Logo of JTBF
トップ・ページ  バックナンバー・リスト
文字サイズ: 

バックナンバー 2012-09

「フラッシュバックタイランド」
タイ国日本人商工会議所「所報」より転載

~元タイ駐在員のその後~ 第4回

JTBF会員: 吉川和夫
2012/9/01

タイ国との関わり

 日本の企業人には標準的な海外駐在パターンがある様ですが、私の場合はそのパターンから大部外れていました。タイ国関係の略歴を簡単に記します。

  1. 1959 年以降(株)トーメンで4回に分け、通算21年間、タイ国駐在をした。
  2. 後半の11年を6年と5年に分けて2回、タイ・トーメン社の社長だったので、JCC では理事として貿易委員長、農水産部会長、外国人商工会議所担当を歴任した。
  3. トーメン退職後、純タイ企業のイタリアン・タイ・デベロップメント社(ITD)に社長補佐として4年間勤務した。
  4. 日本に2000年に帰国後、スタートしたばかりの、NPO 法人 国際社会貢献センター(ABIC)にて、メコンデスク担当となった。
  5. ABIC の業務と並行して、日タイ・ビジネスフォーラム(JTBF)の設立に関わり、最初の事務局長として、後に副会長として、JTBF の活動に従事して来た。

 以上の経歴を振り返り、何が深く記憶や印象に残っているか回想すると、真に多くの想い出が頭をよぎります。多種多様の喜怒哀楽があり、選ぶのに迷いましたが、次の点を記す事にします。

タイ政府・企業の一側面

 タイ企業に入る前の在タイ21 年間、ビジネスの相手の多くはタイ企業だったので、タイ企業観は私なりに出来ていました。然し、入社してみると、今までは表玄関から入って居たのに、今度は勝手口から入る様な立場になり、認識は大きく変わりました。矢張り想像していた通り…と思う面もあったが、想像しなかった人々の行動に驚く事も多くありました。具体的に列挙する余裕はありませんが、上意下達が強く支配する社内にあって、トップマネージメントは良く働きます。事実の把握を自ら行い、その上で結論を出しますから、細かい点も理解している必要があり、自然にそうなるのでしょう。タイ国企業での勤務経験を早い時期にしていたら、面白かっただろうと感じました。

 強く印象に残っている事は社内の事でなく、タイ企業を通じてみた政府の態度です。首相が外国を訪問する際、事前に訪問国との案件に関わっているタイ企業を集め、首相補佐官が中心となり、案件の現状及び問題があるか否かヒアリングをしました。あるとき社長に言われるまま、独りで会議に参加しました。議長が今日はタイ人ばかりでないので、英語で会議を進めると発言しました。見渡したところ、参加者20 余名の内、タイ人でないのは私一人でした。誰もが異議を唱えず、全員が淡々と英語で会議を進めました。これには驚きました。日本ではこのような場合、一人の外国人の為に英語で会議をするだろうか?そもそも、自国語であってもそのような会議をするだろうか? その会議は首相がマレーシアを訪問する前のものでしたが、ミャンマーを訪問する際にも、同じようなヒアリングがあり参加しました。二度の経験でしたが、タイ国政府に対する私の見方が変わった事は言うまでもありません。

帰国後の社会活動

 2000 年に帰国しました。同年に(社)日本貿易会がNPO 法人 国際社会貢献センター(ABIC)を設立し、翌年GMS 諸国を対象にメコンデスクを設けたので、その担当となりました。日本の政府機関が同地区の研修生を相手にセミナーを開催する際に特定のセミナーの設営を、又調査業務の一部を受託しました。タイ国への出張も数回ありました。食品関係のセミナーは現在も続いています。

 ABIC は各種の活動をしていますが、教育界に講師を派遣する事が大きな柱の一つです。多い年は延べで700 人を超える講師派遣となりました。私も柄になく、小学校から大学院に至るまで幾つかの学校で事情講義をしました。講師になると、自分の来し方、その環境の変化、国の文化、歴史、経済等々を学び直す必要に迫られました。それが自分の為にも役に立ち、得難い経験でした。 埼玉県秩父の全校生徒100 人余の小さな小学校では、今でも生徒が教室を雑巾がけで掃除をするほど躾が厳しいのですが、その学校の生徒より僅か1コマだけの講義でしたが、心打たれる感想文を貰いました。遠い記憶の世界に呼び戻された感じでした。その他多くの想い出を得ました。

 並行して、日タイ・ビジネスフォーラム(JTBF) 設立に関わりました。今回JCC の所報に寄稿するJTBF の会員諸氏が、当然JTBF の活動についても言及されるでしょう。設立に関わった者として、私は設立のきっかけだけを簡単に記します。

 1997 年に発生した金融危機から脱出し、タイ国は新しいスタート台に立ったため、日本を訪れる経済関係ミッションが増えていました。多くのミッションは、日本の経済人との意見交換を要望しました。大使館側では経済界との接点が多いBOI 事務所が主としてアレンジを担当しましたが、BOI は関係ある日本人にもアレンジを依頼してきました。急な要請で、しかも10 名以上の方に参加して戴く様にとの依頼でした。私は一回だけの経験でしたが容易ではありませんでした。そこでタイ側に、急な要望だと応対し難いので、タイ国駐在経験者の団体を作る事を提案しました。この種の団体があれば、訪日ミッションが経済人たちと意見交換を要求する場合、日タイ両国の事情に通じた適任者を集めやすいし、通訳も要らないので、準備がスムースに行くだろうと説明しました。カシット大使が是非このOB の団体を設立して欲しいと要請され、一挙に盛り上がり、丸子博之氏を会長として、40 余名の会員で2002 年にスタートしました。

 この案には一つのヒントがありました。1989 年と記憶しますが、当時のピラポン大使の肝いりで、タイ国駐在経験者の会が出来、大使公邸で懇親会を開催した事です。多くの大物OB が参加されました。タイ国を愛する人が如何に多いか判っていたので、上記提案となりました。私は行きがかり上、事務局長を務めました。大使から会員について出された要望事項を考慮して、他の方と共に会員を勧誘結果、殆どの方に快諾していただけました。識見高い、通称タイスキ人間の方々です。改めてタイ国を愛する人の層が厚いことを認識しました。

  設立後、早や10 年が経過しようとしています。懇親だけでは長続きしなかったと思います。今まで3人の大使との関わりがありましたが、各大使の人柄も反映した活動でした。種々の意見交換や交流の場がありました。東京に数多くの大使館がありますが、JTBF の様な団体を持った国はタイ国だけと言われます。私は帰国後も、JTBF とABIC の活動を通して、タイ国に関わって来られた事は真に幸いでした。馬齢を重ねたので、私は今年6 月に退きました。タイ国には未だ借りが残っている様な思いがありますので、今後は依頼や指示があった事項のみ、助っ人として協力させて頂く事にしました。この機会を借りて、今までの内外各方面の皆様より戴いたご協力とご指導に対し厚く御礼を申し上げます。

(追記)
 最初の駐在から50 年経過しました。50年前に撮影した写真を“50 年前のタイ国此処彼処”と“タイ国の今昔”と言うタイトルで、JTBF のホームページに載せました。 50年前のタイ国此処彼処バンコクの今昔。50 年後に役に立つと想像しませんから、計画的に且つ系統だって撮っていません。然し下手な説明より写真の方が当時の事情を簡潔に語ってくれる面があります。ご関心のある方はご覧下さい。



(元タイ・トーメン社長)