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バックナンバー 2020-01

唐船風説書

第34回 2020.1.1 配信
JTBF 広報委員会

タイとの交易は、御朱印船の時代(16世紀末から17世紀始め)、当時の王都であり国際的な港湾都市として繁栄したアユタヤとの間で盛んであった。その後鎖国によって交易は途絶えたと思われがちであるが、実際は唐船を介して継続していた。唐船は中国沿岸はもとより遠く東南アジアと長崎を結び、その船乗りの口述記録は「華夷変態」(1644~1724 林春勝と林信篤の編纂)に納められている。その中から東南アジアを出航地とした記録を拾い上げ英訳したのが「The Junk Trade from Southeast Asia」で石井米雄氏(京大名誉教授、故人)の執筆による。JTBF 広報委員会は、この本に触発され、華夷変態から特にタイを出航地とした記録を抽出して現代文に訳して紹介していきたいと考えている。出航地はシャム(アユタヤ)、リゴール(ナコン・シータマラート)、パッターニー、ソンクラーである。シャムとリゴールは山田長政ゆかりの地でもある。


元禄十年(一六九七)八十五番シャム船の唐人共の口述

私共の船は、シャムで積荷を仕立て、唐人百一人とシャム人三人が乗り組んで、当四月十八日に類船は無く、私共の船一艘のみで彼地を出帆し渡海して参りました。私共の船に先立って、同湊より王定官と申す者の船がご当地を目指しましたが、只今承ったところでは、未だ入津していない由にございます。定めて乗り筋が悪く、渡海が延引しているものと存じます。私共の後から来る船が今一艘ございますから、当年シャムより渡海の船は、私共の船と合わせて三艘迄でございます。この外大清の商船が二艘シャムに来ておりましたが、これらの船は本国へ帰国する筈と聞いております。今度渡船の途中、洋中に於いて数度大風にあい、積み込んでいた蘇木など大分取り捨て船を軽くして、どうにか風難を遁れましたが、その後は少々順風を得ましたので、日本の地は何国にも船を寄せることなく、直に今日入津いたしました。本船頭洪老官は今度はじめて渡海してきました。脇船頭洪束官と乗り渡ってきた船は、共に去年の七十四番の船と人でございます。

次にシャムのこと、属国も含めて、例年の通り異変なく太平でございます。又私共の出船の日、ジャカルタよりオランダ船が二艘、シャムに乗り渡ってきました。この二艘の船は、ご当地へ渡海の船と承りました。シャムにて荷物が調い次第、渡ってくるものと存じます。シャム近隣の奥国も、何方も変乱の沙汰はかつて承っておりません。勿論遠海を隔てていますので、委細は存じません。以上述べたほかに変った風説はございません。

 右の通り唐人共が申すに付き、書付け差上げ申しあげます、以上。
 丑六月七日       唐通事目付 唐通事共


元禄十年(一六九七) 八十七番 カンボジア船の唐人共の口述

私共の船は、元厦門で積荷を仕立て、去冬十二月に商売のためカンボジアに渡り、彼地にて商売を終えたあと、そのまま滯船していましたが、今度カンボジア出産の荷物を調え、唐人五十二人が乗り組んで、当五月十日の暮方に、私共の船一艘のみ出帆して渡海してきました。同湊より先立ってご当地へ向かった船が三艘ございました。只今承りましたが、その三艘の船は皆既に入津しているとのことでございます。後から来る船が一艘ございますから、この船もやがて来朝するものと存じます。今度の渡船途中、海上で変わったことはございませんでした。滯りなく乗り渡ってきましたので、日本の地何国へも船を寄せることなく、直に今日入津いたしました。本船頭黄廷官は、去年七十七番積み戻りの船より船頭をつとめました。脇船頭陳重官および乗り渡ってきた船は、共に今度がはじめての渡海でございます。

次にカンボジアのこと、例年の通り変りなく国土太平でございます。シャム国は、カンボジアの本国であるとはいえ、遠海を隔てていますからかつて往来もなく、従ってシャム国の樣子は承っておりません。広南からは、カンボジアへ折々通行がありますが、広南表に変わったことはないと承っております。その外の奥国は、何方も遠所ですから何の風聞も承っておりません。以上申し上げた外に申し上げるべきことは少しもございません。

 右の通り唐人共が申すに付き、書付け差上げ申しあげます、以上。
 丑六月八日       唐通事目付 唐通事共


元禄十年(一六九七) 八十八番シャム船の唐人共の口述

私共の船は、シャムで積荷を仕立て、唐人八十八人シャム人一人が乗り組んで、当四月十一日に類船なく、私共の船一艘のみで彼地を出船し渡海してきました。シャム同湊より後船がもう二艘ございますが、只今承ったところでは、後船のうち洪老官と申す者の船一艘が先立って入津した八十五番船の由にございます。私共の船が今度渡海の途中、広東前にて難風に会い沈溺の危い状態になりましたが、船上廻りに積み込んでいた荷物を大分取り捨て、船を軽くして、ようやく露命を助りました。その後は順調に渡ってきましたので、日本の地何国へも船を寄せることなく、直に今日入津いたしました。船頭王定官は、去年七十四番の筆者役として渡ってきました。乗り渡ってきた船は、はじめての渡海でございます。

次にシャムのこと、属国までも、特別変わったことはございません。靜平でございます。その外近隣の奥国も何方も変乱の沙汰はかつて承っておりません。さて又シャムよりご当地へ、当年もオランダ船が渡海してくる筈と承りましたが、私共が出船の時迄はジャカルタよりのオランダ船がまだ着いておらず、渡海してくる船数など確かなことはわかりません。この外の奥国のことは、遠海を隔てていますので、委細の安否は承っておりません。以上の外には申し上げるべき異説は少しもございません。

 右の通り唐人共が申すに付き、書付け差上げ申しあげます、以上。
 丑六月八日       唐通事目付 唐通事共


文責 奥村紀夫(JTBF 会員)