Logo of JTBF
トップ・ページ  バックナンバー・リスト
文字サイズ: 

バックナンバー 2012-03

「私がおすすめするタイの旅」

イサーンのクメール遺跡群 その1

JTBF会員: 吉田研一
2012/3/01

第一日目

2-1 ピマーイ遺跡

(左)ピマーイ遺跡、(右)ピマーイ遺跡のレリーフ

朝6時にバンコックを出ると、10時前にはバンコックから約360キロ程のピマーイ遺跡に着く。国道1号線を北上しサラブリで道を右にとり、2号線をひたすら走りナコーンラーチャシマを過ぎ、コーンケーンの方へ50キロ行ったところにある。長時間ドライブになるので、途中のチョクチャイ牧場の売店に立ち寄り、新鮮な牛乳とドーナツに似た黄色い揚げ物をたべて小休止して再出発するとよい。

11世紀のクメール王国時代に建てられたクメール寺院の遺跡でタイのアンコールワットと言われている。主祠堂の円柱形の塔は石を組み込んだ見事なもので、回廊の壁の彫刻類も精緻である。

初めて行ったのは正月だったので、こんな片田舎には人出はなく、寂しいところかと思っていたが、地域の老若男女が繰り出し、道路には屋台も出て大賑わいで、タイの田舎の正月風景を垣間見た感じがした。見学後、近くに枝からいく筋もの根をたらした大きなベンガル菩提樹があり、公園になっている。そこには縁日がでていたので、腹ごしらえをして、次の目的地パノムルン遺跡と、ムアンタム遺跡を目指した。

2-2 パノムルン遺跡

ナコーンラーチャシマへ戻り、国道24号線をブリラム県のパノムルン遺跡へひた走る、道もよく整備され信号もなく、車も少ないので快適なドライブである。ナコーンラーチャシマから2時間弱で行ける。遺跡の正式名はプラーサートヒンパノムルンとなっており、さしずめ「石の宮殿パノムルム」と言うことであろう。

パノムルン遺跡はタイ小学校5年国語教科書下巻に教材として載っており、少年が父親に連れられて遺跡を訪ね係員が説明していく筋書きで少年の日記風になっている、以下はその抜粋である。

【この種の石は山の周辺では一般に見つかります。水につけると2~3分は浮きます。これは硬いフォンラーワーから出来ています。それは9千年前に火山の噴火口から流れ出て来たもので、この辺りのパノムルン宮殿は既に長いあいだ活動を停止した休火山の噴火口のそばに建てられています.....】

【パノムルン宮殿はシヴァ神を主として尊敬するヒンズー教の信仰に沿ってシヴァ神を奉って建てられた神殿である。パノムルン宮殿の建設は仏歴1501年から1700年までの長い間かかった。
重要な宮殿を建設したクメールの王の1人、ヒランユアンマン王は、この理由で自分の名前を昨日私が公園の後ろ側の入り口の正面で見たパノムルン山へ入っていく道に命名した.....】

【私たちが東方向の表側の主祠堂の門の広い入り口に来た時に、係員はマグサ(入り口の上部の横木)を指差して見せた。それは横になっているナラエンテン(ヴィシンヌ神)が彫ってある、門の上にある石板であった。
ナラエンテンは竜王の上に斜めに横たわり、一方で竜を持ち、お臍から出ている蓮の花をも持ち、そして蓮の花の上に座っている梵天を支えていた。足元にはナラエテンの妻である吉祥天女が座っている。全ての模様は色々な場所に沿って彫られている神々に関係している。このマグサに彫られている全てはインドのラーマーヤナ物語から来ているが、タイ人にはラーマキアンとして知られている。
私と父はこの周辺の写真を沢山撮った。マグサは美しさ、温順さ、優雅さで満ちていた。係員は「このマグサは長い間盗まれていて、ついにアメリカで発見され、10年間の返還要求の後、仏歴2531年に戻ってきたばかりである」と説明してくれた.....】

ところで、このマグサが1988年11月にアメリカから帰ってきたときの模様をタイのテレビで放送されていたが、たまたまそれを見ていた記憶がある。タイ赴任直後のことで意味は全くわからず、畳の大きさの彫刻のある石板がドンムアン空港に着いたのを放映していたが、それがこのパノムルン遺跡のマグサであったとは当時は知る由もなかった。
右上の写真は教科書のパノムルン遺跡の鳥瞰図と、帰ってきたマグサの写真である。

2-3 ムアンタム遺跡

パノムルン遺跡から山を下っていくと、ムアンタム遺跡がある10世紀ごろ建設のクメール寺院跡と言われているが、行った当時(1991年)は石垣だけが残っているだけで見るべきものはなかったと記憶している。復旧工事をしていたので、現在は復元されて昔の姿に戻っているかもしれない。

夕暮れに、竹細工の昆虫や、首飾り等を筵の上に並べて「これを買ってくれませんか!」と我々だけだった訪問者に懸命に呼びかけていた、子供達の声が耳に残った。

ムアンタム遺跡見学後、第一日目の宿泊地スリンへ向かう。第一日目は約700キロ走行の長旅でスリンのホテルには暗くなって着いた。


(元三井東圧化学タイランド社長)