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バックナンバー 2009-04

「日・タイ随想」

No.31 2009/04/01

エントロピー拡散の法則

JTBF会員:吉田 研一
2009/4/01

ホテルにて その一

前日、ホテルのフロントで、
  吉田「食堂の朝食は何時からなの」
  フロント「六時からです」

翌朝、五時半、ホテル食堂の入り口で、
  吉田「六時前だけど、食べていいかな」
  従業員「いいですよ、まだ全部は揃っていませんけど、どうぞ」

  ここの朝食はバイキング式である。先ずオレンジジュースを飲み、用意ができている鶏肉入りお粥、野菜炒め、目玉焼き、それに茹でたハム、等などと東洋風、西洋風を混ぜた朝食を食べ、定番のマラコ、スイカ、パイナップルの三点セットのデザートで満腹してからロビーで待っていると、六時に友人がゴルフへ行くために車で迎えにきた。

ホテルにて その二

  タイ東部のラヨン市には、近郊のマプタプット地区で1987年にタイ最初の石油化学コンビナートの建設が始まった頃には、県庁所在地でありながら外国人が泊まれるようなホテルは無く、現地人が泊まる所謂「旅社」と称する100~200/泊の安宿しかなかった。コンビナナートが稼動し始めた1989頃になってやっと外国人が泊まれ、東京に持ってきても一流で通用するような外観と設備だけは十分整った二軒の立派なホテルが開業した。

  それから約十数年後そのラヨン市の某ホテルに泊り、近辺のゴルフ場で毎日ゴルフを楽しんでいたある日の出来事。

  朝ゴルフに行き、午後ホテルのベッドに寝転がって本を読んでいるとドアーがノックされた。ドアを開けるとボーイがクリーニングに出しておいたシャツとズボンを持って立っていた。ハンガー付きのまま受け取ってクローゼットに吊るしてから又本を読み始めた。読んでいて、さっきのズボンの形がなんだか妙な形だったのを思い出した。

  そのズボンのビニールカバーを外してよく見てみると、なんとズボンは横にしてプレスし前後にプレス線をつけるべきところ、ズボンの正面からプレスし左右の縫い目に沿ってプレス線あるではないか!妙だと感じたはずである。ズボンが丁度スルメの形をしてハンガーにぶらさがっている!ジーンズショップで壁にジーンズが貼り付けてある形のように!
すぐにボーイを呼び

  吉田「これさっきのズボンだが、君はどう思う?」
  ボーイ「??」
  吉田「よく見てよ、ほれ」
  ボーイ「……アッ、スミマセン、すぐに直させます」

  ボーイは持ち帰って、前後にプレスを正しくし直してから持ってきたが元の形には完全には戻っていなかった。これ以上のクレームはつけなかったが、この時だけはボーイの責任ではないとは言え、チップを渡す気にはならなかった。そのズボンは100%ウールの夏物だったのでドライクリーニングにマークをして出したのだが、ゴルフ場の泥で汚れていたためか普通の木綿や化繊物と一緒に石鹸でゴシゴシと洗濯板を使って洗ったようで、その時すでに縮んでしまって型が崩れていた。

  日本でクリーニングに出しても「縮み」は直らず、それからは庭仕事用の作業衣になり、いつの間にか無くなってしまった。

ゴルフ場にて その一

  友人と二人でゴルフ場へ出かけた。

  一番ティーグランドではコースには誰もいなかったので、スイスイと回れると思ってスタートした。二番ドッグレッグのロングホールで第二打を終わり、三打地点へ行ったら、四人がグリーンにいた。タイ人達でプレーが遅く、三番、四番、五番と一打ごとに待ちながらプレーを続けたが、我々二人をパスさせる気配はなく、いらいらし始めていた。キャディー達も「前の組は遅い」と、ボヤキ始めた。

  キャディー「旦那、前の組は遅いので、一五番へ行った方がいいよ」
と言ってきた。六番のティーグランドの近くに一五番のティーグランドがあり、一五番には人はいなかったので、キャディーが言う通り一五番に移った。

  その後は待つことなく二人でプレーを続け、一八番が終わったら一〇番へ行き、一〇番から一四番へと待つことなくスイスイとプレーし、一四番から六番へ移った。八番で前を行く組に追いついたが、三時間かからずにワンラウンドを終えた。バンコック近郊のメンバーシップが厳しいコースでの出来事である。

  この例だけでなく、スタートが混んでいるときにはスターター自らが、例えば「13~4番以降はまだ誰もいないのでそこからスタートすれば、此処に来る頃には1番は空いてるはずだ」と薦めてくれる時もある。

  キャディーを連れてプレーするタイと、キャディーに連れられてプレーする日本との違いである。

ゴルフ場にて その二

  タイの友人達と自動車でバンコックから七泊八日の北タイへのゴルフツアーへ出かけた。午前中にプレーし午後は翌日プレーする場所へ移動する事の繰り返しで、途中1日だけ休養日にした全走行距離約2,500キロ余のゴルフツアーであった。

