寄稿 鈴木俊男
監修 水谷和正(JTBF会員)
2011/9/01
この旅は、タイ政府観光庁(TAT)創設5O周年を記念して、TATの要請によりジヤパン・タイ・ビジネス・フォーラム(JTBF)が企画したものである。
JTBF とは、かってタイの日本大手企業の責任者として永くタイに滞在した方々(現在会員73名)が帰国後、個人資格で参加しているボランティア団体で、現在いろいろな分野で日泰関係の更なる進化を願って活動している。
今回、その JTBF が会員に、タイ滞在中、思い出に残った観光スポットのアンケート調査を行い、そのアンケートを下に、「私がお勧めするタイの旅」を4案作成し TAT に提出した。今回、我々が実施した2泊3日の北部タイの旅はそのひとつであり、チェンマイを基点にして、ミヤンマーとの国境の山々を北上し、タイ最北部チェンライ、タイ、ミヤンマー、ラオス3国の国境を流れるメコン等々、北部タイの豊かな自然を楽しむ旅である。
チェンマイ(Chiang Mai) ドイステープ(Doi Suthep)--70km--チャンダオ(Chian Dao)--100km--ドイアンカーン(Doi Ang Khang) (宿泊)
午前7時4O分、我々「元気会」のメンバー5人は、チヤーターした車で北を目指し、チェンマイのホテルを出発した。本日の最終目的地はタイ、ミヤンマーの国境の山村、ドイアンカーン。
ところで、「元気かい」とは60年代前半まで、東京、渋谷にあった主として水戸徳川藩出身者向けの大学寮で、同じ釜の飯を食い、青春を共にしたものの集まりである。全員、7~8年前に企業の第一線を退き、タイ勤務の長かった仲間のM君の世話で、毎年タイとその周辺国を旅し併せゴルフを楽しんでいる。メンバーは現在7名。その多くは昭和14年の卯年生まれの今年72歳。(今年は2名不参加)
今回の旅には、我々5名のほかに、毎回この会のコーディネートしてもらっているバンコック在住のフワット君ともう一人運転手が同道している。
まずは、チェンマイの名所の一つ、標高1000mを超える高所にある立つワット プラタート ドイステープに立ち寄る。タイ国内の寺院はどこも立派であるが、中でもここは建物も、仏像も金ピカで圧倒される。29O段の石段を上っても到達できる山頂までの距離をケーブルカーを使っていけたのも驚きである。若い男女が多数参詣しており、日本のお寺の光景とはだいぶ違う。お寺に対する意識が違うのだろう。中、高生らしき若者達が仏像の前で熱心に祈っている姿が印象的だった。
左:「元気かい」一同 右:金ぴかドイステープ
金ピカ寺院を出た車は、国道107号線をひたすら北へ。時折、立派な建物が現れるがほとんど寺院。2時間ほど走っただろうか、車は左に折れて山の中へ。道は曲がりくねるもメインテナンスはしっかりしている。木々の間から岩肌がごつごつと現れるのを見たりしながら快適にドライブは続く。
チェンダオで休憩。ここは貸し別荘の集合地、車での長旅の休憩所といった役どころであろうか。樹齢2OO年以上のチ一ク材の木とバンブートウリーが目を引いた。近くにはピン川が流れており、いかだでの川下り、象のトレッキング等が楽しめる。
(左から)チェンダオヒルリゾート、樹齢200年のチ一ク、竹
ここより本格的に山に分け入る。驚くのはどこまでも電線がついてくることだ。チェンマイを出て約4時間でドイアンカーンに到着。今夜の宿アンカーン ネイチャー リゾートを横目にロイヤル プロジェクト アンカーン王室農業開発センターを目指す。ここは王室財団管理の花畑、農場。王室が周辺の少数民族援助のために作ったもので、色とりどりの花が四季折々に妍を競うという。そこここで、水遣り、苗の植え替え、草むしり等多くの、特に女性が働いている。少数民族の女性も多数含まれているのだろう。先生に引率された小学生らしい固まりが、何組も花々を囲んでメモを取っていたり、カップルが手を取り合っていたり、一人客も少なくない。
