Logo of JTBF
トップ・ページ  バックナンバー・リスト
文字サイズ: 

バックナンバー 2019-10

唐船風説書

第31回 2019.10.1 配信
JTBF 広報委員会

タイとの交易は、御朱印船の時代(16世紀末から17世紀始め)、当時の王都であり国際的な港湾都市として繁栄したアユタヤとの間で盛んであった。その後鎖国によって交易は途絶えたと思われがちであるが、実際は唐船を介して継続していた。唐船は中国沿岸はもとより遠く東南アジアと長崎を結び、その船乗りの口述記録は「華夷変態」(1644~1724 林春勝と林信篤の編纂)に納められている。その中から東南アジアを出航地とした記録を拾い上げ英訳したのが「The Junk Trade from Southeast Asia」で石井米雄氏(京大名誉教授、故人)の執筆による。JTBF 広報委員会は、この本に触発され、華夷変態から特にタイを出航地とした記録を抽出して現代文に訳して紹介していきたいと考えている。出航地はシャム(アユタヤ)、リゴール(ナコン・シータマラート)、パッターニー、ソンクラーである。シャムとリゴールは山田長政ゆかりの地でもある。


元禄九年(一六九六) 七十一番シャム船の唐人共の口述

私共の船は、去冬十二月二十五日に、浙江の内寧波で荷物を仕立て、商売のためシャムへ渡り、夏迄滞留し、そこでシャム出産の荷物を調達し、この度唐人五十二人が乗り組んで、当五月十八日にシャム本湊仕立ての船と私共の船ともに、二艘同日に彼地を出帆して渡海して参りました。また私共の船に先立って本湊仕立ての船が一艘彼地を出船しております。只今承ったところでは、これら二艘の船は、未だ入津していない由にございます。惣じて福建広東浙江表より商船が都合十三艘シャムに渡っております。この内私共の船一艘がご当地へ渡海して参りましたが、残る十二艘の船は、皆々本国へ帰国した筈でございます。当年シャムより来朝の船は私共の船を入れて三艘迄でございます。シャムの脇湊より渡海の船のことは存じておりません。この度の渡船の間、洋中において数度大風に逢いました。もはや沈溺の危い状態でしたので、是非無く船上廻りの荷物を海に捨て船を軽くして、ようやく風難を遁れましが、その後は順風を得ることが出来ましたので、日本の地は何国へも船を寄せること無く直に今日入津いたしました。船頭康巌官は、去年二十六番船で脇船頭を勤めた者です。乗り渡ってきた船は、今度が初めての渡海でございます。

次にシャムのこと、属国の諸湊に至るまで、いよいよ例年の通り太平であります。変乱の沙汰は曾てございません。その外シャム近隣の奥国は何方も静謐とのこと承っております。そのほかバタヴィアからオランダ船が二艘、シャムへ商売の為渡ってきました。この二艘の船は日本に渡海すると承っておりましたが、只今湊内で見かけましたから、この二艘オランダ船は先立って入津した船でございます。大清の様子ですが、私共の船は去冬よりシャムへ渡っておりましたから、当年の安否は曾て承っておりません。定めて大清の諸湊から来朝した船から委細を申し上げているものと思います。以上のほか、申し上げることはございません。

 右の通り唐人共が申すに付き、書付け差上げ申しあげます、以上。
 子七月十五日       唐通事共


元禄九年(一六九六) 七十四番シャム船の唐人共の口述

私共の船は、シャムで仕立て、唐人九十三人、内二人はシャム人が乗り組んで、当五月十九日にシャムを出帆して渡海して参りました。シャムの本湊より今一艘ご当地に来朝する筈の船がございまして、この船は荷物が調い次第、やがて渡海して来るものと思います。私共の船と前後して彼地を出船した寧波船が一艘、只今承りましたところ、先立って入津した由にございます。この船は、去冬寧波よりシャムへ渡って来て夏迄滞船し、ご当地へ渡海してきた船です。この外福建、広東、浙江表より商船都合十二艘がシャムへ渡り商売しておりました。これらの船は皆々本国へ帰国する筈でございます。当年ご当地へ渡海する船は、私共の船を入れて三艘迄でございます。シャムの脇湊より渡海してくる船のことは存じておりません。この度の渡船の間洋中は逆風ばかりで、自由に船を乗り渡ることが出来ず、殊に去る十一日大風に逢い、沈溺の危い状態であったため是非無く五嶋領へ碇をおろして、案内を乞う石火矢を打ったところ、すぐにそこより御番船が付いてくれ、厳重警固のうえ挽船で送っていただき、今日ご当地へ入津いたしました。このように五嶋領へ漂着した外、日本の地他所へ船を寄せたことはございません。本船頭洪東官は今度初めての渡海で、脇船頭洪妹官は九年前にお世話になりました。乗り渡ってきた船は一昨年の六十一番船でございます。

次にシャムのこと、属国に至る迄、いよいよ例年の通り静謐であり、また天候に恵まれ米穀も豊熟で万民安堵しております。その他シャム近隣の奥国、何方も変乱の沙汰嘗て無く太平のことにございます。さてまたバタヴィアよりオランダ船が二艘シャムへ商売のため渡海してきました。この二艘の船はご当地へ渡海してくる由承りました。只今湊内で見かけましたから、この二艘のオランダ船は先立って入津した船でございます。そのほか大清諸省の安否ですが、シャムは遠海にありますから、如何様とも承っておりません。定めて大清の諸湊より来朝の船から、巨細申し上げている筈です。以上の他、別に申し上げる異説は少しもございません。

 右の通り唐人共が申すに付き、書付け差上げ申しあげます、以上。
 子七月十九日       唐通事共


文責 奥村紀夫(JTBF 会員)