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バックナンバー 2010-12

「日・タイ随想」

No.51 2010/12/01

パヤオ-もう一つの旅の形

JTBF会員: 渡辺和彦
2010/12/01


これは私の体験ではなく、家内や娘の紀子から聞いた話である。何せもう7~8年も前の話なので二人とも細かいところは記憶が定かでなく、正確性に欠けるがご容赦願いたい。

タイには色々なNPOがあるが、その一つにAIDS患者やその家族、またAIDSで親を失った子供達のケアをする団体がある。その団体を通じて寄付をしたり、患者の作ったクラフトを買い取ってあげたりと、ささやかな支援を続けていたが、ある時、そうした患者や子供達の実情を見にチェンマイの東にあるパヤオを訪れた。総勢10人、家内を含め2人の大人、紀子を含め8人の大学生が、神谷君というフィールドワーカーに引率されての旅であった。

夜行列車に乗って翌朝チェンマイに着く。そこから車でパヤオの田園地帯の広がるある地区の村へ。この地区は、AIDSの患者や遺族も多く、当初は患者が他の村人達から疎まれ、避けられていたのをNPOの人たちの尽力で偏見がなくなり、助け合いの気分が醸成されたモデル地区なのだそうだ。先ず向かったのが村の”子供のコミュニティーセンター”、と言うと立派な響きだが実は掘建て小屋、オーの家(バーンオー)という名前がついている。この建物は外部の援助で出来たものではなく、村のリーダー格の婦人Sさんが場所を提供、村人が資材と労力を提供して皆で建てたものだ。もともとSさんはAIDS患者が手仕事で色々な作品を作るために自宅の一室を解放していた。患者はこうした作品を作って売るという活動を通して、生きる望みが湧き病状が改善するということがあると聞く。支援をしていた神谷君がこの作業所周辺で遊んでいた子供たちの持つ力に気づき、アートや日本の遊びを教えたり農村の開発を考えさせたりしながら活動の場を2年かけて作っていき、それを見てSさんをはじめ村の人たちが子供たちの活動の拠点を作ったという訳だ。今ではこの活動が広く知られ多くの村から見学にくるという。このオーの家に簡単な台所を作るために、ささやかな寄付が使われたということもあってパヤオ訪問が実現した。子供たちの笑顔に迎えられる。日本語も習っているという子供達は日本語の歌を歌ったり踊ったりして歓迎してくれた。その後、泊めてもらう家に向かう。二人づつ数件の家に分散しての宿泊。紀子が泊まったのはAIDSで両親を亡くした女の子がおばあさんと暮らしている。タイの高床式の質素な家だが磨き上げられていてとても清潔。おばあさんは優しく、女の子は境遇にもかかわらず暗いところが全くない。水道はなく炊事、風呂、お手洗いは庭の水瓶に貯めた水を使う。でもこの人たちは不自由を全く感じていないらしい。何もなくても暮らして行けるのだなあという事を実感する。習い憶えたカタコトの日本語を交えて、コミュニケーションをはかってくれる女の子との交流に心が温まる。おばあさんにはタイ語の発音の猛特訓を受けた。


村の人々

泊まった家で みがきあげられた床

夕食はタラートへ行き食材を買い、リーダーの家の台所を借りて作る。食材の切れ端や残飯は台所の窓からポイと捨てると、すなわち家畜の餌に。エコ、エコと騒がなくてもここでは自然のエコサイクルができている。ゴミに出す”プラ”も無し。おじいさんがへびを捕らえた。皆にごちそうしようと、おばあさんがへびを料理、トムヤムクンならぬトムヤムヘビが出来上がる。どうしよう!でもこれも経験と思い切って食べる。鶏肉にも似た食感で大丈夫、食べられた。

翌日は学校へ行く。ここでも大勢の子供たちに迎えられる。寄付だけではなく子供たちと一緒に何かするという神谷君の考え方に沿って授業を受け持ち、英語や日本語を教える。生徒も一生懸命聞いてくれる。そして一緒にゲームをしたり折り紙をしたり、笑い声が耐えない。昼休みは校庭でドッジボールを教えたり、一緒にバレーボールやバドミントンをしたり。バレーボールはどの子も上手である。バドミントンのラケットは穴だらけ、羽根もぼろぼろ、それでも上手にネット際の難しいショットをこなす。次の日は別の学校を訪問。前の日に訪ねた学校とのサッカーの試合を観戦。靴を履いている子もいるが、大半は小石混じりのグラウンドを裸足で走り回る子供たち。転んでも転んでも笑顔で立ち上がる。彼らにとっては転ぶ事は日常の何でもない事なのかもしれない。子供達に質問。将来何になりたい?お医者さん、看護婦さん、学校の先生、おまわりさんなどと答えが返ってくる。みんな真剣な眼差し。しっかり前を見据えている感じがする。すでに家事を手伝い農業を手伝い自立度の高い子供達は精神年齢も高い。


一緒に折り紙を作る

英語を教える

子供達の笑顔

別れの時 泣いてくれる子も

こうしてひたすら子供達と共に遊び過ごした3泊4日の旅は終わった。出発の時、また大勢で見送ってくれた。笑顔で送ってくれる子、泣いてくれる子、後ろ髪を引かれながら帰路についた。

紀子の感想

貧しく不遇なのに大人も子供もどうしてこんなに明るいのだろうと思いつつ過ごした4日間。お菓子をあげると必ず周りの子供達と分け合う。大人が分けあい、助け合うから自然と子供達もそうなるのだろう。広い自然と広い心。でもあの優しさの陰に必死で貧困と闘っている現実があるのだ。あの笑顔がどこからくるのだろうと考えた時、何もなくても暮らして行けるけれど、夢や希望がなくては生きて行けないのだ、彼らにはそれがあるという事に気がつく。子供達の夢の実現に少しでも協力したいと心から思う。この旅行はカルチャーショックを超えたもっと大きなショックだった。これからの人生でつまずきそうになった時のエネルギーをもらったと思う。いつかまた行ってみたい!


(元王子製紙タイランド社長)