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バックナンバー 2013-07

「フラッシュバックタイランド」
タイ国日本人商工会議所「所報」より転載

~旅の印象あれこれ~

2013/7/01

ナコンパノム県とメーホンソン県

2013年2月21日
JTBF会員:西条正和

皆さんにお世話になりながらのイサンの楽しい旅から早くも2週間が経過しました。いろいろと思い出しながら、個人の立場で感じたことを小生の率直な感想として取りまとめてみました。

今回のナコンパノム県およびムクダハン県の訪問で、イサン20県ちゅう8県を自分の足で訪問したことになります。タイ全土では38県訪問したことになり、まだ半分の未踏県が残っております。今後も時間を見つけて未踏県を訪問してみたいと思っています。

このイサンの旅を提案していただいた際にナコンパノム県訪問が目に入り、まずこれに飛びつき何としても同行したいと願った次第です。ナコンパノム県は12年前よりずーっと小生の頭の中に残っており、どんな所か 大変興味をもっていました。というのは12年前タイの教育省を訪ね、不足している地方の教育施設を要望され る場合どこかの学校を紹介してほしい旨お願いしたところ、タイ全土東西南北から8校の推薦を頂きました。その中で、比較的経済環境のよくないだろうと考えられたナコンパノム県とメーホンソン県の2校が最終の候補として残り、大変迷ったことがありました。最終的にメーホンソン県を選択しましたが、タイの中でも経済格差が大きいと言われているイサンの中でも、バンコクから最も遠隔地であるナコンパノムの実態がどうかを、(直観としてメーホンソンと比較して)感じてみたいと思いました。

二日間ナコンパノムとマクダハンを急ぎ足で観光地訪問しましたが、小生が感じたことを列挙すると次のようになります。

  1. メコン開発の影響があるのかどうか判断できませんが、小生が事前に予想していた程他県との経済格差は感じられず、道路等も整備され、インフラも全く違和感はなく、少なくともメーホンソンよりははるかに開発が進んでおり、我々がメーホンソンの学校を選択したことは間違いではなかったと強く確信しました。
  2. 完成してから1年半の第三の友好橋を渡河しました。国境を超えるすなわちラオスに入る経験をしましたが、右側通行・左側通行の違い、道路事情の違い、イミグレの仕組み、明らかに友好橋建設による経済環境の改善と思われますが多くの子供たちが自転車に乗って遊んでいる姿、橋の交通量が意外に少なかったこと、等面白い事象を観ることが出来ました。
  3. メコンに映るラオス側からの夕陽、タイ側からの朝陽は素晴らしく忘れない景観として 脳裏に焼き付き、立派な観光資源であることがよく理解できました。
  4. 幾つかの観光地を訪問しました。観光地間の距離が多少ありましたが、ラオス側のインフラ整備が進めば、今回のコースは楽しい観光ツアーコースとして活かされ、面白いのではないだろうか!特に二日間4回の昼飯・夕飯のタイ料理は、これまで数えきれないほどタイ料理を食べてきたわれわれも感嘆するほどうまかった、ということも特筆すべきであろう!
  5. メコンについては悠然とした流れが強く印象に残り、一昨年のタイの洪水時カンボジア を襲ったメコンの氾濫が全く予想することが出来なかった。一方現在はメコンの水量が減り砂州が多くみられ、これが上流中国側のダム建設による影響と聞かされ、下流の経済的ダメージをまったく考慮せず自国のことしか考えない中国の無責任国家に怒りさえ覚えた。本来ならばこれほどの大河であれば行き交う船で賑わっていると思われるが、二日間全く大型船らしきもの及び小型の船も殆ど見られなかったのは不思議な感がしました。
  6. 行程中を通して同行の本村さんがタイ語の勉強を熱心にされていたのには、その努力に感銘を受けましたが、小生もこれまで疑問を持っていたタイ語の一つで「山岳民族 or 少数民族」のタイ語での使い分けが判明したのは、小生にとっては収穫でした。これはバンコクでは「プーカム」、チェンマイを中心に北部タイでは「コンドーイ」、イサン地域では「プー」と言うそうです。
  7. 幾つかの寺院を観ましたが、バンコクや北部タイでは見られない美しく装飾されたラオス様式の独特の仏塔が目につきました。タイ国内でも地域によって大きく異なりメーホンソンのミャンマー様式の寺院と対比して、タイ国の成り立ちの歴史を振り返るには格好の教材になると感じました。


