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バックナンバー 2019-05

唐船風説書

第26回 2019.5.1 配信
JTBF 広報委員会

タイとの交易は、御朱印船の時代(16世紀末から17世紀始め)、当時の王都であり国際的な港湾都市として繁栄したアユタヤとの間で盛んであった。その後鎖国によって交易は途絶えたと思われがちであるが、実際は唐船を介して継続していた。唐船は中国沿岸はもとより遠く東南アジアと長崎を結び、その船乗りの口述記録は「華夷変態」(1644~1724 林春勝と林信篤の編纂)に納められている。その中から東南アジアを出航地とした記録を拾い上げ英訳したのが「The Junk Trade from Southeast Asia」で石井米雄氏(京大名誉教授、故人)の執筆による。JTBF 広報委員会は、この本に触発され、華夷変態から特にタイを出航地とした記録を抽出して現代文に訳して紹介していきたいと考えている。出航地はシャム(アユタヤ)、リゴール(ナコン・シータマラート)、パッターニー、ソンクラーである。シャムとリゴールは山田長政ゆかりの地でもある。


元禄七年(一六九四) 六十一番シャム船の唐人共の口述

私共の船は、シャム王様の指示のもとに積荷を調え、彼地において唐人が百三人シャム人が上下三人、都合百六人が乘組んで閏五月六日に友船無く、シャムを出帆して渡海して参りました。後続の船は無く私共の船一艘のみでございます。渡船の途中洋中で変わったことは無く、何船にも行逢うことがありませんでした。海路乘り筋も良く難風にも逢うこと無く、順調に滯り無く渡海して参りました。日本の地は何国にも船寄せること無く、直に今日入津致しました。船頭江景官ならびに乗り渡って来た船共に、去年の七十五番の船人でございます。

次に大清安否の樣子ですが、シャム国は大清の外国ですから委細は存じません。しかしシャム国は以前からのしきたりで大清へ貢礼しております故、往来の船の便りで(大清の)何国も静謐であると聞いております。そのシャム国も今年に至り格別清寧でございます。去年迄はシャム属国のパッターニーと申す国が、シャムへの貢礼を止め少々異心を挟んだので、シャムより征討の兵船を指向け、勝劣のわかちもなく久しく対峙しておりましたが、パッターニーも少々ひるんだのか去年和談に成り、以前の通りシャムへ貢礼を再開したので寧清に成りました。シャム兵卒軍船も和談を幸に皆々引上げましたので、商船の往来は弥々もって別状ございません。またシャム近国のカンボジアも平安でございます。ご当地へ商船を差し向けたい意向はありますが、在国の商船は皆々小船でご当地へ荷物を積渡る程の船はございませんので、当年はカンボジア仕立ての船は無いとのこと、これはカンボジアからシャムへ渡ってきた唐人共の話でございまして、従ってカンボジアからの渡船は無いものと思います(注①)。以上申し上げたことの外、変わったことはございません。

 右の通り唐人共が申すに付き、書付け差上げ申しあげます、以上。
 戌六月廿七日       唐通事共


注① カンボジアを本拠地とする船は無いということで、次の六十二番船のように、他港から立ち寄って商品を調達する船はあった。


元禄七年(一六九四) 六十二番カンボジア船の唐人共の口述

私共の船は、当正月に漳州(注②)よりカンボジアへ渡り、そこで積み荷を仕立て、唐人三十八人が乗り組んで、閏五月十三日に友船もなく私共の船一艘のみで出帆して渡海して参りました。カンボジア本地仕出ての船は一艘もごもございません。外に後続の船がもう一艘ございまして、この船は広東からカンボジアへ渡りその後ご当地へおもむく筈で、私共の船には少し遅れて彼地を出船した筈でございます。やがて来朝することでございましょう。この船と私共の船と二艘がご当地へ渡ってくる船でございます。カンボジ本地仕立ての船も有る筈でございますが、いずれも小船で、ご当地へ荷物を積み渡る程の船は無く、従って本地仕立ての船はございません。今度の海上、変わったことはありませんでしたが、私共の船の乘り筋が悪く海路に日数を費やしました。上述閏五月十三日にカンボジアを出船し、六月廿日に漸く普陀山に船を寄せ水薪等を調え、同廿三日に普陀山を乗り出し渡船して参りました。海路において何船も見かけることはありませんでした。勿論日本の地何方へも船を寄せること無く、直に今日入津致しました。船頭徐盛官は、十二年前にご当地へ渡ってきた者でございます。乗り渡ってきた船は去年の二十六番船でございます。

次に大清の今年の安否ですが、カンボジアは大清の外国でございますから委細はわかりません。大清の地より来朝の船から具に申し上げていることと存じます。カンボジアは去年迄は清寧に程遠く数度乱逆がございましたが、今年に成ってからは異変は少しもなく国中安寧でございます。大清の地より私共の船等が数艘渡ってくる外他所から渡ってくる商売船もございません。外には聊かも変わったことはありませんので、申し上げることもございません。

 右の通り唐人共が申すに付き、書付け差上げ申しあげます、以上。
 戌七月四日       唐通事共


注② 福建省南東部に位置する


文責 奥村紀夫(JTBF 会員)