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バックナンバー 2019-07

唐船風説書

第28回 2019.7.1 配信
JTBF 広報委員会

タイとの交易は、御朱印船の時代(16世紀末から17世紀始め)、当時の王都であり国際的な港湾都市として繁栄したアユタヤとの間で盛んであった。その後鎖国によって交易は途絶えたと思われがちであるが、実際は唐船を介して継続していた。唐船は中国沿岸はもとより遠く東南アジアと長崎を結び、その船乗りの口述記録は「華夷変態」(1644~1724 林春勝と林信篤の編纂)に納められている。その中から東南アジアを出航地とした記録を拾い上げ英訳したのが「The Junk Trade from Southeast Asia」で石井米雄氏(京大名誉教授、故人)の執筆による。JTBF 広報委員会は、この本に触発され、華夷変態から特にタイを出航地とした記録を抽出して現代文に訳して紹介していきたいと考えている。出航地はシャム(アユタヤ)、リゴール(ナコン・シータマラート)、パッターニー、ソンクラーである。シャムとリゴールは山田長政ゆかりの地でもある。


元禄八年(一六九五) 二十六番カンボジア船の唐人共の口述

私共の船は、去る十二月に寧波(注①)よりカンボジアへ渡り、その地で荷物を仕立て、唐人五十六人が乗り組んで、当五月十八日に類船無く、私共の船一艘のみで出帆し渡海してきました。カンボジア本地仕立ての船は一艘もございません。外に後続の船が三艘有り、この内二艘は去冬御当地より帰帆して、直にカンボジアに渡った船でございます。一艘は寧波へ渡りました。この三艘共に御当地へ参る筈で、私共の船には少々後れて彼地を出船した筈でございますから、順風次第やがて来朝することと思います。カンボジア本地仕立ての船も有る筈でございますが、これらの船は皆小船で御当地へ荷物を積み渡る程の船は無く、従って本地仕立ての船はざいません。今度渡船の途中、風が不順で数度大風に逢い、船上に積んであった荷物を少々海に捨て風難を遁れました。尤もこのような風難に逢った外、海上で変ったことは無く、何船にも行逢うことはありませんでした。勿論日本の地何方へも船を寄せること無く、直に今日入津しました。本船頭陳瑗官は、去年三十番船で船頭として渡海してきました。脇船頭康嚴官は今度初めての渡海で、乗り渡ってきた船は、去年の四十三番船でございます。

次に大清今年安否の事ですが、カンボジアは大清の外国でございますから、委細は承っておりません。定めて先立って大清の地より来朝した船から、具に申上げたことと存じます。カンボジアの事ですが、一昨年は清寧に程遠く、数度乱撃の事態もございましたが、去年よりは異変も無く、国中安寧で何事もございません。勿論カンボジアの近国にも、変ったことは無く寧静とのことを承っており、その他聊かも変ったことはございませんので、別に申し上げることはございません。

 右の通り唐人共が申すに付き、書付け差上げ申しあげます、以上。
 亥六月九日       唐通事共


注① 浙江省東南部に位置する。上海の南約100km。


元禄八年(一六九五) 二十七番カンボジア船の唐人共の口述

私共の船は、当正月に寧波よりカンボジアへ渡り、彼地に於いて日本商売向けの荷物を調達し、今度唐人六十二人が乗り組んで、当五月廿日に類船無く、私共の船一艘のみで彼地を出帆して渡海してきました。カンボジア本地仕立ての船は一艘も無く、広東寧波よりカンボジアへ商売に渡り、御当地へ渡海する筈の船は都合四艘でございます。私共の船に二日先立って陳瑗官と申す者が彼地を出船しましたが、只今お伺いしたところ、昨日入津した二十六番船の由にございます。他の二艘の船は私共の船より数日遅れて出船した筈でございます。これらの船も順風次第に追々来朝するものと思われます。今度渡船の途中、洋中に於いて数度大風に逢い難儀しましたが、幸い風難を遁れ、日本の地何国へも船を寄せる事無く、直に今日入津致しました。勿論海上でも変った事は無く、何船にも行き逢うことはありませんでした。船頭林兩官は、一昨年十九番船の船頭として渡海して来ました。乗り渡ってきた船は今度初めての渡海でございます。

次に大清今年安否のことですが、私共の船は早春にカンボジアへ渡りましたので、春夏の樣子委細は分かりません。大清の地より先立って来朝した船から、具に申し上げたことと思います。カンボジアのこと、去年より国中寧謐で変ったことはございません。カンボジアの近国も変ったことは無いと承っております。これらのことは昨日入津したカンボジア船も申上げたことと存じます。この外に変ったことはなく、別に申上げるべき風説もございません。

 右の通り唐人共が申すに付き、書付け差上げ申しあげます、以上。
 亥六月晦日       唐通事共


元禄八年(一六九五) 二十八番カンボジア船の唐人共の口述

私共の船は、去年御当地へ渡海して来た六十番広東船で、秋に到来して商売をし去冬十月十五日御当地より出船して直にカンボジアへ渡り、当年迄滞船し、彼地で日本の商売向けの荷物を調達し、今度唐人七十四人が乗り組んで、当五月廿三日に類船無く私共の船一艘のみでカンボジアを出船して渡海して来ました。当年カンボジア仕立ての船は都合四艘で、その内二艘は私共の船に先立って彼地を出船しました。ただ今お伺かがいしたところでは、近日入津した二十六番、二十七番船の由にございます。今一艘の船は私共の船の後に出船した筈でございます。この船もやがて順風次第で来朝することと思われます。もっともカンボジア本地仕立ての船は一艘も無く四艘とも広東や寧波から渡海した船でございます。今度渡海の途中、洋中において数度大風にあい難儀しましたが、幸い風難を遁れ日本の地何国へも船を寄せること無く、直に今日入津致しました。また渡船の途中海上でも何船にも行き逢うこと無く今日湊沖にオランダ船二艘が入津するのを見かけただけでございます。本船頭周徹官は今度初めての渡海で、脇船頭時升如と乗り渡ってきた船は共に去年の六十番の船人でございます。

次に大清の今年の樣子ですが、私共の船は去年からカンボジアに滯留し直に渡海して来たので、委細はお伝えしようもありません。先立って入津した船の者たちが、具に申し上げたことと思います。カンボジアは静謐の樣子でカンボジアの近国も含めて異変の沙汰はありません。このことも先立って入津した二艘のカンボジア船より申し上げたことで、それに変わる風聞もなく、外に申し上げることは少しもございません。

 右の通り唐人共が申すに付き、書付け差上げ申しあげます、以上。
 亥六月晦日       唐通事共


文責 奥村紀夫(JTBF 会員)