Logo of JTBF
トップ・ページ  バックナンバー・リスト
文字サイズ: 

バックナンバー 2010-05

「日・タイ随想」

No.44 2010/5/01

沙羅の花いろいろ、人生いろいろ
-タイの人々はどうして、サバイ、サバイなのか


JTBF会員: 深海 八郎
2010/5/01

祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
おごれる人も久しからず、唯春の夢のごとし。
たけき者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。

有名な「平家物語」の冒頭の文章です。声にだして読んでみたい日本語の文章の筆頭株でもあります。世の中ははかなく、うつろいやすく、せつない、この日本人のDNAとなっている無常観を鮮やかにわれわれの脳裏に刻み込んだ名文句として忘れられない文章であります。ひょんなことから沙羅の木にめぐり合ったときに先ず思い出したのが、この文章でした。

昨年雨季の真っ最中の9月に久しぶりにバンコックを訪れました。目的は1995年から4年間駐在したタイ現地法人NYKグループのOB会が毎年開催しているゴルフ・ツアーへの参加でしたが、懐かし現地の友達と旧交を暖めるためでもありました。彼らが準備して待っていてくれたのは夏の宮殿で知られるバン・パイン・パレス(BangPa-in Summer Palace) の観光とアユタヤ方面での食事というメニューでした。何度かお客様を御案内したことがありますが、ゆっくり観光の目的で訪れるのは初めてでもあり、途中のドライブで郊外の発展振りを見るのも楽しみでした。
先ず案内されたのがパレスの直ぐ横にあるワット・ニウェート・タマプラワット(Wat Niwet Thamaprawat)、予期せぬ初めての訪問でした。巡らされた堀を超えるのに、日本では谷越えの材木を運ぶような、珍しい手動のケーブルカーに乗りました。伽藍は壮大ですが、建物は古く修復工事も多く、何故こんなところを案内してくれるのか良く判りませんでした。ところが中心部に近づくにしたがって、従来のタイの寺院では感じられない明るく開放的な雰囲気が醸し出されて、改めて周りを見直して見て驚きました。まるでキリスト教の教会のような尖塔をもった建物が講堂で、中には見慣れたタイの金箔の仏像が鎮座していますが、窓ガラスはステンドグラスで、今までのタイのお寺とは全く違う趣になっているのに気がついたのです。慌てて案内書に目を通すと19世紀の半ばにラーマ四世が再興し、チュラロンコン王ラーマ五世が完成したとあります。西洋の文化を取り入れるために立てられた寺院、その影響が具現化された寺院であることが納得できました。
その講堂の前の大きな樹、それが沙羅の木でした。プレートに「Sala Tree」と書かれていました。そのプレートが無ければ判らなかったでしょう、初めての沙羅の樹との出会いです。
「ああーこれが沙羅双樹の木か?」と思わず日本語で呟きました。それを聞いたタイの友人が「沙羅」という言葉を聞き咎めて、「この木を知っているか?」と聞く。「当然だ。俺は仏教徒なのだ。」と応じる。「お釈迦さまはこの樹の下で死んだんだよ。」と説明すると、「ええ、何で知っているの・・・、その通り!」と驚いている。ここで改めてお互いに仏教徒であることを再確認するようなことになりました。
沙羅の樹は見上げるような大木でした。如何にも熱帯の樹のように青々と生い茂り、大きなぽっちゃりとした鮮やかな赤い花が咲き乱れています。この木が二本並んで双樹となれば涼しい木陰もできて、この綺麗な花の下で穏やかにお釈迦さまが往生されたのかと思うと、敬虔な仏教徒でもない私でも、さもありなんと思わず合掌したくなるような雰囲気を感じました。

