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バックナンバー 2008-08

「日・タイ随想」

No.23 2008/8/02

タイ・カンボジアの国境紛争

JTBF会員:布施隆史

プレアビヒア(タイ名・カオプラウイハーン)遺跡

日本でも報じていましたのでご存知の方もあると思いますが、プレアビヒア(Preah Vihear)遺跡の帰属を巡ってタイとカンボジアが対立しています。本稿を書いている7月末時点では、7月28日にシェムレアップで行われた両国外相会談での合意によって緊張状態は緩和されましたが、一時は両軍の衝突という最悪の事態も懸念される状態でした。

お出でになった方もおられるかも知れませんが(小生は数年前に行きました)、この遺跡はウボン・ラチャタニの南100㌔ほどの国境にあり、カンボジアがクメール王国だった11-12世紀に建立されたヒンドウー寺院遺跡です。遺跡そのものはカンボジア領にありますが、急峻な崖の上にあり(眼下に広がるカンボジアの密林が見事です)、カンボジア側からこの遺跡に行くアクセス道路がないため、タイ側から行くしかありません。タイは遺跡周辺一帯を国立公園にしています。

遺跡の世界遺産登録

これまでは遺跡の帰属問題は表面化していなかったのですが、これを世界遺産に登録する動きが出てからきな臭くなり始めました。最初は両国共通の世界遺産にする案もあったようですが、カンボジアは遺跡が自国領内にあることを主張し、両国間の協議で最終的にタイはカンボジアによる単独申請を認める共同声明に調印しました。しかし、これがタイの民族感情に火をつける結果となり、共同声明に調印したことは憲法違反との判断が憲法裁判所から出され、ノパドン外相は7月14日、責任をとる形で辞任しました。

(注)7月26日、ノパドン外相の後任が国王によって任命されました。新外相テート・ブンナーク(Tej Bunnag)氏はケンブリッジ大で修士号、オックスフォード大で博士号を取得。アセアン事務局勤務後外務省に入り、中国、仏、米国大使を歴任し、外務次官となりました。2003年に設立されたタイ・カンボジア友好協会の会長でもあります。

プレアビヒア遺跡は国際司法裁判所が1962年、遺跡がカンボジア領にあると認定しましたが、国境線については未確定のまま現在に至っています。タイにしてみれば、遺跡がカンボジアにあることは認めるが、タイ領内を通らなければ行けないという現実があり、その現実を無視してカンボジアが単独で世界遺産登録をするのはけしからんという思いがあるのだろうと推測されます。しかし、カンボジア側はタイ側の思いに頓着することなく、共同声明に従ってユネスコの世界遺産委員会に登録、これに反発したタイは7月15日遺跡周辺に軍を派遣、カンボジアも主権を守るためと称して同様に軍を派遣し、お互いに軍隊を対峙させるという事態に発展しました。

軍隊の展開

最初は双方とも400人ずつ程度の兵力で、新聞には両軍兵士の握手する写真が掲載されました。余談ですが、バンコクポストに掲載された両軍兵士2人が握手する写真を見て思わず笑ってしまいました。握手はしているものの顔はお互いにそっぽを向いていて、カメラマンの注文でしたくもない握手を無理矢理させられているという感じむき出しの1枚でした。さらに余談ですが、驚いたのは写真のタイ兵の迷彩服の左胸に US ARMY の札が縫い付けられていたことです。タイ陸軍の迷彩服を洗濯にでも出していて着る服がないからミリタリーショップあたりで買った米軍の迷彩服を着たのか、自軍の迷彩服は持っているが US ARMY の方がカッコいいからそっちを着たのか分かりませんが、前線で相手と対峙している兵士が他国の戦闘服を着用するなどというのは常識ではありえない話で、さすが何でもありのタイ、Amazing Thailand だと笑ってしまいました。後日、新聞には兵士の服装にクレームする投書が掲載されていました。

当初の400人程度の兵力は両国の政治家や一般国民の感情がヒートアップするにつれて急激に増え、7月下旬には後方支援部隊も含め双方とも3,000人規模の軍を配置するところまでエスカレートしました。しかし、冒頭に書きましたように、7月28日に行われた両国外相会談で、双方は軍を撤収させることに合意したため緊張状態は緩和されました。カンボジアのフンセン首相はこの問題を国連の安全保障理事会に持ち込むと言っていましたが、合意を受けてこれを撤回しました。ただ、軍の撤収時期や規模などについてはこれから委員会を設置して決めるため、本稿を書いている7月31日時点ではまだ具体的な行動は見られません。

どっちが強い?

緊張がもっとも高まっていた時期の7月28日、バンコクポストが両軍の戦力を比較する記事を掲載しました。抜粋しますと

―カンボジア軍の保有する武器の多くは中国製及びロシア製で、これら2国製の戦車が300両あるが、まともに機能するのは半分程度と言われている。他に30-40両のロシア製水陸両用軽戦車、中国製及びフランス製軽戦車もある。高射砲、対空ロケット砲、曲射砲などはロシア及び米国製で、6門をこの地域に配備したとの情報がある。
―カンボジア空軍の保有機は大部分が旧ソ連製の古いミグ21(20機)が中心。他にフランス・ロシア製のヘリコプターを保有。一方、タイはウボンラチャタニ及びウドンタニの基地にF16及びF5を合計40機配備しているほか、ロブリ基地からは多数のガンシップ、コブラ攻撃ヘリなどを派遣することが可能。
―陸・空軍を合わせた兵士数及び保有する武器の性能ではタイが優位にあるが、カンボジア軍は高所の遺跡に布陣しており、地理的には彼らが優位。実際に戦闘状態になった場合、高所に布陣しているカンボジア軍を見上げる形のタイ軍は不利。空爆・地上攻撃どちらであってもタイ側がカンボジア軍を攻撃すれば世界遺産を破壊することになるため攻撃しにくい。

といった内容で、戦力的はタイが優位だが、地理的にはカンボジアに利があるという分析です。

新聞によれば現場は一触即発の緊張状態にあったようで、次のようなエピソードを紹介しています。長時間の歩哨に疲れたタイ兵が座ろうとして動いた途端、カンボジア兵3人が銃口を向け戦闘体制をとった(かなり近距離で対峙していたようです)。幸いカンボジア語の分かるタイ兵がいて、状況を説明したためことなきを得たが、カンボジア側は「タイ兵が銃を発射しようとしたので反応した」と答えたとのこと。もしここで引き金が引かれていたら、大変な事態になっていた可能性があります。

話し合いによる解決を目指す

記事は、武力で領土を拡張する時代ではなく外交を通じた話し合いで解決を目指すことが最良であるという極めて常識的なコメントで結んでいます。両国政府間で交渉による解決を目指すことが合意されていますので、今後の交渉に期待するしかありませんが、領土・領有権はナショナリズムに直結しやすい問題です。竹島、尖閣諸島、北方領土など何年・何十年経っても解決の糸口すら見えない日本とその周辺国間の領土帰属問題と同様、この遺跡の帰属問題も解決までには長い時間がかかりそうです。

現在観光客も含め一般人のこの地域への立ち入りは禁止されており、これがいつまで続くか分かりません。1日当たり1,000人も来ていた観光客が全く来なくなり、遺跡に至る参道のみやげ物屋や飲食店は大打撃を受けているようですし、国境を行き来していた商売人も激減しているとのこと。辛い目に会うのはいつも庶民です。


(元泰国日商岩井社長)