Logo of JTBF
トップ・ページ  バックナンバー・リスト
文字サイズ: 

バックナンバー 2010-06

「日・タイ随想」

No.45 2010/6/01

JTBFのこと、訪タイミッションのことなど


JTBF会員: 渡辺 和彦
2010/6/01

JTBFに入会して5年近く経った。過去、デユッセルドルフ、ニューヨーク、バンコクと駐在員生活を送ったが、どの国でも滞在中に親しくなった同胞がいる。帰国後も付き合いが続いていて、年に1~2度は集まって食事をしたりゴルフをしたりしているのだが、その中でタイ時代のそうした仲間が圧倒的に多いのである。

バンコクの日本人社会が濃密であることも一つの理由であろうが、駐在時代の良い思い出を沢山持ち、懐かしさを共有しようとする気持ちが大きいのではないかと感じる。当時の駐タイ大使を囲む会が二つ、大学の体育会バンコク駐在OBの会(帰国後も続いている!)、バンコクOBゴルフ東西対抗、そしてJTBF。最初はJTBFも単にそうした集まりの一つなのだろうと思って入会したのだが、活動に触れるうちに思いを新たにさせられた。会長を始め運営委員の人々が実に熱心でタイを思う気持ちが伝わってくるのである。これはただのタイ好きおじさんの集まりではない、真摯なタイの応援団であるという思いに至った。事実タイ大使館もBOI東京事務所もJTBFに相談しアドバイスを求め、その活動を多としているではないか。

その後私自身がJTBFのGMS委員長という役目を仰せつかったのだが。GMSの発展に関してJTBFとしてどんな役割を果たせばよいか判らないままに時が過ぎ、ほとんど活動ができておらず、忸怩たる思いである。誠に申し訳ないと反省しつつも、今のところ反省だけで進歩なしである。何かきっかけを掴みたいと思っていたし、昨年6月で仕事をリタイアして暇ができたこともあって、今年は2月の訪タイミッションに参加することにした。ミッション参加は初めてであったが先輩メンバーに助けられながら2日間の日程を大変楽しく過ごさせていただいた。ミッションの内容はJTBFホームページに載っているJTBF訪タイミッション2010報告書に詳しいのでここでは触れないが、時間にルーズで凄まじい交通渋滞のバンコクで、大した遅滞もなく全ての訪問先をこなせたのはさすがだとミッションの先輩達の緻密なプランと鋭い勘に敬服するばかりである。

一番心に残ったのは、我がJTBF名誉顧問、アーサ サラシン邸での夕食会である。JTBFミッションが来たからお付き合いでご馳走しようなどというおざなりなものではない。食事の豊かさもさることながら、タイ官民の要職にある人々を招きJTBFと積極的に交流を深められるよう気を遣っていただいているし、何よりも感動したのはアーサ氏の歓迎の辞である。ユーモアを交えた中にJTBFがいかにタイ王国のことに思いを馳せてくれているか、事情を把握し適切なアドバイスをしてくれるか、そしてそれをいかに高く評価しているか、これはもう単なる”ご挨拶”ではなく、氏のJTBFに対する感謝の気持ちが滲み出た真心のこもった言葉の数々であった。これを聞いた時、JTBFの存在がどんなに意味のあることなのかを改めて気づかされたのである。

翻って、日本はどれだけの国にJTBFのような熱い応援団を持っているのだろう。これは言い換えれば人脈といってもいい。もちろん色々な国には日本大好き人間や日本通は沢山いるであろう。それを日本の政官民はどれだけ認識し、評価し、感謝し、また利用しているのであろうか。考えさせられてしまう。

