Logo of JTBF
トップ・ページ  バックナンバー・リスト
文字サイズ: 

バックナンバー 2007-12

「日・タイ随想」

No.15 三原比沙夫 2007/12/06

エピローグ

 今年もまた『流行』の語をよく耳にする時節となった。例年より早くかつ悪質なインフルエンザが流行の気配だと云う。流行というものは不思議な社会現象である。人間生活の様々な分野で、ふと動き出した現象が勢いを得て社会の隅々に波及して行く。自然発生的なものもあれば、時の流れに乗りたい人間心理をついた商業戦略によるものもある。どうでも良いものが圧倒的に多いが、人の為になるものもある反面、病気や犯罪など人間社会に害を及ぼすものもある。最近は害のあるものの流行が目立ってならない。

 ところで、今年の流行の色は『黒』だと云う。先夜のNHKテレビは、座席も床・壁も機体内部が黒一色に統一されたジャンボ航空機の紹介を手始めに、生活面のトイレから歯ブラシ、果てはマナ板などに至るまで黒づくめの世界を映し出していた。またその翌早朝の電車でのこと。座席の乗客の9 割り近くが黒づくめで、ほぼ全員が俯き加減に眠りこけている情景を目撃した筆者は、通夜の場に乗り合わせた錯覚に捉われた。

 これらは異様な光景と筆者には映り、先のTVの中で、この流行をどう思うかとの問いかけに応えたさる著名な評論家のコメントに違和感を覚えた。社会・経済が安定し生活にゆとりが出来たところから生まれた『自信の現われ』であろう、と。そんな趣旨の発言だったが、はたしてそうだろうか。

 最近の日本の諸情勢に目を凝らしたらいい。深刻な年金問題に端を発し、薬害問題、ねじれ国会・総理の突発辞任などによる政治の空白、大疑獄の様相を見せはじめた防衛関連スキャンダルなど政治は問題山積だ。経済はとみれば、マクロ指標がどうあれクオリティー・ライフが行き渡ったとは云えない状況下に、黒服白髪の経営者がテレビの前に居並び一斉に低頭陳謝する場面が跡を絶たない。そして、慄然たる凶悪殺人事件の続発だ。鶴田浩二の歌の文句ではないが、どちらを向いても暗い世相ではありませんか。これではとてもゆとりから自信などの湧く社会情勢とは云えないだろう。

 黒は、美しい色である。凛々しく厳粛で辺りの雰囲気を引き締める。儀式をはじめ改まった場面にはなくてはならない色だ。だが反面、黒自体は没個性色でもある。美しいものを更に美しく引き立てもするが、状況次第では全てのものの個性を奪って沈黙の世界に閉じ込めたりもする。黒づくめの流行は、自信を失くした社会が安らぎを求めて逃げ込んだシェルターの色にも見えるが、如何なものだろうか。

 黒にはまた負のイメージが付きまとうことも忘れてはならない。黒星、黒幕、黒い霧、腹黒など何れも今回の防衛スキャンダルに当てはまりそうな言葉ではないか。日本の社会は黒の世界ばかりに沈潜していてはならない。一日も早くこの社会の混迷から脱出し、黒のシェルターに訣別を告げて欲しいものである。

 それにつけても思い出されるのが微笑の国、タイの明るさである。タイでも「チャイ(心)ダム(黒)」(不親切な、の意)の語などに見られるごとく、黒のイメージは嫌われ、目くるめく陽光のもと、抜けるような青空と緑したたる大地の豊かさに人々は安らぐ。その豊かさに在留邦人も多くの恩恵をうけてきた。週末のゴルフにくつろぎ、暮れなずむ夕日のハイウエイを家路に急いだ日の想い出が、年とともに懐かしさを募らせる。

 いまこの大地の安らぎを揺るがすものは、昨年の9・19クーデター以来なおも混迷をつづける政局であろう。渦中の人物であるタクシン前総理はロンドンに事実上亡命。英プレミアリーグ、マンチェスター・シティーを買収してチェアマンに納まりながらタイ政局操縦の構えを見せ、その意を受けた「国民の力党」が第一党に踊り出る気配の伝えられる状況下に、来る12月23日の総選挙が実施される。

 選挙後はなお当分流動的情勢がつづくと見られ、様々な予測が飛び交うが、人も政治も絶妙なバランス感覚に富むタイのことである。多少の時間はかかろうとも、必ずや安定的民主政権が樹立され、東南アジア、インドシナ半島の中核国としての地位を不動のものにすると信じて止まない。

 さて本年は日タイ修好120年記念の年である。日・タイ双方で数々の記念行事が催され、筆者もその幾つかに招かれ慶びをともにした。昨年十月この方この記念すべき年に、15回にわたってJTBFホームページ冒頭のコラム欄にボランティア執筆の機を得たことは望外の幸せであった。編集部局より、なお暫く継続をとのお話しもあったが、新しい酒は新しい器に盛るに越したことはない。刻々に変化する日タイ情勢のコラムは、このあたりで新しいライター諸氏の手に委ねることと致したい。長い間ご高覧いただいた各位のご厚意にあつく御礼申し上げるとともに、JTBF ホームページの益々の繁栄を祈って止まない。

 最後に一つ。物事すべて引き際が大事なことの至言として、「関が原」の合戦のおり自刃した細川ガラシャの辞世を借記したい。
  「 散りぬべき 時知りてこそ 世の中の / 花も花なれ 人も人なれ 」 

(了)