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バックナンバー 2020-02

唐船風説書

第35回 2020.2.1 配信
JTBF 広報委員会

タイとの交易は、御朱印船の時代(16世紀末から17世紀始め)、当時の王都であり国際的な港湾都市として繁栄したアユタヤとの間で盛んであった。その後鎖国によって交易は途絶えたと思われがちであるが、実際は唐船を介して継続していた。唐船は中国沿岸はもとより遠く東南アジアと長崎を結び、その船乗りの口述記録は「華夷変態」(1644~1724 林春勝と林信篤の編纂)に納められている。その中から東南アジアを出航地とした記録を拾い上げ英訳したのが「The Junk Trade from Southeast Asia」で石井米雄氏(京大名誉教授、故人)の執筆による。JTBF 広報委員会は、この本に触発され、華夷変態から特にタイを出航地とした記録を抽出して現代文に訳して紹介していきたいと考えている。出航地はシャム(アユタヤ)、リゴール(ナコン・シータマラート)、パッターニー、ソンクラーである。シャムとリゴールは山田長政ゆかりの地でもある。


元禄十年(一六九七) 九十三番パッターニー船の唐人共の口述

私共のは、元寧波で積荷を仕立て、当正月に商売の為ジャバ国の内パッターニーと申す所へ渡海し、彼地にて商売を終え、そのままパッターニー出産の荷物を調え、直にご当地へ参る積りで、唐人数五十七人が乗り組み、五月一日パッターニーを出帆しました。しかし途中広南の海上で思わぬ大風にあい、もはや沈溺の危い状態になったので、積み込んでいた荷物を大分取捨てて、殊に乗っていた船も古船で、船底も損じ水が侵入して、荷物もことごとく濡らしてしまいましたので、運にまかせ漂流していたところ、段々風も靜りましたので、一船の者共どうにか命を助り、ようやく当月二日に寧波迄乗り渡り、濡れた荷物の分は彼地で売り払い、糸端物の類を寧波で調達しました。乗っていた船も、古船で大分損じ渡海が難しくなったので、寧波で船を乗り替え、同八日に寧波を出船しましたが、それからは順風に乗り渡ってきましたので、日本の地は何国にも船を寄せることなく、直に今日入津致しました。船頭陳元疾は、去年六十五番船の船頭を勤めた者です。さて又広東より商船がもう一艘パッターニーへ渡り、商売を終えたあと、この船もご当地へ来朝する筈で、私共の船と同日にパッターニー出帆しましたが、広南海上で見失いました。ただ今承ったところ、未だ入津していないとのこと、私共の船と同様に大風にあいましたから、心配でございます。このに外厦門表より商船が二艘パッターニーへ参りましたが、これらの船は本国へ帰ったものと思います。

次にパッターニーのこと、変わったこともなく国土太平にございます。特に近隣の奥国迄も、変乱の沙汰は曾て聞いておりません。又大清のことも、いよいよ静謐であるとのことを寧波で承りましたが、委細は先立って入津した諸湊の船頭共が申し上げていることと存じます。以上申し上げたこと以外申し上げることは少しもございません。

 右の通り唐人共が申すに付き、書付け差上げ申しあげます、以上。
 丑六月十六日       唐通事目付 唐通事共


元禄十年(一六九七) 九十七番パッターニー船の唐人共の口述

私共の船は、去年厦門で荷物を仕立て、商売の為東京へ渡り、彼地で商売を終え滞船していましたが、当正月にジャバ国の内パッターニーへ乗り渡り商売をして、そのまま本国で帰る積りでしたがパッターニー出産の 荷物が段々調って来て、にわかにご当地への渡海を思い立ち、唐人数四十一人が乗り組んで、当五月二十五日に類船無く私共の船一艘のみで彼地を出帆して渡海してきました。もう一艘厦門より商売のためパッターニーに来ていた船がございましたが、この船は彼地へ滞船する筈でございます。他には別に後続の船とてもございません。今度渡船の途中海上で変わったことはございませんでした。洋中で行きあった船もございません。私共の船は乗り筋が悪く、思いの外海上で日数を費やし難儀しましたが、どうやら凌ぎ渡って、日本の地は何国にも船を寄せることなく、直に今日入津しました。本船頭康致祥と脇船頭鄭祐官ともに初めての渡海です。乗り渡ってきた船は、一昨年の三十五番船でございます。

次にパッターニーのこと、いよいよ変わったこともなく靜平の事でございます。殊に近隣の奥国迄も、変乱の沙汰曾て承っておりません。また大清安否の段は、私共の船は去年より奥国へ渡海しておりましたから、存じておりません。先立って大清の諸湊から来朝した船頭共が、委細を申し上げていることと存します。これ等の外、別に異説は少しもございません。

 右の通り唐人共が申すに付き、書付け差上げ申しあげます、以上。
 丑七月二日       唐通事目付 唐通事共


文責 奥村紀夫(JTBF 会員)