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バックナンバー 2009-12

「日・タイ随想」

No.39 2009/12/01

クメール世界遺産をめぐる対立

JTBF会員: 上東野幸男
2009/12/01

世界遺産(文化、自然、複合)は1972年ユネスコ(国連教育科学文化機関)総会の決議により1978年初めて12件が認定登録され、現在890件存在している。内訳は文化遺産が689件・自然遺産が176件・複合遺産が25件で、歴史のあるヨーロッパに多い(イタリア44、スペイン41、フランス33、ドイツ33、中国38件)。

本来世界遺産は環境や景観の維持保存が最重要であるので、開発や破壊などで危機遺産に指定されたり、登録抹消もでている。また観光振興や国威高揚などの目的での申請もあるが、最近は審査が厳しく、登録件数は減少気味である。日本の世界遺産は14件で、2007年の石見銀山(文化)が最新であるが、登録に際して「銀山の地下の遺構を保存するため発掘を進める」ことが勧告されている。

インドシナ半島では、タイ王国5件、ベトナム5件、カンボジア2件、ラオス2件である。中でもカンボジアはアンコール・ワット(92年・文化遺産)を国旗にも表示しており、更に同じクメール遺跡であるプレアビヒア寺院も2008年に登録されている。


タイ王国の文化遺産はスコタイ(91年)・アユタヤ(91年)・バンチェン遺跡(92年)の3件で、自然遺産はファイ・カ・ケン野生動物保護区(91年)・カオヤイ国立公園(05年)の2件である。アンコール王朝は最盛期(12~13C)には東南アジア最大の帝国としてベトナム中南部・ラオスのビエンチャンからタイ王国のスコタイ・アユタヤまで支配していた。タイ国内には130カ所のクメール遺跡があるためタイ国民には自国の遺跡として違和感がないのである。

07年には、タイのアンコールワットと称されるピマイ遺跡(ナコンラチャシマ県)やパノムルン遺跡・ムアンタム遺跡(いずれもブリラム県)をユネスコに申請したが登録されなかった。しかも早まって「世界遺産に登録された」と国内外に発表し、面目を喪失した。


ところが その翌年(08年)タイ国内ではカオプラウイハンと呼んで馴染んでいるプレアビヒア寺院がカンボジャの世界遺産として登録されたのでタイ国民感情は穏やかではない。しかも寺院はカンボジア領土内と認められている(国際司法裁判所)が、断崖の上にあるためタイ領土から訪れなければならない。長年のタイとカンボジア両国間の国境問題やプレアビヒア寺院申請での両国の約束などは不詳であるが、当時のタイ王国ノパドン外務大臣は「カンボジアの世界遺産登録を了解したのは憲法違反である」との判断により辞任し、寺院周辺には両国の軍隊が出動・発砲する事態になり、この対立は1年以上の現在まで尾を引いてきた。

更に最近のタイ国の政治情勢とカンボジアとの関係はこの問題をますます解決困難にしている。06年9月クーデターで海外逃亡のタクシン元タイ首相は史上最強首相と称されるとおり、未だタイ王国への影響力は強く(反タクシン派と親タクシン派の対立)、08年末成立のアピシット政権不安定の主因になっている。今年4月のパタヤでのアセアン・東アジア国際会議が親タクシン派UDD(赤シャツ)のデモで中止に追い込まれてから特にアピシット政権はタクシン氏を敵視している。従ってタクシン時代の対外協力案件等は後回しで、タイ国内経済回復を最重点としている。

これはカンボジアにとっては、期待したタイ王国との経済協力(タクシン時代の案件)も停止されて、タイ現政権に対し更に不信感を増大するものである。その中で、10月末カンボジア政府は「タクシン元首相をカンボジア政府とフン・セン首相の経済顧問に任命」、更に11月タクシン氏を数日カンボジアに招待した。この結果両国は相手国駐在大使の召還など一層対立が深まり、11月国際会議(日本メコン首脳会議/東京、APEC/シンガポール)でも両国首相は反目して直接会談は行われなかった。


両国の対立は政治や国境問題が複雑に絡んでいるが、世界遺産はユネスコ(国連教育科学文化機関)が認定し、維持・保存・修復が最重要である。アンコールワットでは長年日本ほか各国が支援協力している。近い将来、プレアビヒア寺院の保存・修復にタイ王国が資金・人材を提供し、協力事業として推進することを切に希求するものである(世界遺産に登録されてもユネスコからは保存修復の資金は出ない)。


(ロングステイ財団政策審議委員)