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バックナンバー 2007-10

「日・タイ随想」

No.13 三原比沙夫 2007/10/01

風雨のタイ空港、魔の11分に注意

 この一年来、タイと聞けばクーデターを連想する向きも多かろう。だが、1932年の立憲政体への移行後多発したタイのクーデターには、総じて、一般市民の生命を脅かすようなものは見られなかった。生命の脅威となるのは、むしろ死の病とされるエイズの方であろう。80年代末から90年代初頭にかけての急激な蔓延は、90年代半ばから頭打ちになったと云われてきたが、最近また母子感染の拡がりが取りざたされているようだ。

 だが既に、エイズの罹病原因(経路)は特定されている。知識と自制力さえあれば回避できる脅威だ。他方、いまの社会には、突如として襲いかかり個人の力ではどうにも回避できない災難がある。その代表的なものの一つが、航空機事故ではなかろうか。

 去る9月16 日夕刻、またかと驚くトップ・ニュースが駆けめぐった。バンコク発の格安航空「ワン・ツー・ゴー」がPhuket空港への着陸に失敗、樹林に激突して大破炎上したのだ。死者89人、負傷者42人と報じられた。2004年末のインド洋大津波で甚大な被害を蒙ったばかりの「アンダマン海の真珠」リゾートが、何たるひどい受難の連鎖であろう。Phuketでは、1987年にもタイ航空機が空港近くの海に墜落、83名の死者を出している。

 ところで、今回の悲劇は激しい風雨をついた強行着陸の結果生じたと報じられるが、風雨の中の強行着陸によるタイの惨事はこれが初めてではない。今も忘れられないのは、筆者が二度目のタイに赴任する前夜の1988年9月、ハノイから飛来したソ連製中古機材のヴェトナム航空機が、ドンムアン空港まであと約6キロの地点で水田に墜落大破、乗員・乗客90名中76名の死者を出した大惨事だ。

 墜落原因については諸説あったが、当時の財政逼迫のヴェトナム航空には緊急時対応用の燃料を積み込むだけの余裕がなく、どんな悪天候の中でも目的空港へ直行せねばならない事態が招いた、とする説が流布していたのを思い出す。この事故では、筆者の属していた企業の親しい後輩を失い、悔しい想いに駆られた。

 その後も、同様な状況における大事故で記憶に残るのが、1998年12月のスラタニ空港の惨事である。バンコク発のタイ航空が激しい風雨の中の着陸を二度試みて失敗。引き返すかと思われたところに挑まれた三度目のトライがこれも降りきれず、反転にかかったところで墜落したとされる。空港から3キロ先のゴム園に墜ち、死者101名。タイの現職大臣の名もあり、日本人の犠牲者も出る悲劇となった。

 これらはいずれも、風雨の激しい悪天候の中の強行着陸失敗による惨事である。航空業界には“Critical 11 Minutes”「魔の11分」という慣例用語があるそうだ。離陸後3分以内、着陸前8分以内の事故が最も多く、全事故の90%近くを占めると云われるが、風雨のタイ空港の着陸前8分は極め付きの魔の時間と心得ねばなるまい。とは云え、航空機なるもの、搭乗したらそれが最後。生命は機長への完全お預けとなる。乗客が上れ下がれ引き返せなどの指示を出せるものではなく、乗客に出来るのは、搭乗するかしないかの判断しかない。

 雨季にはとくに注意を要するが、搭乗の判断に当たっては、あらゆる手段により、行き先空港周辺における到着予定時刻の気象状況を十分にチェックしてかかること。これを命の保障条件と心得たい。それにもう一つ。二流、三流会社のいわゆる格安フライトなるものは極力避けるに越したことはない。格安といえども採算度外視はありえず、機材の年齢、整備の手入れ状況から、総じて見たパイロットの資質などについてまで凡その察しがつこうというものだ。チケット代が高くついても生命には代えられない。

 なお、連休の間のフライトには要注意、などと云う航空事情の半可通の話もある。連休には老練の機長などは休暇を取り、経験の少ない部下に乗務を振るケースが間々見られると云うのだが、真偽のほどを筆者は知らない。

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 処で、タイのクーデターは市民の生命を脅かすが如きものではないと冒頭にのべたが、クーデターとは性格の異なるものながら、1992年の五月事件ではしたたかな市民の血が流れた。

 暫定憲法下の総選挙の結果行われた首相選出において、99%まで決まっていた文民候補を差し置き、陸軍司令官がツバメ返しのごとく躍り出たことに群衆が激怒して大蜂起。王宮前広場で国軍・警察と対峙した結果、軍・警察側の発砲(銃の水平撃ちとされる)により、累々たる死傷者を出したのだ。初期情報による死者数は600名とも1000名とも言われたが、後の当局発表ではこの数字は次第に縮小し、40数名程度にまでしぼんだと記憶する。

 だが、すでに民主化土壌の醸成されているタイの場合、この事件のあと民主党党首チュアン・リークパイ首相による民主政権が樹立され、いわゆる第三次投資ブームが訪れたことは述べるまでもあるまい。

 それにつけても憂慮されるのは、今回の隣国ミャンマー(ビルマ)における僧侶と民衆の大規模デモに対する軍事政権の武力による弾圧である。日本人ジャーナリストが、至近距離からの狙い撃ちと見られる発砲により尊い命を奪われたことは何とも痛ましい。この武力弾圧による死者は当局発表では10数名とのことだが、実数はその数倍にのぼるとの外交筋の情報もある。外国人記者の活動は阻止され、インターネットによる海外との交信も禁じられたと報じられるが、タイの五月事件の際にも見られなかった信じがたい措置と云うほかはない。

 同国における一日も早い平和と民主社会の現出を望むとともに、来る12月23日の総選挙を控えてなお流動化の伝えられるタイの政局が平穏裡に推移し、安定した強固な民主政権の樹立を願うのみである。ミャンマーとは発展段階の異なるタイには、もはや五月事件の如きものの再来はあるまいと信じるが、平和社会の維持には国民一人ひとりの絶えざる自覚と努力が欠かせないことを銘記したい。

(了)