さらに広大な園内を車で走ると、周辺は桃が開花、梅や桜が7分咲きと、この季節、色と香りの競演で人々を魅了しそうな予感がする。王室財団の花園と周囲の山々の景色と合わせ、タイの桃源郷としての十分な資格があるのでは。開発で山を荒らすのではなく、計画的な、桃、梅、桜ほかの植樹によってだ。
ロイヤルプロジェクト アンカーン(左:桜、右:梅)
車は奥へ進みつづけ、少数民族ムサー族の集落、バーン コープ ロムヘ。風の谷とでも言えようか。ここはまだ観光開発がされていないと見え、高床式、ぼろぼろの茅葺きかトタン屋根の家が、谷底まで続いている。周囲には段々畑が広がり鶏や豚が放し飼いに。幼児と老人の服装は粗末だが、少年少女のそれはこざっぱりしている。電気は通り、オートバイは各家に。車もあり、テレビもある。中に2一3件モルタル造りの近代建築が威容を誇っている。集落内のメイン通りを歩いただけで詳しい生活ぶりなどは聞けなかったが、ある家で老婆が水を威勢よく出しながら洗濯しているのが印象的だった。このムサ一族の山ひとつ隔てたところには、やはり少数民族パロン族が住んでいるのだが、時間がなくたずねるのを断念して宿へ。満開の桜が迎えてくれた。
山岳民族の村、以前はケシ畑の山村
今夜の宿となるアンカーン ネイチヤー リゾートはマリオットグループが運営しているだけあって施設、サービス共に、快適である。この時期朝夕はタイ人には寒いらしく、部屋のべッドの敷布には電熱が入っているのにびっくりした。
アンカーン ネイチヤー リゾート
16時3O分、今回の旅の大きな楽しみの一つでもある、ミャンマーの山々に沈む夕日の撮影に出発。前もって宿の従業員にこの地の人だけが知る人ぞ知るビューポイントを教えてもらう。そのポイントには先客が数人、何台かの車が駐車しており、写真を撮り合っている姿も。何と茶屋もある。
山々が連なるその上に太陽があるなと思っているうちに、急速に落ち始め、赤さを増しながら山の端に、その向こうはミャンマーだ、周囲が暗くなるのとは対照的に。太陽の周りが燃えるような光の輪を描き、やがてストーンと消えた。しばらく続く残照、、、、、。声もなく見入る人々を静寂が包み込んだ。ほかにも何箇所かビューポイントはあるそうだが、ここは胸を張って推せる。
茶屋の奥さんが作ってくれた干し椎茸炒めと野菜炒めを肴に、日本から持参したウイスキーで乾杯。その後、この旅の間中(ゴルフを含めて8日間)昼、夜食事の度に干し椎茸炒めを食べたが、この茶屋の奥さんの味を超えるものには出会はなかった。(ちなみにこの茶屋はアルコール類は、おいていない。)
ミャンマーとの国境の山々に沈む夕日
チェンマイを出るとき、ドイアンカーンは秘境の静かなリゾート地、というイメージであった。しかし、実際に来て見たドイアンカーンは、宿のそばを道路が走り、車の往来が頻繁にあり民家も目立つ。もちろん、山また山の中のリゾート地であるのだが。秘境を強調するよりこれ以上はない癒しの地と位置づけたほうが現状にあっているのではないだろうか。ホテルの従業員によれば、JTB が日本人グループを連れてきた事があるが、我々はそれ以来の日本人客であるとのこと。聞けば聞くほど、周囲には、まだまだ楽しめそうな、魅惑のスポツトがたくさんあり、もう1-2泊したい思いであった。
その1 おわり
(水谷補記)鈴木俊男氏は元(株)講談社の取締役。若い時は「週刊現代」の編集長として活躍し、その後(株)講談社サイエンティフィク社長。水谷とは水戸高校、大学寮「水戸塾」以来の永い交友関係を有する。