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バックナンバー 2010-11

「日・タイ随想」

「日・タイ随想」 No.50 2010/11/01

タイの人々はどうしてサバイ、サバイなのか
-上座部仏教とタンブン仏教の妙(たえ)なる関係


JTBF会員: 深海八郎
2010/11/01

ゴータマ・ブッダは哲学者であった。取り立てて言えば実践哲学者であった。彼を宗教家と呼ぼうと、思想家と呼ぼうと、呼びたい人の思惑しだいで自由であるが、神秘主義者ではまったくなく、透徹した合理主義者であった。(宮 元啓一著「ブッダが考えたこと」)

沙羅の花いろいろ"を訪ねる過程で仏教にもいろいろな分派があることを知りました。もちろん知識として北伝仏教や南伝仏教、大乗仏教や上座部仏教があるという程度のことは承知していましたが、そんな程度では到底収まらない程の仏教の宗派が、お釈迦さんの没後生まれてきて、現在までそれぞれの国でそれぞれの宗派として成立し布教され継承されていることが判ってきたのです。特に中国に伝わった大乗仏教は、仏典の解釈から様々な宗派に分かれ、その影響を受けてわが国の仏教も、例えば今年"平城遷都1300年"で注目されている奈良時代に、既に南都六宗といわれるような学派として伝わっていたのです。
お釈迦さまの教えはひとつ、にもかかわらずどうしてこれだけの新しい宗派が創造されてきたのであろうか、その過程にどうも、タイの人たちのサバイサバイの原因が潜んでいるような気持ちになってきました。お釈迦さん自身が何を悟ったのか、先ずそれを訊ねることから、サバイサバイへの興味の探求が始まりました。仏教2500年の歴史は膨大で計り知れない書物や資料が存在しているようですが、どんなに難しい教えでも我々のような凡人に解かるように解説されてこその宗教ではないかと、妙な自信でこの探索は始まったのですが、さてどういうことになりますか。

シャーキャ国の王子ゴータマ・シッダールタは29歳の時に地位も妻子も捨てて出家し、修行・苦行を経て悟りを開き、目覚めた者ブッダ(サンスクリット語)となり、シャーキャ国の聖者(ムニ)、シャカムニ(釈迦牟尼)と呼ばれました。シャーキャを漢字にすると釈迦となるので、ここでは慣れ親しんだ名前でお釈迦さんと呼びたい。
お釈迦さんは苦行の末に、苦行も快楽も真理への道ではないと悟り、苦行で疲れた体を村娘の施した乳粥で癒し心身を回復して(極端に走らず中道を得て)、菩提樹の下で静かに瞑想に入り七日目の満月の明け方に、遂に万物を貫く真理、すべての苦しみから解放される法則に目覚めたといわれています。

人間の避けられない苦しみ(一切皆苦いっさいかいく)は、世の中のすべてが移ろい変わっていくこと(諸行無常しょぎょうむじょう=無明)を知らないからである。すべてのものは他の何かと依存し合って存在しており、単独で存在しているものはない(十二縁起)。すべての苦を生み出している根本の原因は無明にあり、この真理を知らないことから意識が生まれ欲望が生じ執着が嵩じて苦の原因になっているのだ、だからこの因縁を知り、この真理を知ることで苦を滅することができると悟ったのです。それが人間の"智慧ちえ"だというのです。

