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バックナンバー 2010-02

「日・タイ随想」

No.41 2010/2/01

バンコクからの帰国子女 ミュー

JTBF会員: 豊田 資則
2010/2/01

 ミューは我が家の猫である。去る9月16日に18歳と4カ月の命が燃え尽きたらしい。らしいというのは、16日の朝常時の様に女房に外に出して貰ったまま帰ってこない。昔からの言い伝えに猫は自分の命が燃え尽きようとすると、自ら身を隠すという言い伝えがあるが、まさか内のミューが同じことをするなんて夢にも考えなかった。

 今から18年と4か月前、我が家の溝に捨てられていた猫を朝、学校に行くので家を出た娘が持って帰ってきた。ちょうど永年飼ってた犬が16歳であの世に行ったばかり。5月にしては結構、寒い朝、溝で濡れた身体で唯「ミューミュー」啼いていた。目もろくに開いておらず、あまりに寒そうなので女房が懐に入れてその日は終えた。元々犬党の我が家で猫を飼うなど考えたこともなかったのだが、犬が死んですぐ又新しい犬を飼う勇気も出ないまま、其のままこの猫は家に居着いてしまった。

 いわゆる雉猫といわれる日本古来の一種、初めて娘になった時、近所の医者で不妊手術を受けさせた。このミューが居着いて1年程経った時、やっぱり犬が欲しくなった。偶々、信州へ旅に出た際、通りがかりのペットショップで、ミニチュアプードルを衝動買いしてしまった。帰りの道中、車酔いが心配だったが、無事犬は家まで帰ってきた。丁度3カ月の子犬だった。

 ハムスター程度故、若し猫に食われちゃ、と心配し、犬をケージに入れた。ミューは珍しがってケージの上に乗って下を窺う。2カ月ほどそうやって犬が猫と略同じ大きさになった処で外に出した。衆人環視の中、ミューは犬にどうという事もしない。

 餌は当然異なるが、犬も猫のほうが先輩と踏んだらしく、猫の餌には手をつけない。その内、犬がミューにじゃれかかるようになった。犬がミューに覆いかぶさろうとすると、ミューはすぐ仰向けになる。どうするのかと思ったら、仰向けになって犬に下からパンチを出す。昔モハメドアリと猪木が戦った猪木のポーズを思い出してもらえばよい。

 その内この犬がミュー同じように横っ跳びはするは、朝は背中を伸ばして伸びをする。我々が留守にするとソファーでミューと犬がくっついて眠っている。その内犬の散歩にミューが付いてくるようになった。この犬と猫の連れだっての散歩は近所でもちょっとした評判だった。

 そんな折、社命でバンコク駐在が決まった。支店の人事担当に聞いてみると社宅にはずいぶん立派な家具があると云う。可愛い盛りではあるが、ひょっとして犬が社宅の家具をかじると大変だ、という事で、泣く泣く人様に譲り受けてもらった。猫は餌さえ与えておけば、格段の世話もいらぬという事で日本に残る娘たちが世話をしてくるという、女房と二人でバンコクに赴任した。

 社宅は確かに広い、公的部分と私的部分合わせると600㎡もある。唯、家具は電話で聞いたほど凄いものでもない。こんなことなら犬を連れてくればよかったと思ったが後の祭り。差し上げた人に今更返せともいえぬところがちょっとつらい。

 熟年を過ぎた夫婦、親父は仕事と称して、日本からひっきりなしに訪れる接客に忙しい。タイ語が出来ない女房は女中とすら上手くコミュニケーションが出来ない。外に出るのも会社から指し回されるファミリーカーが週に2回、行く所とて碌にない。そんな生活が半年続き、女房が半分ノイローゼになりかかった。そんな折、娘がミューをバスケットに入れて連れて来た。ミューは日本語が分かる。その分、女中とよりコミュニケーションが出来る。お陰で女房は前より元気になった。

 駐在が始まって1年も経つと、女房もそれなりにタイ語も覚えるし、日本人会の婦人会の仕事も忙しくなってきた。ミューは女中から餌は与えてもらえるが、会話が出来ない。社宅の広さは東京の家の自分のテリトリー以上の広さはある。でも土がない。夕方になると公的部分に行く廊下を脱兎のごとく走ってそれなりに運動はするが物足りない。駐在生活が6年、猫にとって5年目のバンコクの生活は結構ストレスが溜まったようだ。少し異常に毛が抜け始めた。

 そんな折、タイの友人が態々英国まで足を運んで手に入れて来たウエストハイランドホワイトテリアに子が出来たと、一匹子犬をくれた。この犬には面白い話がある。タイの友人はオスはアメリカ産のを一匹持っていた。どうしても子どもを増やしたく、英国までメス犬を求めに行った。面接があって職業やら、収入やら家族構成やら聞かれ、無事メス犬を求めることが出来た。その後別のタイ人実業家がやっぱりこの犬にほれ込んで自分も買いたいと思い英国に赴いた。略同様の質問を受けそれなりに答えたが、犬は譲って貰えなかった。理由を聞くと、貴方は忙しすぎて到底犬の面倒を見れると思わない。それが断られた理由であった。

