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バックナンバー 2019-08

唐船風説書

第29回 2019.8.1 配信
JTBF 広報委員会

タイとの交易は、御朱印船の時代(16世紀末から17世紀始め)、当時の王都であり国際的な港湾都市として繁栄したアユタヤとの間で盛んであった。その後鎖国によって交易は途絶えたと思われがちであるが、実際は唐船を介して継続していた。唐船は中国沿岸はもとより遠く東南アジアと長崎を結び、その船乗りの口述記録は「華夷変態」(1644~1724 林春勝と林信篤の編纂)に納められている。その中から東南アジアを出航地とした記録を拾い上げ英訳したのが「The Junk Trade from Southeast Asia」で石井米雄氏(京大名誉教授、故人)の執筆による。JTBF 広報委員会は、この本に触発され、華夷変態から特にタイを出航地とした記録を抽出して現代文に訳して紹介していきたいと考えている。出航地はシャム(アユタヤ)、リゴール(ナコン・シータマラート)、パッターニー、ソンクラーである。シャムとリゴールは山田長政ゆかりの地でもある。


元禄八年(一六九五) 二十九番パッターニー船の唐人共の口述

私共の船は、当正月に広東よりジャバ国の内パッターニーと申す所へ渡り、そこで商売をし、そしてそこの出産の荷物を調え、ご当地を目指すつもりで、当五月廿四日に唐人六拾五人が乗り組んで、パッターニーを出帆して渡海して参りました。もっとも、今一艘厦門よりパッターニーに来着した船がございまして、この船はパッターニーで商売した後、元の厦門に帰りました。この船は荷物が少なかったので厦門において少々積み足してご当地へ参ることがあるかもしれません。この外にはパッターニーで荷を仕立てた船はございません。この度渡海の間、洋中において数度風難に逢い、もはや船も危い状態になりましたので、是非なく船上まわり積み置いていた荷物を少々海に捨て、ようやく凌ぎ渡ってきましたが、それ以外海上で変ったことはございませんでした。また何船も見かけませんでした。今朝当湊の沖に、入津する唐船二艘を見かけただけでございます。勿論日本の地は何国へも船を寄せることなく、直に今日入津しました。船頭黄二官と乗渡って来た船は共に、去年の五十番の船人でございます。

さて私共の船は早春よりパッターニーに滞船しておりましたので、当年の大淸の安否委細は承っておりません。パッターニーの事は、去年まではシャムと不和になっていて、兵船が折々パッタニーに差し向けられることもございましたが、去年より互に和談に成って、先例の通り、パッターニーよりシャムへの貢礼が行われるに伴い、去年より国土靜寧にございます。パッターニーの近国も異変の沙汰はありません。私共の本国大清のことは、福建浙江表より先だって来朝した船から委細を申し上げた筈でございます。以上申し上げた外に異説は承っておりませんので、外に申し上げることは少しもございません。

 右の通り唐人共が申すに付き、書付け差上げ申しあげます、以上。
 亥七月朔日       唐通事共



元禄八年(一六九五) 三十番シャム船の唐人共の口述

私共の船のこと、当正月に厦門よりシャム国へ商売の為に渡海し、積んでいった荷物を大方売り払い、シャムにおいてそこの出産の荷物を買い調え、直にご当地へ商売の目的で、唐人四十四人が乗り組んで、当五月十三日にシャムを出船して渡海して参りました。厦門よりシャムへ渡った船は、私共の船と合わせて五艘でございます。外に広東より一艘寧波より二艘がシャムで商売しておりました。厦門よりシャムへ渡った五艘之内、私共の船の外今一艘がシャムから直にご当地へ参る筈の船でございます。この船は順風次第によりやがて来朝するものと思います。その外の船はすべて本国へ帰ると申しておりましたが、これも本国で日本向けの荷物等が調えば、ご当地へ渡海してくることも有るかと思います。

さてまた、シャム国より年々来朝する大船も、商品の大部分は荒物ばかりで、遠海を積み渡ってきすので、雜用等も多く費用もかかり利潤も得がたいため、当年は渡海を止めるとのこと、彼地で承りました。今度私共の船は乗り筋がよく、渡船の間変ったこともなく、滯りなく渡ってきましたので、日本の地何国へも船を寄せることなく、直に今日入津致しました。また当湊の沖で前後に入津する唐船を二艘見かけた外、洋中において何船にも行逢うことはありませんでした。本船頭林楠官、脇船頭蘇貴官、また乗り渡ってきた船は、今度が初めての渡海でございます。

次に大淸の安否ですが、私共の船は正月早々より本国を出船しましたので、当年の樣子委細は存じません。シャム国は大淸の外国で、海路遠く隔てており、シャムに滞船中、春夏までのことは知る由もございません。厦門広東寧波よりの船も、皆々正月上旬に出船していますから、これも私共の船同様、大淸よりの樣子は承っておりません。

シャム国のこと、去年以来別して靜寧にございます。一昨年まではシャムの属国パッターニーと申す所が、シャムに異心をいだき貢礼等を欠いた為、シャムより征討の兵船数艘が差し向けられ、パッターニーもよく耐えておりましたが、勝劣もなく時が経過するだけ、パッターニーは小国ですから、少々ひるんだところで一昨年和談に致し、前々の通りシャムに貢礼を続けることになり、昨今は両国共に靜平になっております。それ故商売の方も安心して行えます。諸方からの商船も段々往来が増えています。またカンボジアもシャムの属国ですが、これも異変なく安寧でございますから、諸方よりの商船も数艘乗り渡って来、商売が心安くできると存じております。これらの外異聞はありませんので、別に申し上げることはございません。

 右の通り唐人共が申すに付き、書付け差上げ申しあげます、以上。
 亥七月朔日       唐通事共


文責 奥村紀夫(JTBF 会員)