  ツアーの後半、この日はチェンラーイを朝出て、途中でナレスワン大王廟に参拝し、予約はしていなかったが昼からチェンマイ近郊のコースでプレーすることにしていた。コースに着いたら韓国人用観光バスが着いていて、いやな予感を持ちながら昼食を注文しようとしていたら、一番のスターターのところへ行っていた友人が急ぎ足で帰ってきた。

  友人「今すぐスタートだからすぐ来てくれ、食事はコースの茶店でラウンドしながら食べよう」
  吉田「????」

  ティーグランドへ行くと、韓国人ゴルフツアー客の一行がスタートを待っていたが、割り込んで彼等の目の前で我々四人は急いでティーアップしてスタートした。急ぎすぎたのでティーショットをチョロしてこのホールはダブルボギーだったが、韓国人観光客の後からイライラしながらついていく事を思うと一番ホールのスコアーなどどうでもよかった。一番ホールの途中で

  吉田「どうして我々は待ち時間なしでスタートできたのかい」
  友人「スターターに少しチップを渡し、日本からの大事なお客と一緒だから、早くスタートさせるように頼んだよ、団体客の後ではやりきれないからね。そしたらOKだったよ、ハハハ…

  ハーフに二軒ずつある茶店で腹ごしらえをしながら、三連チャン目のプレーを韓国人団体客の後を追いかけることなく終えた。スタート時は韓国人観光客に申し訳ないことをしたが、すぐに彼等の組とは一ホール以上空いたので、迷惑は掛けなかったと思った。

   

カラオケ店にて

  小ママ「いらっしゃいませ、何人ですか」
  吉田「二人、大部屋ではなく個室は空いていないかな」
個室が空いていて二人は個室へ案内された。
  小ママ「ボトルは何番ですか」
  吉田「ボトルは大分前に入れてあるはずだが番号は忘れた、ここへ来るのは一年半振りだから、ボトルがあるかどうかもわからないよ、名前は【MTC Yoshida】だったはず、ボトルがなかったら、別の店に移るかもね……」
  小ママ「それは困ります、ボトルを探してきます、それから指名の女の子は誰かいますか」
  吉田「いないよ、君にまかせるよ」

しばらくして小ママが二人のホステスを連れてやって来た。
小ママ「ボトルはありましたよ、これでしょう、年月が経っているのに少しも減っていませんね」と皮肉を言われる。ラベルを見たら、四年あまり前の在タイ時に入れたもので、まだ半分近くも残っていた。

  四年前の物を、それも一年半も手をつけていない安ボトルをキープしてくれていたのはありがたかった。それからは、ホステスに「ナーイハーン、ゲーンマーク」とお世辞で褒められているのに気をよくして、下手なド演歌を蛮声を張り上げて歌って、カラオケ店を後にした。



  以上の五話は帰国後にタイへ行った時の実話である。これ以外にも、食べたはずの料理が計算に入ってなかったり(その逆もある)、コースの途中で前の二組が一緒になり七人組に変わり、その後でプレーさせられてガックリきたり、再予約して2~3日後に戻ってみるとホテル予約が消えていたり、地下鉄の冷房が冷えすぎて風邪を引いたり、在タイ時によく外れていた歩道のコンクリートブロックは相変わらずよく外れていて躓いたり、等など、タイならではの事情によく遭遇しアンハッピーな時もあるが、今まではハッピーな方か断然多い。

  さて、私が勤めていた会社には、ニューヨーク、デュッセルドルフをはじめ、アジア地域も含めて世界各地に現地法人や支店、駐在員事務所があった。しかしそこに駐在した人達で、帰国後その国の魅力(?)に惹かれて再度その国を訪れる人が多いのは、なんといってもバンコックが一番である。ニューヨークやジャカルタなどへわざわざ遊びに行く人のことは余り聞かないし、せいぜい行ったとしても、一回だけのセンチメンタルジャーニーであろう。

  私は平成八年にタイから帰国したが、多くの在タイ経験者やJTBFの皆さんと同じように「タイ大好き人間」になり、その後毎年タイへ出かけゆったりとしたタイ社会の雰囲気を楽しんでいる、もっとも古希を迎えてからは残念ながら少し減少気味ではあるが、、、。

  私も含めてそこまで在タイ経験者にタイに拘る人たちが多いのは何故だろうか?と考えてみた。

  「タイ料理と南国の果物が美味い、物価が安い、ゴルフ環境がよい、観光地が多い、タイ人は性格が温和で日本人と合う、微笑の国である、仏教徒の国である、自己主張を好まずシャイなところが日本人に似ている、エトセトラ、エトセトラ、、、」が日本人をタイ好きにする理由だと一般に言われている、少し誤解されている点もあるようだが、ほぼ正しいと言え、タイの魅力の一部であること事には間違いない。

