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バックナンバー 2014-05

「フラッシュバックタイランド」
タイ国日本人商工会議所「所報」より転載

~元タイ駐在員のその後~ 第22回

JTBF会員:上月秀俊
2014/5/01

 私は1989年6月~1994年7月の5年余バンコクに駐在、タイでは丁度モータリゼーション初期で大変多忙を極めた時期で多くの現地駐在の方々にお世話になった。この機会に当時の冷や汗体験を何かの参考になればと思い出し記して見たい。
 JCCでは日本の経団連国際交流委員会が取り組んだ第一号プロジェクト、経団連スカラシップ(タイ東北部中高生1800名/年への奨学金)を、タイ教育省と.ぐJCC経団連スカラシップ初代専任理事として、日本側拠出企業30社のタイ出先企業関係者との連携、特に「顏の見える交流」を念頭に、東北地方17県を対象に、熱心な経団連の高齢の委員長・現地企業代表者と共に、毎年現地交流へ出掛けた苦行は思い出が多い。細かくはJCC創設40周年記念号に寄稿しているので割愛するが、東南アジアにあるJCCへこの事例紹介の為、足を延ばしお付合の輪を広げる事が出来、この事業は日本企業にとってタイの将来を担う人々への良い事業であった。
 自動車産業ではピックアップトラック国産化率65%超えで、生産体制は1直3残公出を2直へと多忙を極め、販売バックオーダー数ヶ月の時代、人員は急膨張、多様化する仕様へ生産管理の電算管理体制へ、電算システム導入と生産能力倍増へ新工場建設を推進する時期だった。街なかは交通渋滞が日常化、道路の排水は悪く雨が降れば道は川の様に、日常の工場への出勤に苦労の日々であった。そんな時代に3年続きで冷や汗体験をした。

‘90:工場火災:休日の火災は大火になるので要注意
 工場拡張前段階で、部品倉庫の電算システム管理を進める為改修工事を着工する2週間前、日曜日の昼前に工場ライン際補給部品倉庫350㎡が全焼した。幸いに延焼は免れた。当日は保全人員と倉庫担当2名の社員が出勤していたが、火の気はなく原因究明に窮した。不幸にして工場メイン配線が天井を吹き抜けた火で炙られ、この復旧に1日を要しライン稼働を1日休止、この生産挽回に務めた。原因究明の為社内聞き取りと、警察へはその日の出勤者全員への聞き取り調査を要請したが、タイ人気質で口は堅く真の原因は全く掴めず仕舞。倉庫は半完成品の補給部品で、台帳も焼失し在庫数の棚卸不可に。タバコの火のポイ捨てと云われても、倉庫担当2名はタバコを吸わず信じ難い。消防車が渋滞で遅れたが7台も来てくれた。火災責任者はブタ箱入りと云われ、翌日警察署長・県知事へお詫びの挨拶(幸い知事とは親交があったので好意的に対処して貰えた)と本社への報告に追われた。

 再発防止策:改めて喫煙所指定とポイ捨ては職長定期巡回確認と記録を付けさせ撲滅へ、可燃物管理体制を強化、初期消火重点の消火器再配置・職場消防隊編成し先ず訓練を実施。特に今回は休日の為、初期消火活動の機能弱く、この対応として何としても強力な初期消火活動を休日でも対応させる為、水タンク付5T消防車を日本から購入し、守衛全員を消防隊編成し、消防車の取り扱いと初期消防訓練を徹底した。この消防車導入はタイ人に喜ばれ、毎週消防訓練を実施、新工場建設時の工場火災は悉く初期消火、さては近隣の火災まで出動、これを止めるのに苦労した。根本原因と目される部品盗難防止を加味し、日常の在庫管理を徹底した。