ナコンパンム紀行雑感

2013年2月27日
JTBF会員:奥村紀夫

皆さまそれぞれにすばらしい紀行文や詩を寄せてくれる中で、私も何か書かなければと一文寄せます。雑感と件名にある通り、雑文で す、恐縮ながら・・・・。

【ガイドに恵まれたこと】
出発のドンムアンでは今時珍しいプロペラ機を背景に写真をとり合ったり、ひとしきりはしゃいで乗り込むのが遅くなったが、それよりも遅く一番最後 に乗り込んできたノッポの男性がいた。それがガイドのヨンさんだった。ナコンパノムの空港ではじめて自己紹介があった。今度の旅が好印象で終わっ た要因のひとつにヨンさんの存在をあげたい。旅が終わってみると、彼は我々の仲間内の一人だったような感じがする。しかしガイドとしてのけじめは しっかりつけていた。また旅の参加者が口々にイサン料理に堪能したと感想しているが、ヨンさんのアドバイス(特に料理の選択)が適切だったことも 忘れられない。ラオスでのガイドはトゥックさんといった。ヴィエンチャンから来たといっていた。ヨンさんとは違った持ち味だったが、彼も我々の旅 をた のしいものにしてくれた。

【タ・カェークという場所】
第三友好橋を渡ってナコンパノムの対岸がタ・カェークである。今回はここを起点に初日の観光が予定されていたので、出発前にネット検索してみた。 その結果わかったこと、日本語では検索にひっからなかった。ということは日本人はほとんど行っていない、ということ。さすがに英文では色々出てき た。欧米人は冒険心が強い、というか余り既存の観光ルートにこだわらないということか。
我々は今回洞窟を2箇所たずねたが、近くに都合6箇所あるとのことだった。

【日の出の太陽がポッカリ浮かんでいた】
ナコンパノムは10年ほど前にタイの友人と来たことがある。その時その友人の触れ込みはメコンと夕日だった。もっともその時はメコンを背に夕日を 楽しむしかなかったのであるが、今回は第三友好橋を渡ってラオス側からメコンの向こうに夕日を望めるのが魅力だった。実際夕日も朝日も魅力的だっ た。 しかし写真も数多く撮ったので、余り言葉で補う気にはなれない。一言だけ添えたいこと・・・・。
2月7日の朝、日の出を拝もうと川岸に下りた。真っ赤な片鱗が見え、それがみるみる大きくなっていく日の出を期待しながら、メコンの向こう東の空 を眺めていた。そのうち気がついた。朝日がすでにポッカリ浮かんでいたのである。薄切りした大根のような感じだった。なるほどこんな日の出もあるんだ、と妙に感心した。それから段々色彩を濃くしていき、川面に光の乱舞が始まったのである。

【未舗装の道】
事前に配布された旅行計画には、プー・タムプラと書かれていた。ネットで見た英文の紹介記には Tham Pha Fa (Buddha Cave) と書かれていた。祠 (cave) の中には沢山の仏像がまつられていて、従って靴を脱がないと入れない、写真撮影も禁止であった。つい最近2004年、地元の人が蝙蝠の後を追って発見したばかり、という話が興味深かった。ここにはハイウェイ(立派な一般道か)から未舗装のローカル道路に入って、でこぼこ道を10キロほど車に揺られてようやくたどり着く。舗装された道路に変るのも時間の問題だろうと思いながら揺られていると、でこぼこ道もなつかしく思われた。5年ほど前ルアンプラバンに行ったとき土の道路で子供たちが遊んでいる姿をみて、自分が子供の頃の田舎の原風景をみたような気分になったことを思い出した。

