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バックナンバー 2011-11

「私がおすすめするタイの旅」

卯年72歳 「元気かい」 北部タイの旅 その3

寄稿 鈴木俊男
監修 水谷和正(JTBF会員)
2011/11/01

第3日目(2010年12月11日)

ゴールデントライアングル(Golden Triangle)--2km--麻薬博物館--60km--チェンライ(Chiang Rai)、コック(Kok)川--カレン村、象でトレツキング--コック川,チェンライ--l8Okm--チエンマイ(Chiang Mai)


  6時15分、夕日がだめなら朝日を撮ろうとロビーに集合。外はこの時期には考えられない雨。ついてないねーと朝食。メンバーのM君が出てこない。
  そのM君が執念を見せた。降ったり止んだりなら朝日を撮れるチャンスもあるかもしれないとメコン川のほとりまで降りて行き、奇跡的にすばらしい朝日の撮影に成功。M君が言った。「メコンにうつる夕日はラオスから、タイからはメコンに映る朝日がよく似合う。」


メコンに映える朝日(Golden Triangle)


麻薬博物館

  8時15分。すぐ近くにある麻薬博物館へ。
  5600mの山をくりぬいて作られたホールは暗から明へと麻薬の不思議な世界への案内展示がされている。この博物館はタイ王室財団がゴールデントララアングルの麻薬撲滅のため、実態と恐ろしさ、さらにはその5000年にわたる人間と麻薬の切っても切れない永い歴史を知らしめようと建てたものである。
  アヘン戦争を中心としたアヘンを巡るヨーロッパ、アジア各国の争い、アヘンの作り方から吸引各種機器、果ては、中毒者の生態まで展示。特に吸引機器の多才なのには驚いた。ホールの入り口に色とりどりに咲いているけしの花は純で清潔で実に美しいのだ。

  麻薬博物館を出てチェンライ市を流れるコック川の船着場へ。ここから少数民族カレン族の集落まで船旅(往復2時間)を楽しむ。コック川は川幅はそれほどないのに、中洲や、流木、倒木が多い。興味深いのは、両岸が整備されていないので、地層がむき出しになっている場所があること。上から黒い土、細かい砂、粗い砂利となっており、良質の川砂の宝庫があることが分かる。日本のコンクリート業者にとっては垂挺の的だろう。川砂利の船や、ざるで砂を掬う人の姿が散見された。

チェンライ、コック川の船旅


  カレン族の集落に着く。象を使うことで有名な少数民族だ。まずは象でのトレッキング。象の背中に左右一人ずつ一組で一頭の象に乗る。先導する象は20歳、デッカーイ。次は12歳、最後の象は14歳。12歳に比べて20歳の象はなんと大きいことよ。象の背中は左右にユラリ、ユラリと揺れる。カレン族の集落を4-5mの高さから見るのも一興だ。高床式茅葺きの家のイメージとは程遠く、ほとんどが近代建築。観光客のためにかえって高床式茅葺きをかたどった商店があったりする。そこに観光客が抱いているイメージを利用して手芸品、工芸品、などのみやげ物を並べ売っているわけだ。

  象のトレッキングは集落を一巡りしてクライマックスヘ。先導の象が川岸から川の中へ。前足で慎重に探りながら、進んで行く。およそ25m、深いところでは鼻だけを出す場面も。出発点から50mも離れているだろうか。終点だ。この集落最後の商売は、衣類作りの実演販売、ニシキヘビなどとの記念撮影。土産品の販売等。

カレン族の村で象のトレツキング


  約一時間のカレン族の村滞在の後、コック川を約一時間下り、チェンライの波止場に戻る。ここから約3時間、見事に整備された幹線108号線を南にチェンマイに向け車を走らせる。18時ごろ、チェンマイのホテルに無事到着。


さいごに

  こうして二泊三日の北部タイの旅は無事終了した。3日間でおそらく700kmを越える車での旅であったが、疲れをも忘れさせ、十分、旅心を刺激する内容の旅であったといってよいのではないか。今回、3日間で巡った観光地だけに限っても我々が見た開発済みのもの以外にも魅力を秘めた、まだ開発されていないスポットがたくさん潜在しているに違いない。旅人の求めにしたがって相手は秘めてる魅力を出してくれる。今回の旅でもそんなことがいくつかあった。自ら、求めない旅人、受身の旅人にはそれなりの旅しかできないということだろう。今回の北部タイの旅。旅人が食欲に求めれば求めるほど無限に答えてくれる奥深い、魅惑を秘めたタイの観光資源を知ることができた旅でもあった。いつも言われていることだが、ガイドの質の向上の重要性が益々求められる旅でもある。

おわり



(水谷補記)鈴木俊男氏は元(株)講談社の取締役。若い時は「週刊現代」の編集長として活躍し、その後(株)講談社サイエンティフィク社長。水谷とは水戸高校、大学寮「水戸塾」以来の永い交友関係を有する。