‘91:臨時工(派遣社員)のストライキ:政変で輸入関税大幅変更が決まり、販売見通し不安から、通常は6ヶ月以上勤務の臨時工を厳選し本工採用する事を、4ヶ月余の間中止していた。工員の5割以上を占める臨時工の一部が、本工採用の見通しが見えない事を不満にストライキを画策、突然スト決行前日午後にスト決行ビラを各トイレに貼られた。人事と派遣会社間の情報のパイプが詰っていたのか、早々に人事部長・派遣会社社長を呼び、首謀者にストの中止と要求事項の整理をさせ、会社の今後の対応計画の提示をして説得に当った。更に翌日は早朝より出勤し、守衛に集会が出来ない様にガードする配置をさせたが、昼夜勤交替のどさくさで上手く整理出来ず、昼夜勤の同調者が200人近くの集団になり、太鼓を叩き大騒ぎが始まり、器物破損行為にエスカレートしたので、交渉とは別に集会集団を移動管理させる為警察を入れ対応、夜間も警察官駐留で代表者と団交、甘い妥結は避け費用は若干掛るが派遣会社側と良く協議し、派遣社員全員解雇として、2日後から地方の就職希望者順次面接採用を始め、再雇用希望者は現場幹部に厳選させ、一週間で元の要員を確保した。生産は2直を1直に一週間戻し対応、その後生産減の挽回に努めたが苦戦した。臨時工比率も含め、木目細かい労使間協議へ改善を計った。

‘92:騒乱事件(王宮前広場で農民デモと市長のハンガーストライキが騒乱事件に発展、3日目深夜に国王が軍人首相と市長の仲裁・裁定をして終結したが、多くの市民に犠牲者が出た):3日目の朝、益々過激になるデモ隊との衝突で市民生活・工場の稼働に支障が出、終結の見通しが立たず、出・退勤時の社員の安全と可燃物を運ぶ車が全面ストップの為、LPG・燃料が底をつき、工場稼働ストップの事態が時間の問題に迫った。関係機関や関係会社の動静等の情報を集め工場停止、社員を安全に帰す時期と明日如何するかの判断を迫られた。デモ隊は郊外へ追われ、ラマ4からラムカムヘン方面へとの情報、他社の対応はバラバラ決定的な情報はない。そこで社員の安全第一、臆病と思われても早めの決断:11時ライン停止、全員即退社、翌日は臨時休業、明後日は連絡ない限り出勤とした。この日特に9時~10時は人命の安全と、工場稼働を如何すべきかの判断に非常に緊張した時だった。日本ではテレビでデモ現場の報道を見ており、ヤキモキし我々の動静を注視されていた。(確かな情報入手、適確な対応へ繋ぐ情報網の維持が課題)

帰任後のタイとの係り:

タイ人から記念に贈られた超特大ベンジャロン焼

①帰任しいすゞバス製造会社に勤務。タイ在任中タイ国いすゞのタイ人幹部に会社が購入したゴルフ場の会員権を貸与して、タイ人との普段からのコミュニケーション向上へ、社内ゴルフコンペを始めた。その関係でタイへは毎年5月にタイいすゞのタイ人幹部と10年続けて毎年ゴルフコンペを開催、その後5年毎で来年が20年目のコンペを開催する予定である。
②2000年にタイ人技術者早期養成と品質確保を狙いに、タイ人とNC加工機マシニングセンター・ミーリング加工のシミュレーターソフト・金型検証ソフト・設計ソフトの販売会社を立ち上げ、キングモンクット大学ラカバンに、実習用実機が少なくても教育効果を上げる狙いでソフトを導入し、40人クラスを立ち上げた。このソフトは技能五輪挑戦レベルまでの訓練にも使える。地方の工業高校へも導入したが、一般企業向けはイミテーション物の出廻り、価格差多く苦戦した。
③原価低減耐久信頼性向上に寄与する、潤滑剤の会社設立に参画し支援をしている。ここは自動車業界の成長と共に好調を続けて来たが、近年イミテーション物が出廻り、補用品で苦戦の兆しが出ている。タイでのやっかいな問題はイミテーション物の取り締まり、取締る部署への裏金次第で左右される話を耳にする。この社会の公正が進んでいない様子は旧態依然で残念である。関連部署の体質改善とイミテーション物撲滅の行動を期待している。

 異国では色々な違いがあり、何が起きるか解らず気掛りである。予め種々事例を参考に、常に備えを怠らない事が大切である。JCC会員会社の益々のご健闘ご繁栄を祈念申し上げます。



元泰国いすゞ自動車㈱社長