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バックナンバー 2008-09

「日・タイ随想」

No.12 三原比沙夫 2007/09/07

離岸流に嵌るな

 異常熱波に見舞われた今夏は、全国で120人もの熱中症による死者が出たと云われるが、海水浴客の事故死も相次いだ。中でも目立つのは、例年のごとく離岸流に引き込まれた水死である。

 離岸流は地方により様々な呼称があるようだが、筆者の郷里の九十九里浜などでは、「水脈」と書いて『ミヨ』と云う。海岸から沖に向かって払い出す大河の如き激流のことだ。踝の上20~30 センチくらいまでの波打ち際では、それと気付かぬほどの緩やかな流れだが、うっかり膝上まで入ると急に強い引き込みの流れに変わり、腰から臍のあたりまで嵌ったら先ずは脱出困難である。

 筆者にも10歳の頃のこと。波静かな日の水際で友達と水遊び中、ずんずん引き込まれそうになったところを、周りに居合わせた中学生の子らに手を引かれ, 危うく難を免れた苦い思い出がある。激流に呑まれた場合の唯一の生還方法は、流れに逆らわずに身を任せ、流れの消える1~2キロ沖まで泳ぎきることだとされるが、相当な泳ぎ達者の若者でもこれに耐えられる者は少なかろう。

 ところで、今年も8月は終戦特集を組んだTV番組が多かったが、どこかの番組で俳優の小沢昭一氏の語った寸言が心に残る。「戦争と言うものは(たとえ小競り合いでも)始まったら止めようがないが、(戦争の)「気配」が出たらもう止められるものではない。気配が出そうな「予感」を得たとき。この時が流れを止められる最後のチャンスだ」と。まあ、こんな趣旨だったと記憶する。

 終戦特番の中には歴史に残る東京裁判の回顧も何度か現れた。戦争遂行の責任者とされる28 名がA級戦犯として起訴され、公判の最後まで残った25名全員に有罪判決(多数意見)が下され、内7名が処刑されたのだ。この裁判の法廷構成の正当性や法的根拠の妥当性については、インド選出のパール判事らの少数意見もあったが、それはさて置くとしよう。岡目八目が此処で問いたいのは、全国民を死の淵に追いやり、310 万人もの死者を出したあの苛酷非道な戦争は、軍部の独走を許した結果生じたと云われるが、そうだとすれば何ゆえその独走が生じたかだ。

 当時の客観情勢上、容易ならざることではあっただろうが、「気配の出る予感のした段階」において、命をかけてでも食い止めようとする為政者の総意は働かなかったものだろうか。そのチャンスを逃したがために、多くの為政者が軍部独走の離岸流に呑み込まれて行ったのではあるまいか。テロの犠牲となった宰相もあるが,その時はすでに予感ならぬ気配の段階にあったのではなかろうか。

 歴史家にあらざる岡目八目は気楽なもの。こう見てくると、どこまでも妄想が手をのばす。裁かれたA級戦犯の中にも、本心は平和主義者でありながら、人間と言うものの弱さゆえに、意ならず離岸流に呑まれた犠牲者も居たのではあるまいか。そして逆に、階級がやや低位のために裁かれず、戦後の政財界に名を馳せた者の中にも、離岸流発生源渦中の人物と目される人物が居たのではあるまいかと。終戦回顧のTV特番を見ながらの、そんな気のする真夏の夜の夢であった。

 ところで、自民惨敗の参院選余波の陰に身を潜めている感があるが、去る5月に成立した憲法改正法案(手続き法)の流れを受けて、改憲の動きが絶えず見え隠れする。改憲の中身自体が呈示されていない現状では、改憲の是非につき論じようもないが、国際社会のなかに生きる平和国家、人権尊重国家としての立場をより強固にするための何かがあるならそれも良かろう。だがしかし、かりそめにも多くの国民の意に反するような動きが出たら、そのときこそ気配にならない予感の段階で、国民はあらゆる論陣を張って離岸流から身を守らねばなるまい。

 8月上旬、ほぼ1年振りでバンコクの空気に触れたが、巨大な資金力をバックにしたタクシン離岸流の流れは奥深く、今なおその流れの中をさまよいながら、しかもこれを苦ともせず、むしろ懐かしむ民衆の多さに目を見張った。現政権の苦慮する処とされるが、その危惧は8月19日に実施された新憲法草案にたいする国民投票の結果に裏書きされた。

 来る12月23日、この新憲法のもとで民政移管を目指す総選挙が実施されるが、旧与党の急速な復権の動きもあり、熾烈な戦いが予想されると云う。そんな情勢の中、この選挙結果の如何にかかわらず、タイの政局は当分の間(タクシン離岸流の消え残るうちは、と解すべきか)流動化するであろうとの見方をする者が多い。我が国の政局も閣僚級高官のトラブル続出などで揺れているが、日・タイともに一日も早い政局の安定を期すばかりである。

(了)