2日間のミッションのあと、親睦ゴルフ会に参加した。YMPTの岡本さんのご好意でアマタスプリングでのラウンド、7名の参加で行われた。アマタ工業団地に隣接するこのコースは大きな池を囲むようにレイアウトされ、浮き島のグリーンがあったり、ラフのきつい難コースであったが和気あいあいの一日となった。度肝を抜かれたのはアマタのオーナー、ヴィクロム氏が建設中のアマタキャッスルなるどでかい建物である。工業団地とゴルフコースを睥睨するように建てられたこのマンモスは、完成した姿を想像するに西洋の城塞のようで あり、ヴィクロム氏の自宅兼コレクションを収めるミュージアムだそうである。建設はまだまだ続いている。(写真は筆者。背景に浮き島のグリーンと建設中のアマタキャッスル。)

タイの混乱について

この時期にコラムの担当を仰せつかったので、現在のタイの混乱に言及しないわけにはいくまい。 我々タイの安定を望んでいる者にとっては憂慮すべき事態であり、一日も早い解決が望まれるところである。だが、今回の様子は今までの政変騒ぎとは何か違うとお感じの方が多いのではないだろうか。何か根底にタイの社会構造を変革させようとするエネルギーがマグマのように渦巻いているような気がする。

ご承知のようにタイは民主主義国家の体裁は整えているものの、その実特権階級と農民という構図に、近年産業の発展とともに中産階級が増え続けているという、階級の色濃く残った国である。タイ駐在を始めた時、父親から聞かされていた戦前の日本の様子に良く似た国だなという印象を受けた。豊かな人々は大きな家に住み、使用人を何人も使い、経済発展の恩恵も真っ先に受ける反面、庶民は低所得に甘んじている社会。我が家のお手伝いさんは、亭主がぐうたらでよそに女を作り、家には一銭も入れないとよく泣き言を言っていたが、学校の新学期には必ず借金を申し込んできた。子供の教科書代や体操着を買うお金が足りなかったのだろうと思うが、子供をなんとか大学に入れたい、大学を出して何とか貧困から抜け出させたいという思いがあったのだろう。この国は大半がこういう人たちなのだと気づかされた。見上げたことに彼女は思い通り息子を大学にいかせ、卒業して今は就職、亭主も追い出してずいぶん楽になった、サバイサバイだという。

しかし、こんな社会をいつまで続けられるのだろうかと思ったのを覚えている。今度の騒ぎは、タクシン元首相が農村にバラマキをし、政権が替って飴を取り上げられた農民がタクシン派に動員されて、というような表面的な現象よりも 階級の底辺にいる人々の真の民主化に対する叫びが根底にあるのではないか。タクシンのバラマキと煽動は一つのきっかけを作ってしまったに過ぎない気がする。そうだとすればこの騒ぎは一筋縄ではおさまらない。大きな改革には強い信念と勇気を持ったリーダーが必要だが、今回に限って云えばリーダー不在のようであるし、タクシンもクリーンでないので、このまま改革運動が世界のサポートを得るような広がりにはなるまいと思うけれど、少しづつでも真の民主化の方向に政府が歩み寄らなければ 、終息しても変革を望む根強い思いはまた何らかのかたちで現れ続けるだろう。

日本のように革命にも匹敵する敗戦という洗礼を受けていないこうした国々では、特権階級がいつまでも利権にしがみついていると、時折激しい抗議に見舞われる。その意味で今後賢い政治の舵取りが望まれる。この原稿の提出直前に、赤シャツデモ隊が抗議行動の終結を宣言し今回の騒ぎ は一応治まるようである。しかし最後の暴動、放火、略奪は、デモ隊とは関係ない輩も加わっているらしいのだが、やはりタイに取って悲しい事である。これで少しは農民に傾きかけた私の心情も結局もとに戻ってしまった。



さて、ミッション参加はGMS委員長に何かヒントをもたらしたのか?、否である。タイの優しくたおやかな空気に触れ、すっかりいい気持ちになって2週間も滞在してしまったが、宿題をはたさないままに帰ってきてしまった。また気にかかる日々が続く。


(元王子製紙タイランド社長)