を過ぎた日のことである。いきなり「モリロー、ナ」という。そんな英語があるはずもないが、どうにか「トゥモロー」(明日)のことだと察しがついた。と、続いて「ユー・ゴー・ポリー(ス)。ポリー(ス)・スピー(ク)・ユー。ユー・スピー(ク)・ポリー(ス)」ときた。ちまたのタイ人には英語の語尾を発音しない者が多いから、カッコの部分を補ってやれば、これは警察へ行って対話をする。つまり、免許の試験があるのだと理解できた。

 警察の口頭試問は簡単なもので、難なくパスして免許書発給。ここまでが500バーツの責任範囲であった。それにしても、何とも粗雑な教習内容であるばかりでなく、「モリロー英語」で200バーツ高とは恐れ入ったダメモト経営である。免許はとれても自信の持てる技量ではなく、広い国立競技場の跡地で、運転歴の長い同僚から1ヵ月余り特訓を受けた後、初めて独り立ち出来たのを想い出す。

 タイ人気質といえば頭に浮かぶのは「マイペンライ」や「マイミーパンハー」などだが、このダメモトも同列に加えてよさそうだ。長い駐在の間に経験したタイ人のダメモトは数えたらきりがない。ある時など会議通訳の募集に十名ほどの応募者があったが、試験してみたらどうにか使えそうなのは一人だけ。あとはぐっとレベルが落ち、中には日常会話すら覚束ない者もいた。落ちてもともと。あわよくば何かの仕事にありつく手がかりにしたいと、高を括ってやってきたに違いない。

 ところで、ダメモトと言うと聞こえがわるいが、いちがいにダメモトが悪いわけではない。人は精神的に追い詰められたとき、ダメモトへの意識の切り替えによって重圧から解放されるものだ。スーダラ節の「無責任男」として一世を風靡した、コメディアン俳優の植木等が逝った。あのギャグと歌の底抜けに明るく伸びやかな笑いは、重苦しい管理社会のストレスを一気に吹き飛ばし、多くの人々に晴れやかな希望を与えてくれた。「わかっちゃいるけど止められない」「そのうち何とかなるだろう」の歌唱に青空がのぞき、自殺を思い止まった者もあるのではなかろうか。

 またダメモトは、行動の起爆剤となることも多い。ものごと熟慮は必要だが、慎重を期するばかりでいっこう行動に移らないよりも、少々ダメモト気味でも実行した方がいい場合が少なくない。巧遅より拙速の尊ばれる今のご時勢にあってはなおさらだ。タイ人のダメモト気質は、戦後の目覚しい経済発展に寄与している面があるのかもしれない。

 但し、こんなダメモトが許されるのは、たとえうまく行かなくても、その結果を自分だけの問題として処理出来、決して他人に迷惑が及ばない場合にかぎられるだろう。ところが現実は、そうは行かない。他人、それも社会に大迷惑をかけるケースのなんと多いことか。だからダメモト行為は糾弾される。運転教習所のエピソードからタイ人に話がおよんだが、ダメモトはどこの国にもあり、日本もこれには事欠かない。最近もメディアに取り上げられている事件が数多いが、TV番組の捏造事件などは可愛い方だというべきか。航空機の整備不良(ボルト欠落)や、相次いで発覚する原発の事故隠しに至ってはただ慄然とさせられるばかりだ。

 こんなダメモトは決して許されるものではないが、もうひとつ見落とされがちな重大なダメモトがある。云わずと知れた政治家や政党の掲げる選挙公約である。選挙民に訴えるおいしい政策をぎっしり詰め込んでいても、実行に移されるものは決して多いとは言えないのが通例だ。まさか、「選挙さえ凌げばいい。そのうち何とかなるだろう」などと高を括っているのではあるまいが、こんな、『膏薬』ならぬ『公約』をべたべた貼られては選挙民はたまらない。

 公約を取り巻く条件は様々だろうが、明らかに無理な問題の実行を謳うのは誇大広告だし、やれば出来る公約を実行しないのは怠慢だ。今日「エイプリル・フール」の慣習ににかまけ、あえて言わせてもらいたい。かかる公約の審査を目的とする公的機関を設け、一定の基準に基づき審査の上、極度に悪質な公約を掲げた者には、一定期間、被選挙権をサスペンドするなどの施策を講じてみては如何であろうか。誇大広告を出した銀行や企業が排除命令などの厳しい試練を受けるように。

 ともあれ、折角の”April fool”の安息日にこんなダメモトの長談義は無用の長物というもの。 せめて今日1日は「スーィスーィスイダラダッタ」と行くことにしよう。

(了)