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バックナンバー 2007-05

「日・タイ随想」

No.08 三原比沙夫 2007/05/02

日・タイ友好の調べ

 今年は、タイ国王陛下ご生誕80年の祝賀と、奇しくも重なる日タイ修好120周年記念の年である。日・タイ双方で一連の祝賀・記念行事が行なわれているが、そのハイライトの一つがバンコク交響楽団(BSO)の日本公演(東京、大阪):[プミポン・アドゥンヤデート国王陛下ご生誕80年祝賀記念 国王陛下御作曲楽曲コンサート]である。

 4月22日、私は他の多くのJTBC会員と共に小石川トッパン・ホールに於ける東京公演に招待されたが、あの日のシンフォニーの甘美な調べが、十日余を経た今なお脳裏に流れては消える

 花曇の日曜日の午後で風もなく、小石川の街は都心とは思えない静けさの中だった。どこかラジャダピセック通りのタイ日文化会館を想わせる明るい色調のホール。400席を埋め尽くした日タイ聴衆の見つめる中、プラモート海軍少将の指揮棒が両国の国歌を紡ぎだした途端、私はその演奏に安堵と深い喜びを感じた。BSOを聴くのはこれが二回目である。90年代初頭にバンコクで聴いたときの演奏には、有名音楽大学の学内オケ程度の印象をもった記憶があるが、創立25シーズン目のいま奏でる生きた重厚な和音は、堂々たる国際的コンサート楽団のもの。そして、日タイ友好の掛け橋を演ずるものだった。

 今回の日本公演は国王陛下ご作曲特集で、全48曲のご作品中の16曲が演奏された。プログラムは、暖かく若々しくVivid な感じの“Alexandra “に始まったが、ジャズとクラシックの融合とされるご作品集は、何れも東洋的なメロディーの美しさとリズムの軽快さ、明るさに彩られ、深奥には陛下の暖かさと深い慈愛が感じられた。ウイーン音楽アカデミーから、「西洋と東洋の音楽的伝統の橋渡し」との言葉を贈られた偉業である。これほどの特集を、しかも成長を遂げたバンコク・シンフォニーで鑑賞できた感激は一入である。私ばかりではあるまい。絵を見るように4百席をうずめた聴衆の多くは、同じ想いにひたったことだろう。

 音楽が宮廷や貴族の庇護の下にあったいわゆる古典音楽時代はさて置くとして、現代において、作曲、編曲、演奏活動でタイ国王陛下ほどの音楽の才能と業績を有する国家元首・象徴が他にあるだろうか。政治家では、オルガン演奏に長け、ロンドン・シンフォニー・オーケストラなどを指揮した英国のエドワード・ヒース元首相(故人)や、玄人はだしのサックス演奏をする米国のクリントン前大統領などの例はある。だが、国王ではないし、また作曲家としての業績のほどを私は知らない。

 ところで、進境著しいバンコク交響楽団はヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスからなる27人編成でスタートしたが、途中からの曲にはオーボエ、フルート、クラリネットとフレンチ・ホルンのソロが次々に入り、終曲は総勢32名の演奏となった。ソロは夫々に聴かせてくれたが、中でもフレンチ・ホルンが心に残る。澄んだ音色がきれいに抜けて、スイスの山々に響く木霊を想わせた。

 なおこの楽団は殆どが20代後半から30代までと見られる団員ばかりだ。諸外国のオーケストラとは一味ちがう若さを感じさせる。この若さを持つと共によき指揮者を得れば、演奏技術に一段と磨きがかかると同時に音楽性、芸術性が高まり、いつの日か一流オーケストラの仲間入りを果たすことも夢ではあるまい。タイは東南アジアの経済拠点であるだけではない。英邁な芸術家国王をいただく文化国家である。その姿を世界に示すためにも、BSOにはぜひその夢を実現させて欲しいものだ。

 終曲の後、鳴り止まぬアンコールにプラモート少将は明るい小曲をもって応えた。隣りの席にいた中年のタイの貴婦人が、小声のきれいな英語で囁いてくれた。「陛下ご作曲の新年のお歌ですよ」と。交わした名刺を見ると、日タイ合弁の某大手企業の“Chairperson ”とあった。この会場が、東京であると同時にバンコクでもあるように想えてきた。

(了)