お釈迦様に纏わる三大聖木があると知ったのは、その後の勉強の成果です。ルンピニ公園でマーヤ王妃がお釈迦さまを生誕されたのが無憂樹の花の下、悟りを開かれたのが菩提樹の下、そして入滅されたのが沙羅双樹の下ということです。
その沙羅の木が京都にもあると聞いて訪れたのが、妙心寺の塔頭東林院、沙羅双樹の寺として有名だとか。残念ながら花をつけるのは6月ごろから、別称夏椿といわれる所以でもあります。朝咲いた花は夜には散るというので「一日花」とも言われているようで、いかにも日本人好みの可憐な白い花ですが、調べてみると昔熱心なお坊さんが日本に沙羅の木がないのがおかしいと探し回って見つけたのがこの夏椿だというのです、従って全くお釈迦さまとは関係のない花ということになります。

それでは本物の沙羅の木はないのか、インターネット情報で探してみました。在りました、インド原産の沙羅の木でフタバガキ科という、学名Shorea robusta。熱帯植物ですから植物園の温室で育てられ滅多に花を咲かせないそうですが、珍しく滋賀県の水生植物園で花が咲いたとして写真が添えられていました。見るとランの花のようで白い小さな花がたくさん咲きそろっています。葉っぱも熱帯樹のように大きくて青々してお釈迦さんの花にふさわしい雰囲気は持っているようです。

私が沙羅の花に興味を持っているというのを知っていたタイの友人からメールが入りました。タイにも二種類の沙羅の木があるというのです。先に見た沙羅の木は「Lanka-Sala Tree」と言って仏教に関係のある木とタイでも信じている人が多いのですが、本当にお釈迦さまに関係のある沙羅の木は「India-SalaTree」と言って別物であるというのです。写真で見る限り上述の水生植物園の花と似かよっていて、学名もShorea Robustaとあります。林となって群生しているようで添えられた写真でも如何にもお釈迦さまが辿り着いた沙羅の樹林の趣は伝わってきそうです。

ネット情報によると仏教国ネパールにも黄色い花をつける沙羅の木があるという。沙羅の花はインドから仏教の伝道に従って各地に沙羅の花を咲かせてきたようです。

今年の二月、再びバンコックを訪れ、今回はゴルフの傍ら書店と沙羅の木があるというワット・ポーを歩き回わりました。残念ながら新たな沙羅の木は見つけることは出来ませんでしたが、仏教の書物には触れることができました。
タイ語では小さい子供の絵本から専門書まで実に沢山の仏教書がありましたが、読めないので自分には何の役にも立ちません。辛うじて英語の専門書を数冊仕入れましたが、この中にお釈迦さまが入滅されたクシナガーラの最近の沙羅の林の写真が見つかりました。(by Nikkyo Niwano 「Shakyamuni Buddaha」)
お釈迦さまが入滅されたのは480B.C、80歳の時だと、言われています。それから二千数百年経った現地現物の写真ですが、本物の沙羅の樹林でしょう。漸く沙羅の木の本物に出くわせた様な気分になってきました。いつかインドのお釈迦様の遺跡を訪ねてこの目で本物の沙羅の樹を確かめてみたいものだと思っています。

タイの人々も仏教徒、日本人も仏教徒、お釈迦さまの教えはそれぞれのルートを通じてインドから各国へ広まり伝えられてきました。その経過の中で同じ仏教でありながら、沙羅の花のようにいろいろ変化をしてその土地になじめる宗教になって引き継がれ信仰されているようです。4年間の駐在で知ったあのタイの人々の陽気で明るい、サバイ、サバイの精神もこの仏教信仰と大いに関係していることは明らかなようですが、しかし我々仏教国日本としての日本人とどうしてこうも違うのであろうか、それはまた一体どこからきているのであろうか、なかなか興味は尽きません。もう一度日本人の人生観と比べながら検証してみたいものだと思い始めています。人生いろいろ、沙羅の花いろいろ、出来たらサバイ、サバイとこれからの余生を楽しく過ごしたいものだと想い描くこの頃です。


(元NYKタイランド社長)