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バックナンバー 2015-01

「フラッシュバックタイランド」
タイ国日本人商工会議所「所報」より転載

~元タイ駐在員のその後~ 第30回

JTBF会員:今城 彰
2015/1/01

 タイとのご縁は、私が日本長期信用銀行シンガポール支店に赴任した1981年に遡ります。

 当時タイ国内には先達となる邦銀もすでに隆々と存在されていましたが、急速な経済発展を目指すタイ国政府機関、また事業基盤の整備、拡充に乗り出したタイ企業、さらに盤石の製造拠点を築こうとする日系企業等が必要とする巨額の資金の調達には、国際金融センターの一つとして躍進しつつあったシンガポールに集まる邦銀、諸外国の有力銀行をいかに巧く利用するかが鍵となっており、これに応えてシンガポールのオフショア・バンクもタイ案件獲得に鎬を削っていました。シンガポールのチャンギ空港から当時のドンムアン空港に向う機内で、内外のご同業と鉢合わせすることも稀ではなかったのです。

 ドンムアンもその頃は田園に囲まれたのどかな佇まいで、豪雨による一帯の浸水のため空港が孤立した際には、飛行機は着陸したもののターミナルから出るに出られず、結局予定していたスケジュールを諦めてそのまま夕刻の飛行機でシンガポールに舞い戻った記憶もあります。

 1980年代、日本長期信用銀行はバンコク事務所の他に、サイアムコマーシャル銀行との合弁証券会社ブッククラブを擁していました。ブッククラブ証券にはサイアムコマーシャル銀行の主要株主であった王室財産管理局クラウンプロパティービューローから会長、役員を迎えており、こうしたチャネルを通じてさまざまな分野に多くの知己を得たことが、後に支店長として駐在した際(1995~1999年)に大いに資することとなりました。

 無論シンガポール時代の私は駆け出しの営業担当次長で、タイでご親交をいただいた相手も多くが実務レベルの部長、課長クラスでしたが、一日の仕事を終えて上位職ではない気安さからどちらからともなくグラスを傾けるサインを交わし、数十分後にはチャオプラヤの風に吹かれながらメコン・ソーダを啜り、それぞれの思うところを語り合うという素晴らしい経験を得ることが出来ました。

 1986年に一旦日本に帰国した後、1995年にバンコクへの発令を受けました。タイは1993年に国際的な資金の導入を目論んでBIBFを創設、フルブランチへの昇格を餌に各国の銀行に覇を競わせていた頃です。日本長期信用銀行も当然ながらフルブランチ・ライセンスを目指し、営業基盤の拡充、数字の積み上げに努めていました。

 ここで大いに助けられたのが十年を遡るタイの懐かしい友人達との再会でした。私の名刺に支店長の肩書がついたのと同様に、彼らも組織の判断を任される幹部クラス、役員クラスの椅子についており、挨拶に訪れた各所で初対面の名刺交換でなく、旧交復活を歓迎する笑顔に迎えられたことが私にとってまことに有難いものでした。

 彼らと話を重ねるうち、彼らの後輩達、すなわち十年前の彼らを彷彿とさせる新進気鋭の部長、課長クラスを交え、昔日同様の勉強会(と称する呑み会)を持てないかという打診を受けました。こちらも異を唱える謂れはなく、例えば日本経済の俯瞰、日本企業の成功の秘密、日本の経営者の考え方について等々、企業、役所、その他から集まったメンバーが思い思いに持ち込むテーマについて、月一度、あるいは隔月というようなペースで勉強会を開催、当然その後は場所を変えてアルコールで喉を湿らせての意見交換会(と言えば聞こえは良いのですが、要は雑談会兼呑み会)に移行というパターンがしばらくの間続きました。若手官僚を交えた議論が深夜に及ぶこともしばしばでした。真剣にタイ国の将来、また携わる事業の先行きを考える彼らからの質問、あるいはロジックの組み立てに学ぶことも多く、1997年7月のトムヤムクン・ショックの際にはこれをもとに銀行のお取引先企業の皆様にも有益な情報をご提供させていただくことが出来たと考えております。

 残念ながら日本長期信用銀行は間も無くその幕を閉じることとなり、皆様に多大のご迷惑をおかけすることになりましたが、一銀行としてある程度の足跡を記すことが出来たのも、こうしたタイの方々の情熱とエネルギーに支えられた賜物と強く確信しております。また支店閉鎖にあたってはJCCメンバー各社のご理解とご支援を賜り、有能なタイ職員が一人も欠けることなく就業機会を頂戴することができました。深く感謝する次第です。

 1999年、銀行の支店閉鎖、関係会社の処理に目処をつけてタイを離れ、以後外資系を含めて少なくない企業での役職を経て来ました。この間も縁があってタイと日本の間を取り持つ幾つかの案件に携わることが出来ましたが、節目節目で旧知の伝手に助けられたことは言うまでもありません。

 あるM&A案件に対する助言業務に携わった際、先方タイ企業の会議室に入ると正面に陣取っていたのは旧知の一人だったというようなこともあり、当該案件が極めて円滑、迅速に進捗したことは容易にご想像いただけると思います。現在はコナミスポーツ&ライフの顧問の任に就いていますが、タイを含めて躍進するアジア各国では『健康』『運動』に対する関心が急速に高まりつつあり、タイの皆様からもいろいろとご質問、ご照会をいただいております。

 JTBFではタイ、日本の一層の連携をお手伝いさせていただこうと、企画委員会、農業委員会に名を連ねております。これとは別に、一個人として日本国内で日本企業に勤めるタイの方々の相談相手となったり、タイの情報、タイでのパートナーを探す日本の事業者、団体の相談に乗ったり、また日本での受け皿を探すタイ企業から相談を受けたりすることもあり、タイとのご縁の延長線上でお役に立てることを喜んでいます。

 巷で『日本人は・・・』と表現される内容が、一般論としては正しいけれども、それが個々人にはそのまま当て嵌まらない、あるいは個々人を十分に描写出来ていない場合があります。総論で括れてしまうために、逆に個々の特徴、特性には目を瞑ってしまうという現象でしょうか。

 私もタイを語る際に、同じ誤謬に陥らないよう心がけています。私達が『タイの人は・・・』と話し始めることによって、一般論としての理解は進むかも知れませんが、個々人としてのタイの方達はそうした一般論を越えたところでもっといろいろなものを深い懐の中に持たれているのでは・・・と考えるからです。『タイの人』を『温厚』『礼儀正しい』と理解することは間違っておらず、非常に大切なことですが、温厚であると同時に、ある意味昨今の日本が忘れてしまった情熱とエネルギーに溢れた沢山の人々に出会えたことが私のタイのフラッシュバックです。

 過日バンコクの夜空の下、グラス片手に勝手気儘な放談を楽しんだタイの友人達の殆どはすでに悠々自適の生活に入り、時折メールを交わすだけの付き合いとなっていますが、一朝事があればお互いすぐに友として馳せ参ずる用意があることは過去の例で実証済みです。『お互いの目線を十分に理解し、語り合うことができれば、時間、空間を越えて永い付き合いが出来る』と堅く信じ、そのためにも『タイの友人達を見習い、情熱とエネルギーを持ち続けたい』と願う今日この頃です。



元日本長期信用銀行バンコク支店長