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バックナンバー 2013-11

「フラッシュバックタイランド」
タイ国日本人商工会議所「所報」より転載

~元タイ駐在員のその後~ 第15回

JTBF会員:深海 八郎
2013/11/01

タイに世界一のコンテナターミナル出現!

 現在では海上貨物のコンテナ輸送は当たり前のことになっていますが、当時の海運業界にとってそれは正しく「コンテナ革命」と呼ばれる、今様に言えば「破壊的イノベーション」でした。雨の天候を心配しながら、仲間と呼ばれる船内沿岸の労働者が本船に備えられたクレーンで貨物を積み降ろしし、ヤードではフォークリフトで木箱の貨物を一つ一つ運ぶ従来の荷役風景は一変して、航空母艦に積み上げられた積み木のようなコンテナを岸壁の巨大クレーンで積み降ろしし、コンテナを抱えたトランスファー(門型)クレーンが無人のヤードを縦横に走り回る、まるで星新一や手塚治虫が描く近代的なマシーンの世界に変わったのです。コンテナ輸送はその安全性と利便性、加えて無天候型荷役と簡易梱包を可能にした低コスト性で海運業界を瞬く間に席巻して世界に広がりました。

 そんな輸送革命の波が日本に押し寄せ、日本初のコンテナ船「箱根丸」が品川港からLA(ロスアンジェルス)に就航したのは、筆者が日本郵船(株)に入社した翌年、1968年(昭和43年)のことでした。筆者はそれ以来約半世紀、まるで「コンテナの申し子」のようにコンテナ輸送の物流業務に携わってきましたが、タイのコンテナターミナルの運営に直接関わることになるとはその頃は想像もしていませんでした。

 タイへの日本企業の工場進出が本格化して輸出入貨物が飛躍的に伸びてきたタイ-日本間にコンテナ航路が就航したのは1981年でした。当時のコンテナターミナルは、チャオプラヤ川を上ったクロントイ港、業界ではバンコック港と呼んでいました。河川港でもあるので水深が浅く300-500TEU 型の小さなコンテナ船しか入出港できませんでした。

 その後世界のコンテナ船はどんどん進化して、パナマ運河を通過できる最大限のパナマックス型と言われる3000-5000TEU 型のコンテナ船が主流を占めるようになり、コンテナターミナルもそれに応じて大型化されました。タイのバンコック港ではこの第二世代目のコンテナ船を取り扱うことができず、新しいコンテナターミナルの建設が計画されたのがラムチャバン港でした。タイの Ngow Hock Group と邦船社の MOL/NYK の3社で J/V、TIPS(Thai International Port Service Ltd.)を立ち上げ、新設の第3バースを借り受けてコンテナターミナルの建設に着手し、1991年11月に開業しました。

 計画当初より邦船社は経験豊かな専門家を送り込み、完成後もオペレーションやメンテナンスのアドバイザーを駐在させ、新ターミナルの運営を支援してきました。また現法泰国日本郵船の社長も非常勤役員として経営に参加してきました。

 筆者は1990年に NYK 本社の港湾グループの担当副部長に赴任し、この TIPS の建設当時から関与することになりオープン式にも臨席しましたが、その後1995年には泰国日本郵船の社長に就任して4年間 TIPS の経営にも参加し、そして本社の港湾担当役員として2年間、通算11年も深く TIPS の運営に携わることになりましたが、本当に不思議な巡り合わせとしか言いようがありません。

 21世紀に入ってタイはまさに破竹の勢い、1997年7月1日の通貨危機も見事に乗り越えて輸出入のコンテナは途絶えることなく伸張し続け、ゼロから出発したラムチャバン港は10年後の2001年には取扱230万TEU に、20周年の2011年には573万TEU に達して世界の23位にランクされ、455万TEU・27位の東京港を遙かに凌駕するまでに成長しました。この間2005年には TIPS はなんと84万TEU の取扱いを記録しました。筆者の経験から言えば、岸壁300mのコンテナバースでは物理的に50万TEU 以上を取扱うのは不可能だと思っていますが、TIPS の優秀なタイスタッフが考え出した運営はオン・ドックのヤードでは揚げ積みのコンテナのみ取扱い、コンテナの荷主との受渡しはオフ・ドックのヤードで扱う分離方式でした。

 しかし時代は更に進化して、ポストパナマックスと言われる船長350mにも達する、8000-12000TEU 型の大型船に移行しつつあります。さて TIPS はこれからどう対処していくのだろうか、名古屋港の NYK の港運会社旭運輸での10年間の勤務を終えて、昨年6月京都で隠居生活を始めていた筆者にとっても、最大の関心事でありました。

 そんな状況の中で、今年5月突如泰国郵船の現法社長よりメールが入り、TIPS の新会長と創立当時から社長のスメット氏が日本を訪問するのでお会いしませんかとお誘いを受けました。もちろん断る理由はなにもなく、楽しい一夜、杯を交わして旧交を暖めると共に翌日ゴルフをする機会に恵まれました。

 その時スメット社長から、「TIPS はヤード機器を増設して取扱い100万TEU を目指す」とその抱負を聞かせてもらったのです。筆者は即座に、若しそれが実現できれば「ギネスものだ」と応じ、「100万TEU を実現して、ギネスブックに登録しよう!」をキャッチフレーズにすることを提案しました。それは300mのバースで100万TEU の取扱実績は、世界のコンテナ輸送の歴史に刻まれるべき記録だと思ったからです。(もっともギネス登録記念パーティーを開催して OB を招待してもらいたいという意図はみえみえでしたが。)

 タイと関わり合って20年余、毎日が日曜日の筆者にも大きな楽しみの贈り物を与えてくれたのはお釈迦様の言われる縁起としか説明のしようがありません。こんな喜ばしい夢を持ち続けさせて貰える TIPS とタイの古き友人達にただ感謝あるのみです。



元泰国日本郵船社長