 そんな大事な犬の子だから、唯欲しいという人にあげる訳にはいかなかったらしい。女房がこのタイの友人の所に遊びに行った時の、犬への接し方とか、本当に犬を愛してくれるかどうかなどを、結構チェックしていたらしい。そろそろ日本に帰るという時期、この友人が我が家なら大事にして貰えそうだからといって、子犬を一匹くれた。家にはミューが居たが、既に経験済み、今度は子犬をケージも入れず一緒に飼い始めた。この時ミューはすでに11歳、人間でいえば老境に差し掛かった処。それでも又この犬を教育してくれた。

 犬が来て一カ月後6年の駐在に終止符を打つ時が来た。犬は3カ月、猫は11歳での帰国である。猫が滞在中に、日本の検疫が変わり、今まで犬だけだった検疫が猫も受けなけらばならなくなった。帰りの飛行機は、犬はどんなに小さくても荷物室、猫は籠に入れれば客室でOKという事であった。飛行機の客室は平地と比べ大分気圧を低くしてある。この気圧の変化に犬より猫の方が敏感らしい。その為、飛行機に乗る前に鎮静剤を注射することになった。タイの獣医もあまり経験がなかったらしく、一度予行演習という事で飛行機に乗る一週間前に鎮静剤をテストした。予定通り2時間から3時間経って効いてきて、これなら大丈夫ということで、本番の飛行機に乗る3時間前に獣医に連れて行って注射をした。

 飛行機に乗って暫くたっても鎮静剤が効いた感じがしない。荷物棚でミューミュー啼いてる。心配になって棚から降ろして籠を開けた途端、ミューが飛び出した。一瞬、猫が客室内を走る回る光景が目に浮かび、真っ青になったが幸いスチュアデスを呼ぶまでもなく、2-3席後ろで取り押さえることが出来た。

 所が成田に着いたら、どうも薬が効いてきたらしく、なんとなくふらふらしてる。一方荷物室に入れられてた犬は、荷物受取所に現れるや、主人を求めて空港中に聞こえる位吠えまくっている。興奮しているせいもあり、私や女房がいくら声かけても、吠えるのをやめようとしない。犬のケージの上に猫の籠を置いた途端、猫が「ミュー」と一声啼いたら、犬が吠えるのをピタッと止めた。

 別室の動物検疫所に着いたら、猫はふらふら、犬はキャンキャン。さすがの検疫官も老猫と幼犬を2週間の検疫に入れるのはちょっと考えたらしい。2匹纏めて自宅検疫という特別措置を講じてくれた。薬の所為とは言え、猫の演技力さまさまであった。この時の検疫官の質問、
 ①この2匹を隔離する部屋はありますか?その広さは幾ら位ありますか? 答え、あります。6畳の板の間です。
 ②この部屋は鍵がかかりますか? 答え、 鍵はかかりませんが、ドアですの閉めたら犬、猫は自分では開けられません。
 ③ワンちゃんと猫ちゃんの運動場はありますか? 答え、運動場はありませんが、部屋はあります。
 その部屋はどのくらいの広さですか? 4畳半です。
居住区より運動場の方が狭いなんて考えられないところ、その辺はお役所、形式要件が整っていたので、お許しを頂いて2匹とも成田から直接家に連れて帰ることが出来た。

 それから5年、犬と猫にとっては快適な日本、猫の抜け毛も2-3カ月で嘘のように無くなった。犬との散歩に猫が付いてくるという図式も犬は違っても復活した。ミューにとっても犬にとっても平穏な5年間だった。

 所が仕事で我々夫婦がヨーロッパ旅行中、犬が階段から落ちた、それ以来なんとなく様子が変だ。そんなことで近くの獣医に見せたけど異常なし、レントゲンも異常なし。念の為にとステロイドの注射を2本された。私が仕事から帰ると、犬の様子がおかしい。翌日の土曜日早めに犬を件の獣医さんに連れていったら、またステロイドの注射を今度は3本、其の他に大きな水の注射を皮下に3本、先生、昨夜ステロイドで苦しんだのに大丈夫ですかの、問いにも大丈夫、寧ろ炎症を抑えますから、と。それから家に帰って15分後あまりに苦しがるので再度医者に連れていく車の中で、敢無く昇天。獣医からは詫びの言葉もなく、確かに亡くなってますね、の一言だけ。

 ミューもバンコクから一緒に帰って来た盟友が死んだことはわかったようで、箱に詰められて横たわってる身体をクンクンと匂いをかいでのお別れ。子供に先立たれた母親の気持ちをほんのちょっと味わった風であった。

 元々犬好きの我が家は、若いのに突然旅立ってしまった犬が暫く忘れられず、家族全員がちょっとしたペット・ロス症候群。それでも2年もすればそれも自然に癒え、ある時よったペットショップで滅多にお目にかからないスタンダードプードルの子犬を見つける。歳とったミューに又面倒見させるのをちょっと躊躇ってはみたが、結局子犬の可愛さに勝てず、一週間後に引き取りに。

 それからがミューの地獄の始まり。子犬でもミューより体の大きい犬はミューを見つけると、遊ぼうと追いかけ回す、最初は2階に避難していたが、犬も二階に上がるのを覚えると、居場所がない、家族の注目はどうしても子犬に注がれる。ミューにしてみれば、もう私の居場所なんかありゃしない、と思ったに違いない。其のまま姿を消したミューが哀れで、自分の薄情さを悔いて見たが始まらない。今は唯、静かにミューの冥福を祈るばかり。合掌

(元伊藤忠タイ社長)