  しかし私はこれだけではなく、これらに加えてタイの社会システム全体に人々を惹き付ける魅力がある、即ち人間の本能をくすぐる文化(?)があるのが一番の理由だと思っている。それは「タイの社会は日本のように規律や道徳が厳しく適用される社会と違い、比較的自由な社会で、誤解を恐れずに言うならば、よく言えば、融通が利く社会、穏やかな社会、ギシギスしていない社会であり、悪く言えば、しまりのない、ユルユルの、まあそんなカタイ事は言わないで、の社会であり文化である」からではないだろうかと思う。

  一方、日本社会では、漢字を読み間違えるのは論外としても、「首相が即興でプレスリーの真似をするのはケシカラン、高級ホテルへのラウンジへ頻繁に出入りするのは庶民感覚とかけ離れている」とマスコミは騒ぐし、役人達は「年取った人は運転する車に紅葉マークを張りなさい」と余計なお世話をしてくれるし、「これからは年取った方は年齢で区切って呼び方を変えますよ」と勝手に人を品物のように呼び名をつけて仕分けしようとする。我々一般庶民もまた何事か起きるすべてお上のせいにしたがり、お上に頼り、法律での規制を望み、無意識のうちに型に嵌められているのを知らないでいる。こう言う所が日本社会とタイ社会が決定的にちがうところである。

  タイ人は自分自身に利害関係がなければ、世の多少の不条理は受け入れる人種である、日本人のように不条理をぼやき、それに立ち向かう正義漢は少ないようである。(ただ先般のPDAの運動だけは理解に苦しむが、、、)自分も干渉されたくないかわりに、他人への干渉もしたくない、という自由を好むタイ人の性格によるものだと思う。

  経験例の一つを挙げると、石油化学建設がスタートした頃のラヨン県のマプタプット地区は、バンコックの人にとっては不便で陸の孤島に近かったことと、福利厚生に会社間に差が出て採用した社員の引抜や移動を互いにし防ぐために、先発石油化学4社ではそれぞれが社員の転勤用と新採用人員確保のため、従業員社宅の建設を検討していたが、4社とも没になってしまった。理由は社宅にみんなと一緒に住むより、住宅手当を支給してもらい自分の好きな家やアパートを探して自由に住みたいと言うのが彼等の希望で、その通りになった。

  標準的な日本人と同じように、私もいろいろな社会規律の中で自己を律して生活してきており、それを当然のことと思っているし、日本人は社会も他の人も全体がそうあることを期待している。しかしタイ社会を知ってから、日本社会は融通性が無く、建前に拘り、窮屈なガチガチの社会になっているのではないかと感じるようになった。規則正しい日常生活からのささやか反動かもしれないが、その枠から一時的、つかの間でもいいから逃れたいという人間の本能、深層心理が私を日本社会と違った穏やかな、また比較的自由度の多い社会のタイへ行かせる理由だと思っている。

  熱力学第二法則【エントロピー拡散の法則】というのがある、50年以上も前に学んだことなので理系的に数式で表現する方法は忘れてしまったが、文系的に表現するならば;
「物事は全て秩序ある状態から無秩序な状態へ移ってしまい落ち着いた状態になる。即ち自然のままにしておくと整然から雑然へ、確実から不確実へ、不安定から安定へなどと、エントロピーが低い状態から高い状態へ変化していき、これは外部からに力を加えないと決して元には戻らない(不可逆工程)」の事を言う。

  我々の人間社会は全てこの【エントロピー拡散の法則】を可能な限り食い止めて、諸々の社会秩序と生活を維持するために、莫大なエネルギーを使ってきているとも言える。例えば水とインクが別々のコップにいれてある場合はこの状態はコップという枠があり水と言う状態とインクと状態の秩序が保たれエントロピーが低い状態であるが、この二つのコップの中身を枠を外して別のコップに入れると、水とインクは別々には存在し得ず、インクと水が混ざり合った液体になり安定し、エントロピーの高い状態になり、化学的または物理的な力を外部から加えないかぎりインクと水が再び別々になることはない。警察がなくなると泥棒が増えるのも【エントロピー拡散の法則】である。

  これを敷衍して大きく言えば「全てのものは放置しておくと拡散しかない、形あるものは全て崩れ、地球も宇宙も拡散し続けいつかは終焉する、収縮はありえない」と言うことである。

  これにあやかって「私のタイ行きは森羅万象の真理であるこの【エントロピー拡散の法則】に従って、枠がきつい低エンタルピーの日本から、比較的に枠がゆるい高エンタルピーのタイへ「拡散」しているだけのことであり、自然の法則かなっている」と理屈を勝手につけている昨今である。

  ただ、同法則自体は「不可逆工程」で後戻りはないが、私の場合は幸か不幸か、「可逆工程」であり、タイから帰ると枠が厳しい日本の日常生活に戻り、融通は利かないがトラブルに巻き込まれることが少ない日本社会で「清く、正しく、美しく」建前が優先される社会で生活しているということになる。

  タイ行きは、私の目から見れば枠が少しゆるい高エンタルピー社会での一時的な非日常生活であり、枠がきつい低エンタルピー日本での日常生活からの、自然の法則に沿った「拡散」なのである。


(元バンコック日本人商工会議所理事、元三井東圧化学タイランド社長)