目覚めた人ブッダは漢字にすると仏陀となり、彼の教えが仏教です。お釈迦さんは自ら悟りを開き目覚めたけれども、その真理は他者には説明しがたいものだと感じたため、当初それを広めようとする気持ちはなかったと言われてい ます。それを思い直して自分と同じように悩んでいる人たちに説かれた説法が「四諦八正道したいはっしょうどう」と言われています。
「四諦」とは四つの真理の意味で
   苦諦くたい・・・四苦八苦というように人生は苦に満ちている、という真理。
   集諦じったい・・・苦にはそれぞれの苦が起こってくる原因がある、という真理。
   滅諦めったい・・・苦の原因を制する、滅するという真理。
   道諦どうたい・・・苦を制するには道がある、という真理。
これらの真理を理解するには八つの正しい道がある、これを「八正道」といいます。
   正見しょうけん・・・正しい見解、
   正思しょうし・・・正しい思考、
   正語しょうご・・・正しい言葉づかい
   正業しょうごう・・・正しい行為、
   正命しょうみょう・・・正しい生活、
   正精進しょうしょうじん・・・正しい努力
   正念しょうねん・・・正しく記憶にとどめること、
   正定しょうじょう・・・正しく精神を統一すること
この八つの道を正しく実践すれば、苦を制することができると説いたのです。
因みに我々が日頃使う四苦八苦とは「生・老・病・死」の四苦と、「愛別離苦あいべつりく怨憎会苦おんぞうえく求不得苦ぐふとっく五蘊盛苦ごうんじょうく」の四苦を合わせたものをいいます。

本来のお釈迦さんの教え、すなわち原始仏教には「創造主」である神は存在しませんし、仏像もありません。人間の運命を決定するのはあくまでも自分が持つ人間の「ごう」(カルマ=行い)以外の何事でもなく、おのれのみがおのれの繁栄と衰亡に係わりを持っているのだ、全ては因果応報、善を行えば善果が得られる、善行のみがひとりの人間の進歩と繁栄を約束するものだと説くのです。極めて論理的で実践的で人間学的なのです。これこそが宗教家でなく哲学者であるといわれる由縁なのでしょう。

お釈迦さんの入滅後、お釈迦様の教えを整理してまとめようという動きが「第一結集」、それから100年後、社会情勢の変化もあり時代にそぐわない戒律も出て教団内部で対立が生じこれを纏めようとしたのが第二結集です。ここでお釈迦さんの説いたことだけを正当とする「上座部」と時代に即して変化すべきだとする「大乗部」とに仏教界は分裂します。これを根本分裂といいます。それ以降二つの潮流は交わることなく、「上座部」はセイロンからビルマ、そしてタイに伝わります(南伝仏教)、一方「大乗部」はチベットから中国、そして日本に伝わります(北伝仏教)。(因みに「小乗仏教」とは「小さく卑しい乗り物」という意味でこの分裂の過程で大乗仏教徒がつけた蔑称であるとされており、大戦後の1950年にコロンボで開催された世界仏教徒連盟の第一回大会で「小乗仏教」という言葉は不使用ということが採択されています。)

今年2月に逝去されたタイ研究の第一人者と言われた石井米雄京都大学名誉教授の著書「タイ仏教入門」によれば、タイに仏教が伝わったのは13世紀の頃で、スコータイ王朝がビルマから伝わった上座部仏教を信奉したとされてい ます。この伝来はアユタヤ王朝にも継承され、ビルマやセイロンと仏教の交流を続けます。ビルマによって滅ぼされたアユタヤ王朝に変わって18世紀にバンコック王朝が創立されますが、上座部仏教もそのまま継承されました。
タイにおけるもっとも重要な仏教改革の運動は、このバンコック王朝のラーマ三世の治世下でキリスト教の伝来による仏教への挑戦が契機になって、19世紀の半ばに起こります。後のラーマ四世となるモンクット親王は20歳にして出家しますが、当時の迷信俗信の類に堕落していた上座部仏教に疑念を抱き、パーリ語を学び原典となる仏典の教えから、すべからく智慧の目を持って本来のブッダの教えを回復することが上座部仏教の真の姿だと考えました。その頃渡来したキリスト教宣教師達はシャム人を奇怪な偶像を礼拝する未開野蛮の民として見ていましたが、これらの西洋人の偏見を耐え難いものだと感じたモンクット親王は、キリスト教と西洋科学の挑戦に対応するには、合理主義、理知主義によって自己を武装する以外にないと考え、直接の攻撃目標である仏教が科学と想反するものではないことを証明する必要があると考えたのです。この組織化された宗教改革運動がタマユット運動と言われます。「タマユット」とは「法に忠実なる者」という意味で、仏法即ちブッダの教説を正しく実践する者という意味です。ブッダの原始の精神に立ちかえること、それが近代を生き抜く力を仏教に与え、仏教を蘇生させ、引いてはタイ国を導く正しい道である、これがタマユットの根本姿勢でした。そのタマユット運動の発祥の地であり、現在も活動の中心になっているのがボーウォンニウェート寺で、プミポン国王を始め、歴代の国王もこの寺院で出家生活を経験されています。

