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バックナンバー 2007-06

「日・タイ随想」

No.09 三原比沙夫 2007/06/01

62年ぶりの空襲

 緑したたる初夏の田舎路といえば、鶯やホトトギスなど澄んだ野鳥の声に心洗われるが、そこには、ときに「ならず者?」のレッテルを貼りたくなる鳥も巣くっている。

 5月上旬の夕暮れのこと。書斎にしている九十九里浜の無人の実家を2週間ぶりに訪ねると、あっと言う間に庭草が伸び放題だ。やれやれと、乗り入れた車を降りた途端である。『北』の裏山の巨木の上から、二つの黒い物体が相次ぎ急降下して5メートほど先の低木に止まったと見るや、私に嘴を突き出し、すさまじい勢いで鳴きたて始めたのだ。カラスの番(つがい)であった。

 世に言う「鳥の声の聞きなし」では、カラスの鳴き声は「阿呆、阿呆」だったと記憶する。だが、「ガッ、ガッ」と咳き込むように威嚇する番の悪声はそんな可愛いものじゃなく、「馬鹿、馬鹿!失せろ、失せろ!」と聞こえて恐ろしい。私はとっさに手を挙げ追い払う仕草をしたが、何の効き目もないどころか、逆に威嚇に油を注いだ。この屋敷の制空権は完全にカラスの掌中にあることを悟った私は、家の中に逃げ込むほかなかった。

 予期せぬカラスの襲撃だが、思えばこの屋で受けた空襲はこれが二度目である。最初の空襲は終戦の約1ヵ月前、昭和20年7月半ばの茹だるような日曜日の午後だった。すでに房総半島は米軍の艦砲射撃の射程内にあり、艦載機の襲撃が報じられていたが、その日も警戒警報発令/解除のパターンが二度も繰り返され、都度、家人とともに防空壕に逃げ込んでいた。そして3度目の警戒警報が鳴り、これが空襲警報に変わった。

 家人が防空壕に飛び込んだのは言うまでもないが、またかと高を括った私は、当時の鬱蒼と生い茂る庭木の下に縁台を出し、半裸で涼をとっていた。とその時である。甲高い金属性の爆音が迫ったと感知する間もなく、グラマン戦闘機のつんざくような機銃掃射が浴びせかかったのだ。

 『やられた』と、一瞬思った。それほどに、絶体絶命の危機感が襲った。 だが、警報が解け、我に返って調べると、掃射の跡は我が家から100メートルほども離れた場所を走り、白シャツ姿で庭へ水汲みに出ていた農家の主婦が、肩から袈裟懸けに打ち抜かれ即死していた。 それに比べればカラスの襲撃などものの数ではないが、翌朝も庭に出る都度、瞬時に急降下して来る『北』の脅威は無気味であり、捨て置けなかった。家訓に明記はなくとも、私にも自衛権のあることは論ずるまでもない。戦前、戦中の幼少時のことだが、辺りには空気銃を持った家などがあり、野鳥の被害に立ち向かっていたのが脳裏をよぎる。だが、今はそんなことの許される時代ではない。 思案に暮れている処へ馴染みの庭師が顔をだしたのだが、事情を話すとさすがにプロだ。脅威の源は、『北』の巨木の頂上付近に作られた(核兵器工場ならぬ)大ぶりの『巣』にあることをひと目で見抜いた。私は、雛の誕生を待つ番が全神経を尖らせて警戒する領域に闖入したのだ。カラスから見れば、こちらがならず者に見えただろう。 では、対策は如何に?。6ヶ国協議の場なら巣の撤去を言い出すだろうが、わが国には野鳥保護の問題もあるし、だいいち撤去など物理的にも容易く出来るものではない。庭師のアドバイスは、①頭のいいカラスには絶対に危害を加えないこと、②カラスが嫌う何か迎撃ミサイル的なものを配備すること、この2点であった。

 こうなると、カラスとは頭脳の勝負であり、負けてはいられない。近くの大型スーパーから、漆黒のボディーに銀色の目玉が異様に光る『ブラック・イーグル』なるダミーを2体購入、庭木と屋上に吊るしたのだが、これが大成功。体長30センチ余りのプラスチック製ながら、見るからに獰猛で翼を震わすこの物体を本物の鷲と認識したものか、番はぷっつり飛来を停止したのだ。一体が6百円、わずか千二百円の投資で防衛配備が整った。

 ブラック・イーグルの配備に怯えたカラスの番はその時点から目標を変え、隣家の樹木に止まり始めたようだった。巣からだいぶ離れているから、さほど過激な鳴き声は出すまいが、何がどうあれ集団的自衛権を持たない私の口出しすることではない。

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 処で、こんな戯言コラムを綴り終えようとした折りも折、タイの政局の緊迫状態を報ずるニュースが飛び込んだ。5月30日、昨春の選挙にまつわる政党の不正問題を取り上げていたConstitutional Tribunal (憲法裁判所)は、タクシン前首相の率いた愛国党の解散と、タクシン氏を含む111人の同党幹部の5年間の被選挙権剥奪を言い渡す判決を下したのだ。同じく法廷の俎上にあった前の最大野党、民主党には何のお咎めもなかったと云う。

 この判決の帰趨については、国王陛下の憂慮も報じられていたが、タイの憲政史上かって例を見ないドラスティックな判決になったと云われる。下院の絶対多数を占めていたタクシン・グループの巨大な『巣』が一挙に根こそぎ取り潰されるとなれば、党員やサポーターの反発から大掛かりなデモなども予想されよう。すでにその動きも見えるとして、当局は厳しい警戒態勢を布き出したようだ。機を見るに敏、抜群のバランス感覚を誇り、大局観に優れるタイのことである。その特性を十分に活かし、何とかこの危機を平穏に乗りきって欲しいものである。

 なお、渦中の人物にして今なお世界を回遊しているタクシン氏が、来る7月5日、拓殖大学で客員教授として特別講義を行うとメディアは報じた。クーデター後間もなくのことだが、シンガポールを訪問したタクシン氏と同国の政府高官が接触したばかりに、タイ政府はその直後のシンガポール閣僚の訪タイを受け入れなかった経緯がある。大学の招聘は事情が違うであろうが、きわめて微妙な諸情勢下のこと。言わずもがなのことながら、ぐれぐれも両国の友好関係に影響のないよう細心の配慮がのぞまれるばかりだ。

(了)