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バックナンバー 2008-03

「日・タイ随想」

No.18 2008/03/01

癒しの国の癒しの音

JTBF会員:小山 光俊

 もう17年も前になるだろうか。前々回のクーデター(1991年)の直後にタイに赴任した。日本のTVニュースでは戦車が街を走りぬけ、いかにもバンコックは騒乱状態のように伝えられていた。赴任の飛行機やホテルはがら空き、観光客はほとんどいなかった。

 しかし、街に入ってみると、そんな騒ぎはどこなのかと思わせるほど穏やか。チャオプラヤ川を走る引き舟は、ゆったりと流れる浮き草の中を何台もの貨物船を引っ張って、のんびりと北上していく。街中にもランやブーゲンビリヤが咲き乱れ、屋台はにぎわい、人々は何事もなかった様に平穏に暮らしていた。マスコミのセンセーショナルな採り上げと現実に大きなギャップがあり、タイのゆったりとした時間の流れを感じたのが私のタイの第一印象だった。

 その後すぐに、タイの政府は「信頼性の回復」を旗印に、外国資本の導入の一層の促進策を講じ、自動車産業を含めた「日本企業の進出ブーム」が再来した。確か、バンコック日本人商工会議所の会員数も1994年には1千社を超え、当時としては日本人商工会議所としては世界最大規模になったと思う。前置きは長くなったが、こんなクーデターの思い出もあり、2006年9月のクーデターとその後の暫定政権、2007年12月の総選挙、そして今年2月の新政権発足と大きく変わりつつある今回のタイへの訪問はすごく楽しみだった。


 話は変わるが、私がタイに赴任していた当時、チェンマイの工業団地の近くのタイの田舎風のレストランに行ったことがある。最近、バンコック周辺では余り見られなくなったが、池の上に木造のレストランが浮いて作られているようなものだった。昼下がり、話す気力もなくなるようなずっしりとした暑さの中、何の音もない中で只座っていたが、ふと、「ボー」と言う音が聞こえるのに気がついた。その話をタイに長く居る人に話したら「それは耳の中を血液が流れる音」で、本当に静かでのんびりした気分のときは聞こえることがあるとのことだった。自分では暑さで文字通り「ボー」としたのだと思ったが、音の原因は兎も角、心の癒しになった音であると共に、もう一度経験してみたい音だ。

 それ以来、タイの音って何だろうと興味を持って探しているが、これも、チェンマイの田舎の寺院に行ったとき、どこかで「カンコン・カンコン」という、心を安らぐかすかな柔らかい金属的な音がするので探した。タイの国旗を掲揚しているポールに旗を引く紐が風になびいて出す音だとわかった。こんな音はどこでも聞けそうなものだが、それが、心を癒す音と聞こえるのは、タイの空気のせいなのか・・・。

 そういえば、タイ語にしても余り詳しくは知らないが、ぱ行や半濁音・半鼻音が多いような気がする。北方の北京語や韓国語のようにパキパキした発音ではなく、風にそよぐ歌みたいな言葉だと思う。タイの屋台の物売りの声や話し声がうるさいとは感じない。何か心地よさを感じるのは、私だけなのだろうか。

 ほかにも、タイにいて癒される音はたくさんある。タイの寺院の軒先に吊るしてある風鐸(ふうたん)もそうだ。「カラン カラン」となんとものどかな音がする。そもそも風鐸は現代の風鈴の元になったもので、その音が魔よけになるというのだそうだ。日本のお寺にも薬師寺の五重塔をはじめとして風鐸は沢山あるが、なかなかこの音は聞けない。聴いた人は「すごい幸運」なのだ。

 タイでのこの音などその暑い重い空気と共に、一度聞いたら病み付きになる。言葉ではうまく表現できないが、心の奥に染み渡る癒しの音だ。タイにはこれに似た音を出す土で作った風鈴がある。しかし、寺院の静寂の中で聞こえてくる風鐸は格別な音だ。

 こうしたタイの自然が醸し出す音は心にしみる。だが誠に残念なことに、タイの経済発展とともに機械的な人工的な音が大きくなり、本当のタイの自然と調和した音は聞きにくくなっている。

 今回バンコックを訪問する際、こうした「音探し」をと考えたが、残念ながら果たせなかった。その代わりと言っては何だが、癒しの音楽のCDを見つけた。どこの国でもこうした音楽ははやっているが、このCDはタイの楽器によるタイの癒しの音楽。いわゆる西洋の割り切った音階の音楽ではない。タイ風の癒しの雰囲気をかもし出した、連続的な音階のゆったりとした曲である。こんなCDが街中で売られ結構はやっているのを思うと、タイならではの自然の癒しの音がなくなってきているのかと、ちょっと残念な気がした。


 さて、本題に戻ろう。今回はJTBFのミッションと言うことで、久しぶりにタイの様々な方とお会いし、話が出来た。

 戦後8回目のクーデター・軍事暫定政権の後、総選挙により新しいサマック政権が発足した。考えてみると、軍部のクーデター以来、1年半をかけてようやく民政に復帰したわけだ。総選挙後も首相指名・組閣まで2ヶ月近くを要した。気の短い日本人なら「どうして」と思うところだが、一年半をかけてゆっくりと言うのがタイの文化であり、それだからこそ、タイの人が納得するのかも知れない。しかも、1年半を経済的にも極めて順調に経過したところが、タイのタイらしいところなのだろう。

 タイの要人の多くも、新政権は6党の連立と言うこともあって、政治的にはこれからもいろいろ紆余曲折があると予想している。経済政策の安定とか、ひいては国家体制の安定とは全く別のものだと、思っているようである。チャイ ジィェン ジィェン(冷静に・冷静に)と言う言葉は、タイで自分を制する言葉として常に心に刻んだものだが、チャイ ローン(カリカリする)にならずに、しっかりと見極めてすすんで行くことが、結局長い目で見た安定につながるのがタイなのではないか。

 経済的にはここ2年タイ経済は若干スローダウンしていた。昨年後半から経済はむしろ上向きになってきている。今後サブプライム問題で世界経済がスローダウンしてもその影響を相殺する力はありそうだ。とりわけ、タイの政策担当の高官が異句同音に、積極経済政策と内外への安定のアピールを最優先にしていること。さらに、タイ経済に重要な影響をもたらす日本の企業のタイへの投資行動が積極化することが予想されることだ。日本の企業は今回の事件をこれまでの歴史と照らし合わせて、余り大きな混乱をもたらさないと確信している様だ。

 日本の企業のタイとの係わり合いはそれぞれの企業ごとに、極めて長い。マスコミのセンセーショナルな記述とは別に、しっかりとした信頼関係がそれぞれの企業ごとに作り上げられているところに、本当のタイと日本の信頼関係の基本があると思うし、この太い信頼関係がしっかりと繋ぎ引き継がれることが、日タイ両国にとって大切だと思っている。

 15年前になるが、当時の大蔵大臣であったタリンさんが、「王室が国民の信頼をつなぎとめている間に、どこまでタイに真の民主主義を定着させられるかが、タイの課題だ。」といった言葉は、いまもって忘れられない。まさに、その通りだと実感している。

 経済発展と街の喧騒により癒しの音が消えていくのは残念だが、ゆったりと時間の流れる「癒しの国」、そしてタイ大好き人間が次々と育っていくような国として、発展していくことを願ってやまない。


(元 さくら銀行バンコック支店長)