【税関職員は食事で留守だった】
2月6日タイに再入国するとき、ラオス側の出国ゲートの窓口は留守だった。一寸離れた建物の中で職員が夕食をとっている最中で、あわてて戻ってくる気配はなかった。15分は待たされただろうか。我々の誰一人として苦情をいう人はいなかった。悠然たる時の流れを楽しんだ、といっては語弊があるかもしれないが、何か失ったものを再発見したよう気分だった。さすがにヨンさんは言っていた、この橋も交通量が多くなったらこうはいかないで しょう、と。

【ナンエン洞窟と秋芳洞】 ナンエン洞窟の中で、秋芳洞と比べたらどうだろうと話題になった。入ってみて感じる規模は同じようなものではないかと思う。どちらも良く整備されていると思う。秋芳洞は途中所々光りが乏しくスリルを感じるが、ナンエン洞窟のほうはその点明る過ぎる感じがした。秋芳洞では鍾乳の色々な形に名まえが付けられてうるさいぐらいだが、ナンエン洞窟はさっぱりしている。このほうが自分で勝手に想像して名まえをつける楽しみがあるといえるかもしれない。2年前これもTATの紹介でルーイを旅したとき、ルーイ県とコンケーン県にまたがるプーパマン国立公園にパヤナカラートという洞窟をたずねたことがある。まだ未整備で入り口から一寸しか入れなかったが、ここは夕刻10キロに及ぶ蝙蝠の列が見られる。蝙蝠と洞窟は縁が深い。ガイド のトゥックさんにナンエン洞窟ではどうかとたずねたが、蝙蝠はいないという。一寸残念というか、整備が進み過ぎて自然が失われたのかとも思った。

【プーパートゥープの奇岩】
どうも洞窟だとか奇岩に興味がいってしまう。ここはムクダーハン国立公園である。私は入り口から1キロの地点まで行ってみた。最奥まで行っても 2.4キロと看板にあった。時間があれば軽いトレッキングが楽しめたのに、と一寸残念。最も奇岩は入り口の近くに集中していたので、これはこれで 楽しめるスポットではあった。

【橋】
橋に触れないわけにはいかない。第2、第3の架橋を色々な角度から眺める機会があったが、一番印象に残るのは、ムクダーハン展望台から遠望した第 2架橋である。中州の向こうにかすむ様に見えた。遠くから眺めたほうが、色々な思いをのせてくれるような気がしたのかもしれない。


終わりに(5月1日配信から英訳して再掲)

JTBF会員:水谷和正 (Kazumasa Mizutani)
2013/5/01

This year, JTBF undertook a trip to Nakhon Phanom and Mukudahan as supported by Tourism Authority of Thailand, Tokyo Office. It was quite a successful and attractive trip. As a chief of Tourism Committee of JTBF, I would like to express my hearties appreciations for their cooperation. Following is a closing message of 3 months web-publication of the tour reports.

Japan and Thailand have a close relation-ship in business as well as in tourism. Tourists from Japan to Thailand exceeded 1.2 millions in the last year. It is a good news, but, on the other hand, destinations of the tourists are confined to major spots of Thailand, namely Bangkok, its outlying cities, Chiang Mai, Phuket, and so on.

While JTBF undertook unique trips to Thai countryside every year, we did not have opportunities to see Japanese tourists so much as compared to westerners on those occasions. It is said that more than 40 thousands of Japanese stay in Bangkok. But, only a limited number of them are supposed to think of visiting countryside.

Playing golf, enjoying massage and relaxing in a bar are attracting features of tourism, indeed. But they may not be everything. For me, making a trip is to go forward to unknown world to find something special. Any time I join a trip to Thai countryside, I find something new, something encouraging. Local customs, local people and the nature on the site are so attractive.

At the end of a trip of this time, I would like to say thanks to two tour attendants, Yong san (Thailand side) and Tuk san (Laos side). They treated us in a fair and controlled manner and provided us with precise explanations in a timely manner, even thou we were a sort of too-much-talking senior guys. They remind us of an important role of tour attendants in promotion of tourism in any country.