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バックナンバー 2009-08

「日・タイ随想」

No.35 2009/8/01

タイ、最近の鉄道事情

JTBF会員:加藤 寛二
2009/8/01

  2月のJTBF訪タイミッションに始まり、5月、7月と今年三度のバンコク訪問をした間に、街中の見聞やタウン情報誌、および泰国日本人会発刊誌(クルンテープ)等から得た情報に基づき、最近のタイの鉄道を中心にした話題を拾ってみた。


1.エアポートリンク

  スワンナプーム空港とバンコク中心部の間で旅行者をピストン輸送するエアポートリンクの建設計画は、王妃の誕生日である8月12日のオープンを目指していたが、残念ながらというべきか、やっぱりというべきか、試運転が12月5日へとずれ込み、正式にオープンするのは来年3月の見込みとなったとの情報を目にした。

  エアポートリンクの路線はスワンナプーム空港から数キロメートルを北に走った後、ほぼ直線的に東から西に走りパヤタイ駅まで達する28.6キロメートルであり、ここを特急タイプの列車と普通タイプの列車が走るという。特急タイプは「エアポートエキスプレス」、普通タイプは「シテイライン」と呼ばれる。

  特急タイプの列車はスワンナプーム空港から途中のマッカサン駅までノンストップ、15分で走り、この駅で終点となる。普通タイプの列車はスワンナプーム空港からパヤタイ駅まで各駅停車で走り、パヤタイ駅でBTSに接続する。

  つまり、パヤタイ駅には特急は来ないので、空港に行くには、途中のマッカサン駅でエアポートエキスプレスに乗り換えるか、普通列車シテイラインでとことこと(と言っても27分間で)行くかのどちらかになる。

エアポートリンク路線図

  料金は特急が150バーツ、普通列車が30~50バーツと発表されている。

  最高速度は時速160キロと発表されているので、タイで最も高速で走る列車となる。スワンナプーム空港駅は空港ターミナルの地下二階にある。ホームは二つあり、特急と普通では料金が違うので、それぞれ別のホームから乗車することになると予想される。

  エアポートリンクの車両は二種類あり赤色の帯が入っているのが特急用、青色のおびが普通用とのこと。どちらもBTSや地下鉄と同じくジーメンス製の車両であるが、BTSや地下鉄との違いは電気を架線からとるためパンタグラフがついていることである。BTSや地下鉄の電線は線路の横に設置されているため、パンタグラフはついていない。線路の横から電気をとる方式では最高速度は時速100キロぐらいまでしか出せないらしいので、160キロでの走行を予定しているエアポートリンクは、架線から電気を取る方式になったと思われるとのこと。

  初めて訪れた国でタクシーに乗るのは心細いものだが、鉄道があれば心強い。

  エアポートリンクには旅行者の安心感と、渋滞がないことにより時間がきっちりと計算できる等のメリットが期待される。

  しかし、識者によれば、特急列車の終点となるマッカサン駅が他の鉄道と接続しておらず、道路の状態もよくない等の問題点が残っているという。マッカサン駅周辺の道路整備、市内各地へのシャトルバスの運行、地下鉄、BTSとの乗り換え通路の整備などを真剣に考える必要があると指摘している。


2.バンコク高速鉄道(BTS)

  1999年12月5日に(国王誕生日)に開業したBTSは、オープン当初から2~3年ほどは乗客が少なく、比較的簡単に座席に坐ることができたが、最近は日本の電車に乗った時の状況に似て座席の近くに場所を取ることがそう簡単ではなくなってきた。

  サイアム駅では夕方は長い列をなして待つ人でごった返しているという。このような状況が影響した為か、最近交通網整備が俄然活発になって来ている。

  運輸省交通計画事務局は5月25日、BTSの建設予定を従来の10路線から2路線を加え12路線467キロメートルへと拡張したことを発表した。総建設費8,000億バーツで、来年より3段階に分けて建設し、2029年に全路線開業を目指すそうだ。

  スクンビットのソイ105からサムットプラカーンまでの12.6キロメートル、モーチットからサパンマイまでの11.4キロメートルの建設は第一優先度に入れられている模様である。

  一方、サパンタクシン駅からチャオプライヤー川を越えてクルントンブリーへと通じるBTSの延長運行が最近開始されたが、その周辺のコンドミニアムや土地の売買が活況になっているとのニュースもある。


