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バックナンバー 2014-06

「フラッシュバックタイランド」
タイ国日本人商工会議所「所報」より転載

~元タイ駐在員のその後~ 第23回

JTBF会員:谷口武彦
2014/6/01

はじめに

 私にとってタイとの関わりは「一期一会」、すなわち人との出会いの大切さ、すばらしさを学ぶことからスタートした。 タイへの最初の赴任は1989年1月。それから帰国する1995年6月までの6年半の駐在期間中多くの得難い経験が出来た。その時期はタイの第一次自動車産業確立期でもあり、年間10万台程度の販売台数で推移していたタイ自動車市場は1980年代後半から飛躍的な拡大を遂げ、駐在期間中は常に右肩上がりを呈し帰国の1995年までに約60万台の市場に成長した。
 先ず云えることはこのように大変恵まれたビジネス環境の中で仕事をやらせてもらったといっても過言ではない。
 また駐在期間中は、日産自動車として現地代理店への資本参加交渉やパートナーのファミリー問題などもあり、あっという間の6年半だったという印象である。
 駐在期間中最も充実し思い出に残る仕事は、現地資本による代理店任せのビジネス方式に代えて合弁会社を設立することにより、日産自動車としてタイのみならずアセアンにおけるビジネスの橋頭保を築くことが出来たことである。

駐在の思い出・・・出会い

 私自身は、当時バンコック事務所長また合弁会社(名称サイアム日産自動車)設立後は同社の執行副社長という立場より本社を代表して常に現地パートナーとの接点にあったため厳しい事態に追い込まれたこともあったが、そのような状況の中で最も印象深いまた感銘を受けた事は現地パートナーのトップであったタワン氏との出会いであった。
 同氏は1916年に中国潮州で生まれ、幼少の頃両親と共にタイに移住してきたいわゆるタイの典型的な華僑である。商才に長けたタワン氏は、若くして日産自動車をはじめ数社の自動車メーカーの販売代理権を確保すると共に日系主要サプライヤーの製造権も取得するなど、実力経営者として当時タイ7財閥の一つとして評価されていた。
 日産自動車のタイビジネスはこのタワン氏率いるポンプラパファミリーを代理店(会社名サイアムモーター)として行われてきたが、将来のタイ市場の日産海外戦略上の位置づけを考え同社に資本参加することになったわけである。
 当時マスコミは、「タイ自動車業界で唯一の民族資本として生きてきた名門サイアムモーターまでが日本の軍門に下るのか」というセンセーショナルな書き方で騒ぎ、国を挙げての大きな物議を起こしたのは記憶に新しい。
 多くのファミリーは日産資本参加への賛成派と反対派に分かれる共に、賛成派も株主還元金額を巡って骨肉の争いにまで発展した。そういう中でファミリー総帥のタワン氏は一時的に外部人間をトップに据えたりするなど、商才のみならず政治的手腕も大いに発揮しつつ巧みな経営さばきでファミリーをまとめ、日産側ともお互い納得し合える合意にまで持ち込んだ。
 私自身はその頃常時タワン氏の考えや行動を知ることのできる立場であり、同氏のその経営手腕に深く敬服すると共に、当時40代の若造を信頼して多くを相談してくれたことに大変感銘を受けたものだった。そしてそのことはその後の私自身の仕事のやり方、特に人との接し方に強い影響を与えたと言える。
 人との関わりはどういう形で進展していくか分からない。
 当時は余り予期していなかったことだが、日産退職後もタイとの関わりは多く、その都度、人との出会いの偶然性と共にその大切さを感じている。
 例えば、現役を退いた2009年直前には自動車内装部品メーカーである河西工業のタイ法人の事業立ち上げのため再び駐在したが、其のことは単にタイで勤務するということのみならず、タイの旧知との関わりを深め、進展出来たという点でも恵まれた経験であった。また、第1回タイ駐在からの帰国後の1996年からは縁があってJリーグの仕事に就いたが、その関係上、日本サッカー協会関係者のみならずタイサッカー協会関係者とも知己を得たという予期せぬ出会いもあった。

現在のタイとのかかわり

 現役時代はタイのみならず米国、英国での駐在を経験し、各々の国でその都度仕事は過酷であっても素晴らしい生活環境や文化、また現地の人との関わりを経験してきた。しかし、その中でもタイは自分自身にとって一番印象に残るまたキャリア形成に最も貢献してくれた国であったと言える。
 そういうことから、必然的にタイは第二の故郷という位置づけであり、リタイヤ後は積極的に日タイ間のボランティア活動に取り組んできている。そして現在いくつかの活動に関与させていただいている。
 そのひとつが、「所報」で連載記事のページをいただいているJTBF(日タイビジネスフォーラム)での活動である。私は自動車産業経験者ということから、そこで自動車委員会委員長を担当させていただいている。日タイ間の自動車産業に関する情報交換、支援などOBの立場で今後ともお手伝いが出来ることを願っている。
 もう1つ、これが現在の主たる活動であるが、2010年以降、HIDA(海外産業人材育成協会)の専門家としてタイ国立大学の客員講師を拝命し、毎年半年ほどタイに出かけていくつかの大学で講義をして来ている。講義テーマは「日本企業文化講座」と称し、タイの日系企業に就職を希望する国立大学工学部の学生に、日本企業文化全般を幅広く理解させることである。その内容は講義を中心としながらも、インターンシップ、日系企業工場見学、ジョブフェアなどと共に、企業の代表者を招聘し企業活動の内容等を話していただくというものであり、ビジネス経験者としてのバラエティーに富んだ講座内容を企画し授業を行っている。
 この過程で今まで多くのJCC会員企業の皆様にお世話になってきており、この場を借りて御礼を申し上げたい。
 現在、多くの日系企業が優秀な人材を求めてリクルート活動をしているが、期待通りの人材確保や採用後の定着率でいくつかの課題を抱えているのが実情である。そのような採用環境を認識し、私の現在の仕事は日系企業の従業員予備軍であるタイの学生に対して、就職前に日本企業の実態をなるべく具体的な形で知らしめ、また理解させて就職促進を図る一方、ミスマッチによる就職後の転職を最小限に留めたいということである。
 幸い、今まで接してきている学生の多くは大変真面目で熱心である。優秀な学生は日本研修に参加できるというのもこの講座の大きな特徴であるが、日本で工場見学に連れて行くと訪問先の経営者から例外なく、「日本の学生よりも積極的に現場を見ているし、質問も多い。」と言われる。それを聞く私の立場は複雑であるが・・・。
 私としては、今後とも微力の及ぶ限りタイの学生の人材育成に取り組み、結果として進出している日系企業のお役に少しでも立つよう努力していく所存である。また、現在の活動を通じてタイ大学関係者及学生また多くの日系企業の方々に知己を得ることが出来るは、「人生は人との出会い」という自身の人生テーマにも適うものであり、大変恵まれた環境での活動と思っている。

最後に

 JCC会員企業の皆様方は、グローバル化の中で日夜多くのご苦労を抱えておられる訳ですが、一方で、今日世界で最も注目を浴びているタイ国での駐在は、他のどの国よりも充実感が高いと思われます。
 ビジネス環境もさることながら、世界のどの国よりも人間的な温かさ、心の広さ、豊かさをもつタイ人との関わりは大変有意義なものではないでしょうか。
 また世界は広しと言え、日本に対してここまで親しみを持ってくれる国は自身の経験上では他に見当たりません。このような国との関わりを私自身大切にしたいと思っています。



元サイアム日産自動車㈱社長