1851年即位されたラーマ四世は、上座部仏教の再生を図る一方で、フランス神父からラテン語を学び、アメリカ宣教師から英語を学び、数学や天文学なども含め自然科学や西洋の学問を吸収し、医療や印刷技術を導入してタイの近代化を図り「開国」に踏み切りました。これらの近代化運動はラーマ五世にも引き継がれてタイの近代国家誕生に重大な影響を及ぼしたのです。これをチャクリ改革と呼んでいます。
こうしてタイの仏教は国王を擁護者として上座部仏教の本来の姿を取り戻し、出家して厳しい戒律の下にひたすら解脱を目指す仏教集団サンガと、それを支えることで自らの幸福を得られると信じる一般大衆の在家者仏教との類まれなる紐帯(ちゅうたい)が現出したのです。

さて 前述の石井教授は、この在家者の仏教を理解するためには今まで学んできた上座部仏教への視点を一度捨て去る必要があると説明しています。タイで生まれながらに仏教徒である人々は、無自覚のまま毎日の生活の中で生活習慣としての仏教をそのまま受け入れており、それは上座部仏教とは異なる座標軸の思想を内包しているというのです。
それは、「善行を行えば善果を得、悪行を行えば悪化を得る」(タムディ・ダイディ、タムチュア・ダイチュア)との因果応報の思想の下に、功徳(ブン)を施せば現世においてさえ善果が得られる「功徳を施して功徳を得る」(タンブン、ダイブン)の輪廻転生の世界を信じているのが在家者の仏教だといいます。
彼の著書によれば、民衆の信じる救いの図式は下記の通りだと説明されています。
        タムディ・ダイディ・・・よい原因はよい結果を生み出す
            ↓
        現世的幸福=ミー・ブン・・・ブンのある者は幸福を得る
            ↓
        タンブン・ダイブン・・・ブンを積んで幸福を得よう

しかも このタンブン(功徳を施す)を実行するのは、神でも仏でもなく自分自身である、ということが大事な要点です。即ち自らの行為(タンブン)によって、自らが望む世界、金をもうけ、出世し、元気に暮らす、そんな現世の極めて現実的な幸せと希望を見出せると信じているのが、タイの人々が信ずる仏教の姿なのです。
ましてや、ブッダの教えを守り理想の人格者を目指す出家集団であるサンガの繁栄と発展にタンブンを通じて貢献し支援できることは、もっともすぐれたタンブンの行為、最大の善果を約束する行為に他ならないと信じているのです。この明確な構図が在家者の限りない喜びと自信と明るさに繋がっているのです。
在家者のタンブンの仏教と上座部仏教の確固として妙なる関係が、タイの人々のサバイサバイの源泉になっていることはもう疑いようのない事実であると、今は納得し確信したのです。

翻って 仏教徒であるわが身を考えてみました。お釈迦さんの教えを理解する程度の知恵はあっても、「四諦したい」を極めるだけの智慧はなく、さりとてひたすら「八正道はっしょうどう」を突き進む自信も持てない・・・。沙羅の花いろいろ、人生いろいろ、神さまでも仏さまでもなく自らの行いで自らの幸せを掴むのだと「信じる」ことが、如何に大切か改めて学んだような気がしています。



(元NYKタイランド社長)


     参考文献;石井米雄著「タイ仏教入門」
          宮元啓二著「ブッダが考えたこと」
          長田幸康著「仏教入門」
          早島 理・木村宣彰・太田清史共著「仏教思想の奔流」
          副島正光著「大乗仏教の思想」
          Nikkyo Niwano著「Shakyamuni Buddaha」
          石井米雄・吉川利治共著「日・タイ交流600年史」
          南 直哉/アルボムッレ・スマナサーラ共著「出家の覚悟」