3.バンコク路面電車

  今回の寄稿のための調査の過程で、昔、バンコクに市電が走っていた事を知ったが、これは筆者にとって全くの驚きであった。何時から運行を始めたかは定かでないが、1968年に営業を停止したとの事である。

  JTBF広報委員長の奥村氏に依頼して、路面電車のことを知っている人を探していただいた結果、JTBF副会長吉川和夫氏から詳しい情報とともに、驚いたことに写真まで入手していただいた。吉川氏のご了解を得て、提供していただいた写真とコメントをそのまま、引用させていただくことにした。

昔のバンコク市電  『最初の赴任の頃、乗らなかったが旧市街の道路で路面電車を毎日見ていました。小生が Yawaraj Road で撮ったスナップ写真がありましたので、ご参考に送付します。

  最盛期には7系統計42キロ運行していたと言われますが、小生の記憶しているのは Charoen Krung Road (別名 New Road) とYawaraj Road と Silom Road のものです。眠っているような運転手の顔が今でも記憶に残っています。

  長さ7メートル程度の小さい車両でしたが、真ん中で仕切り、片側が1等で席にマットが敷いてあり、確か1バーツ、2等座席は板敷き席で50サタンだったと記憶します。

  開通は19世紀末です。バンコックーアユティア間の列車が1896年に開通しており、ほぼ同じ頃、路面電車も開通しました。

  路面電車とは別にホアランポン駅とパークナム(サムットプラカーン)を結ぶ私営の電車が2両連結で、のんびり走っていました。今のラマ4世路を走り、トヨタの工場前は Old Railway Road と称している様に、今でも名残を留めています。

  パークナム線、路面電車、人力三輪車 共に、クルマ交通の邪魔になると、人力三輪車を手始めに、1960年代に次々に撤去されて行きました。1960年前後、ダイハツのミジェットが日本で使われていたので、これを輸入改造して人力三輪車に取って代わったのですが、現地向きの構造ですから、50年経っても生き残っています。』


4.オリエント急行

  バンコクからシンガポールまでオリエント急行が運行していると聞いたことがあるので一度試しに乗ってみたいという好奇心に駆られて調べてみた。

  オリエント急行の歴史は1883年のパリ-イスタンプール間の走破に始まる。

  現在では「ベニス・シンプロンオリエント急行」「アメリカンオリエント急行」「チャイナオリエント急行」などの名称でヨーロッパ、アジア、アメリカ各地でそのサービスが展開されている。

  アジアのオリエント急行と銘打ってシンガポールからマレー半島を縦断してバンコクを結ぶイースターンオリエンタル・エキスプレス(E&O)の運行が始まったのは1993年9月のことである。

  オリエント急行と言えばアガサクリステイー原作の映画「オリエント急行殺人事件」で観たあの豪華な内装で高級ホテルなみの列車が印象に残っているが、E&Oでもそのような列車が使われているのだろうか? また、映画に出てきたバー車両や展望車はあるのか? などの疑問点が残る。

  入手した資料によれば、列車最後尾のバー車両も、展望車も、そしてバー車両と展望車の間のカクテルラウンジもあるらしい。この豪華旅行列車がフアランポーン駅から渋滞のペップリ通りをゆっくりと横切ってシンガポールへ向かっている。そして、列車内ではヨーロッパの「オリエント急行」と同じ雰囲気とサービスが提供されているらしい。

  但し、問題は料金であるが、3種類の客室のグレードによって値段が異なり、バンコク発シンガポール行き(3泊)で2,210~4,420US$と言う。片道約40万円といえば、ペアで乗れば80万円もの負担となるというので、乗って見たいと言う意気込みは殆ど癒えてしまった感がある。

  しかし、考えてみれば、超高級ホテルに3泊し、且つバンコクからシンガポールまで運んでもらえるのならリーズナブルな価格と言えなくもない。


5.隔世の感

  「遅遅として進む国」と揶揄されてきたタイ国ではあるが、BTS開業からほぼ10年が経ち、その数年後の地下鉄開業と相まって鉄道網整備は、「遅遅」ではあるが格段の進展を遂げ、市民や旅行者は大きな利便性を享受できるようになって来ている。

  鉄道網整備と併せて道路網整備の進展は、バンコク周辺の一昔、二昔前の交通事情を知る者にとっては正に隔世の感を抱かせるものがある。

  更に将来、タイ国主要都市間に高速鉄道が敷設され、地方都市発展に寄与出来るようになることが、タイ国が発展途上国から抜け出すきっかけになるのではないかと期待する者である。


(元富士通タイランド社長)