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バックナンバー 2008-11

「日・タイ随想」

No.26 2008/11/01

「タイの民意」とは

JTBF会員:木谷 豊
2008/11/01

  2006年9月の軍事クーデターでタクシン政権が崩壊してから2年余り。この間のタイ政局を眺めていると、タイ国民全体の民意は一体何なのだろう…と頭が混乱してしまう。

反タクシン?親タクシン?

  少し経過を振り返ってみる。政局混迷のきっかけは、2006年1月に発覚したタクシン首相一族の株式不正取引疑惑だった。4月には民意を問う総選挙が行われるが、野党不在で与党が圧勝。しかしプミポン国王は「選挙に一政党しか立候補しないのは民主主義ではない」などとして国会の招集を拒否。最終的には9月に軍事クーデターが起こった。クーデターは言うまでもなく非民主的な手段だが、その直後に行われた世論調査では実に国民の80%以上がそれを支持していた。

  民政移行を問う総選挙は2007年末に行われた。第一党の座を勝ち取ったのはタクシン元首相支持勢力の「国民の力党」で、首相の座に就いたのは「タクシン氏の代理人」を自認するサマック氏だった。タクシン元首相派には国民の60%を占める農民の圧倒的な支持があり、何度選挙をやって民意を問うても元首相派が勝つのではないか――。そう思わせるような結果だった。

  都市中間層を中心とする反タクシン元首相派がこれで収まろうはずがない。2008年5月になるとサマック政権打倒を目指す抗議活動がバンコクの街頭で始まり、8月下旬には「民主市民連合(PAD)」のメンバーが首相府に突入して占拠。その人数はピーク時には2万人に上った。そしてバンコクへの非常事態宣言。2人の死者が出た警官隊との衝突――。

  その直後にサマック首相はテレビ料理番組への出演が憲法の副業禁止規定に違反するとの判決を受けて失職し、タクシン元首相の実妹を妻に持つソムチャイ氏が後任首相に就いた。PADには到底受け入れがたい内容だ。しかしこの勢力が望んだ軍の政治介入も今度は実現しそうになく、座り込み人数も激減して倦怠感すら漂う中、それでもなお10月末時点で首相府の占拠は続いている。

嫌気がさし始めたバンコク市民

  一方で、混乱の引き金となったタクシン元首相の不正疑惑の処理は法に従って粛々と進んでいる。10月21日には、元首相夫妻がバンコク中心部の国有地を不正取引したとして国家汚職防止法違反の罪に問われた事件で、タイ最高裁判所がタクシン氏に禁固2年の実刑判決を言い渡した。タクシン夫妻は判決に先立ち、英国政府に亡命を申請したとも伝えられている。

  反タクシン元首相派の当初の目的は達成されたのではないかとも思える。しかしPADがなお首相府占拠を続けているところをみると、この勢力の求めているものは結局のところ、現政権の力での打倒と自分たちの求める新政権の樹立でしかないのだろうと感じる。

  10月下旬に来日したティティナン・チュラロンコン大学安全保障国際問題研究所長は、「バンコク市民の間では、PAD側に付くのか付かないのか色分けする風潮が蔓延している。でも『タクシンはいやだがPADもいやだ』という人が大多数になってきた」と今の状況を説明してくれた。

国王頼み、またもや?

  アジアの特徴は、よくも悪くも各国・地域の多様性にある。タイには「タイスタイル」がある。政治で言えば「立憲君主制下の民主主義」という独特のやり方だ。国民が最後の拠りどころとするのはあくまでもプミポン国王であり、民主主義はその手前にある手法。極端に言えば、徳のある国王が国民の不満のないように統治してくれるなら、必ずしも民主的でなくても構わない。2006年9月にクーデターを起こした軍も、国王の側近であるプレム枢密院議長を後ろ盾としていた。1991年のクーデターの後、タイにも欧米型の民主主義が根付き始めたかに見えた時期があったが、実はそうではなかった。そう考えると、タイ国民の民意は今も「絶対的な信頼と尊敬を集める国王による統治・安寧」だということができるかもしれない。

  ただ、12月15日に81歳の誕生日を迎えるプミポン国王がこれをよしとしているわけではなさそうだ。2006年1月の政局混乱以来、本当に民主的な選挙を通じて国民自身が国の進む道を決めるよう何度もシグナルを出し続けたことからもそれがうかがえる。

  政局混迷の影響は、すでに外交や経済にも及び始めている。タイはいま東南アジア諸国連合(ASEAN)の議長国で、12月には国内でASEAN首脳会合やASEAN+3(日中韓)首脳会合のホスト役を務めなければならない。しかし今のままでは、これら会合を当初予定していたバンコクで開くことすら難しそうだし、会合でも十分なリーダシップの発揮は期待できそうにない。

  米国のサブプライムローン問題に端を発した金融危機が世界経済を大きく揺るがすなか、日本では「政局より政策」という判断が国民の支持を集め、吹き荒れていた解散風が静まり始めた。タイも置かれている状況は同じだが、政局混乱がここまでこう着状態に陥ってしまっていては、「政局より政策」とはいきにくい。袋小路から脱するには、またもや国王に頼るしかないのだろうか。国の難局をじっと見つめている国王の心痛や、察するに余りある。