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バックナンバー 2019-09

唐船風説書

第30回 2019.9.1 配信
JTBF 広報委員会

タイとの交易は、御朱印船の時代(16世紀末から17世紀始め)、当時の王都であり国際的な港湾都市として繁栄したアユタヤとの間で盛んであった。その後鎖国によって交易は途絶えたと思われがちであるが、実際は唐船を介して継続していた。唐船は中国沿岸はもとより遠く東南アジアと長崎を結び、その船乗りの口述記録は「華夷変態」(1644~1724 林春勝と林信篤の編纂)に納められている。その中から東南アジアを出航地とした記録を拾い上げ英訳したのが「The Junk Trade from Southeast Asia」で石井米雄氏(京大名誉教授、故人)の執筆による。JTBF 広報委員会は、この本に触発され、華夷変態から特にタイを出航地とした記録を抽出して現代文に訳して紹介していきたいと考えている。出航地はシャム(アユタヤ)、リゴール(ナコン・シータマラート)、パッターニー、ソンクラーである。シャムとリゴールは山田長政ゆかりの地でもある。


元禄九年(一六九六) 五十一番カンボジア船の唐人共の口述

私共の船は、当正月に寧波で商品を仕立てカンボジアに渡り、そこに滞船してカンボジア出産の荒物荷物を調達し、この度唐人四十六人が乗り組んで、六月十八日に友船も無く私共の船一艘のみ出船して渡海して参りました。総じて当春は福建、広東、浙江表より五艘の商船がカンボジアに渡っておりましたが、その内私共の船と合わせて三艘がご当地へ渡海してくる船でございます。残りの二艘の内一艘は本国寧波に戻って糸端物を積み添えて渡海してくる筈とのことでした。また前記五艘の内ニ艘は本国に帰る船でございます。カンボジア本地で仕立てた船はございません。この度渡海の途中、海上で変わったことはございませんでした。洋中で何船にも行合ったことはございません。順風にめぐまれ滞りなく渡海して参りましたので、日本の地は何国にも船を寄せることなく、直に今日入津いたしました。船頭李廉官は四年前に脇船頭として渡海してきたことがございます。脇船頭陳評官および乗り渡ってきた船は、今回初めての渡海でございます。

次にカンボジアのこと、例年の通り変わったこともなく国中静謐でございます。またカンボジア近隣の奥国もいずれも太平と聞いております。ご当地へ渡海してくる船のことは何も聞いておりません。なお大清の安否については、定めて清国より渡海してきた船が具にお伝えしていることと思います。他には、聊かも申し上げるべき変わったこともございません。

 右の通り唐人共が申すに付き、書付け差上げ申しあげます、以上。
 子七月十二日       唐通事共


元禄九年(一六九六) 六十三番リゴール船の唐人共の口述

私共の船は、元は寧波船で、去年十一月に寧波を出船し、シャムの内リゴールと申す所へ渡り、彼地で商売を終え、リゴール出産の荒物荷物を調達し、唐人四十二人が乗り組んで、当五月十三日に友船無く、私共の船一艘のみ彼地を出帆し渡海して参りました。リゴールからもう一艘来朝する筈でございますから、まもなく到着するものと思います。またシャムからも商船二艘がご当地へ渡海する筈との由伝え聞いております。もっとも毎年大清の地からシャムへ来る商船は数艘ありますが、リゴールより遠方でございますから、そこから渡海してくる船のことは詳しくはわかりません。私どもは上述の日限にリゴールを出船し、六月二十四日に普陀山へ船を寄せ、本積の荷物は荒物ばかりで金額も知れていますから、普陀山で糸端物を仕入れ少々積み添えて、同二十七日に普陀山を乗り出しました。海上変わったこともなく恙無く渡海できましたので、日本の地は何国へも船を寄せることなく、直に今日入津いたしました。船頭周大成は、一昨年の一番船の船頭として渡海してきた者で、乗り渡ってきた船は今度が初めての渡海です。

次に大清は何国も太平のこと、普陀山で聞きました。またリゴールは、変わったこともなく静謐でございます。ことにシャムやその近隣の奥国も異変なく太平の由伝え聞いております。これ等の外には、申し上げることなにもございません。

 右の通り唐人共が申すに付き、書付け差上げ申しあげます、以上。
 子七月十三日       唐通事共


元禄九年(一六九六) 六十九番カンボジアー船の唐人共の口述

私共の船は厦門の船で、去る冬十二月二十五日に厦門を出船しカンボジアに渡り、そこに滞留、商売してカンボジア出産の荷物を調達し、この度唐人七十一人が乗り組んで、六月二十日に友船なく私共の船一艘のみ出船し渡海して参りました。総じて去る冬より福建広東浙江表より都合五艘の商船がカンボジアに渡って商売しておりました。この内二艘は本国へ帰国する筈でございます。ご当地を目指す船は私共の船を入れて三艘で、その中の李廉官と申す者の船は私共の船より二日早くカンボジアを出船しました。ただ今お伺いしたところでは、先に入津した五十一番船の由にございます。もう一艘は寧波に寄って糸端物を積み添えてから来朝する筈でございます。やがて到着することと思います。この度の渡海中、洋中において数度大風に逢いました。乗り渡ってきた船は古船で、船底より大水が侵入し、その上船道具なども波にさらわれる始末で、沈溺の危うい状態に逢いましたが、神明の加護をもって命拾いをして、どうにか凌ぎ渡り、幸い日本の地何国にも船を寄せることなく、直に今日入津いたしました。船頭の林友官は十年前に脇船頭として渡海してきた者でございます。乗り渡ってきた船は今度が初めての渡海でございます。

さてカンボジアのこと、例年の通り変わったこともなく国中太平でございます。そのほかカンボジア近方の奥国、何方も静謐とのことでございます。また大清のことですが、私共は昨冬より厦門を出船してカンボジアに滞留していましたから、当年の様子は知る由もございません。定めて大清の地より来朝した船から委細を申し上げていることと思います。ほかには申し上げる異説は少しもございません。

 右の通り唐人共が申すに付き、書付け差上げ申しあげます、以上。
 子七月十四日       唐通事共


文責 奥村紀夫(JTBF 会員)