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バックナンバー 2012-10

「フラッシュバックタイランド」
タイ国日本人商工会議所「所報」より転載

~元タイ駐在員のその後~ 第5回

JTBF会員: 森田仁美

2012/10/01

 2012 年、明けましておめでとう御座います。昨年度は洪水被害が大規模にわたり大変な年末をむかえる事となりお見舞いを申し上げます。

 タイは総選挙の結果、民主党政権からタイ貢献党政権へと変わりました。今年は新政権の動きと水害の早期復興が注目されることでしょう。
 一方、昨年、日本は東日本大震災加えて福島原発事故発生と多難の年でした。本年は復興計画にそって各方面で活動がはじまります。

自己紹介

 タイ王国とは1984 年8 月(株)フジクラタイランドの工場用地選定購入、会社設立申請(BOI)1985 年5 月操業開始から係わりがはじまりました。9 月に「為替レート安定化」に関する合意(プラザ合意)が発表され、この「円高ドル安」に誘導する内容のため「円高不況」となりました。この状況下、電子部品事業を進展するべく、この事業責任者となり1986―1989 年の間、客先巡り、更に、タイ地区に関連事業会社7 社を設立のお手伝いをしました。

 1989 年7 月にフジクラタイランド社、社長として赴任。JCC 会員としては、電気部会長として電子部品製造会社分野へのJCC 会員加入増員に励み、その後、インフラ投資整備担当として工業団地間の連絡、環境問題処理などのお手伝いをました。1995 年に帰国となり、1997 年のトムヤムショック以前の日本、タイ経済の良き時代にタイ王国で生活できたのは望外のしあわせでした。

タイでの思い出

 1984 年現地調査に入国した翌日、貴社のような「石橋を叩いても渡らぬ会社」がこの時期(まだカンボジア難民流入時期)になぜ会社設立を思いついたのか? 資金供給銀行支店長から質問され返答に迷った事が未だ鮮明に残っています。マレーシア、シンガポールと70 年代から製造会社設立を任されていたので驚きはしませんでしたが、先が大いに心配でした。ラッカバンのIEAT 工業団地を訪問した際、従業員給与配布日、給与運搬の車がクルーン手前で車のスピードを落とした時、堤防下からホールドアップを命ぜられ、ボートに乗った盗賊に給与を持ち去られた話を聴いてマレーシアで我々が経験した事と差異はないと感心しました。工業用地購入では結局ナバナコン工業団地の一角を入手することにしましたが、団地内には日系100% の会社では、カツラ製造会社以外には見受けられませんでした。工場団地内工業建設予定地にはユーカリ伐採後の敷地にアリ塚のような泥塔が沢山見受けられ、工場棟基礎の杭打ちの際、内陸の割りには、杭が自重で地中へ喰い込むを見て東京の深川地区と変わらないのに感心したのを覚えています。タイ滞在時代での一番の思い出は常にゴルフコンペ賞金の圏外常連人の有志と円ドルクラブなるツドイを始めた事です。当時円ドル交換レートが115 円から108 円でしたので、ダブルボギーがパープレイのゴルフ人には肩身を狭く感ぜず、一層遊び濃度を高めることができました。優勝者はその日の換算レートに一番近いプレーヤーと決め、優勝者にはタイに相応しい記念品を贈ることで楽しみました。その後、換算レートが80 円台になった時には大弱りでした。帰国後もこのメンバーの一部の人とも関東、関西で場所を変えてプレーをしましたが、この1.2 年は鳴りを潜めています。このJTBF メンバーの中にもこの主旨に賛同して参加をいただいた人もおります。.現在、皆さんはその後精進されハンデを少なくされているので固有名詞は発表しません。

現況・私生活

 2001 年、(株)フジクラ定年退職後、(株)日本理化工業所で社長付経営顧問として現在勤務しています。この会社はマイカテープ、マイカを原料とした電気絶縁物製造、発電所用の主電動機コイルの製造組立販売、電子部品として金属基板製造販売をしています。日常生活は(株)フジクラ時代最終勤務地でもあった( 株) 青森フジクラとの関係もあり、青森県及びタイ王国のタニマチ?(財力なし)を自認して動いています。青森県とチェンマイ県とを姉妹県にするべくソンポンBOI 長官(往時駐日タイ公使)と工藤青森県副知事で日タイを往復したこともありました。(タイの県知事は内務大臣の任命制なので任期が短くこの種の仕事の継続は難しい)。現在、後期高齢者に属しているので、身の回りの人の仕事の邪魔にならぬように心がけていますが? 会社へのブラリ勤務以外は、主として演奏会、展示会、読書、犬の散歩で時間をつぶしています。

 後期高齢者の残った大仕事としては20年前マレーシア、シンガポール帰国後に建てた2 世帯住宅は、殆ど家の内外も手入れ不足のままなので整理整頓に努め、更に現在の音響装置を買い替え本格的に音楽鑑賞三昧の生活には入る予定でいます。

現在のタイとの関わり

 日タイビジネスフォーラム副会長、また国際社会貢献センター会員、日タイ協会会員としてタイ国関連活動行事には積極的に参加しています。2007 年以来、日タイビジネスフォーラムのタイ国訪問ミッションには毎年参加しています。また東京近郊で開催されるBOI 主催のタイ投資セミナーにも参加して日タイ間のビジネス関係一層の緊密化が進む事を望んで行動しています。

 日タイビジネスフォーラムではSME(中小企業)委員会、観光委員会に属し、タイ王国大使館、BOI・TAT の活動のお手伝いをしています。近々の活動ではやまなし産業機構主催の「山梨県、アジア市場開拓実務セミナー」へ国際社会貢献センター(ABIC)会員派遣講師として「タイ王国への投資について」の話を紹介してきました。

 駐日タイ大使館主催の行事(タイ国王誕生日祝賀パーティー、代々木公園でのタイフェステバル、等)やタイ政府高官との懇談会にも参加して、タイ関係者との接触を増やすことによってタイの雰囲気が集まるように心がけています。

JCC 会員の皆様へ

 今後50 年を考えると、人的資源の少ない日本は人を教育し、どのように世界各国に人を振り向けて行く事が大きな問題と思います。日本の原発事故を反省すると、口では現場主義を唱えているけれども、実質第二次大戦の大本営と同じで大局的には何もつかめてないし、現場での出来事がまともに評価されていない。日本国のためではなく、個人名利で動いている。一般的には海外へ出ると愛国的気持ちが湧き上がってくるといわれています。タイ滞在中は東南アジア諸国(特にメコン地域)を見聞し、この地域の認識度を一層高めていただく事をお願いいたします。



(元フジクラタイランド社長)