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バックナンバー 2020-04

唐船風説書

第37回 2020.4.1 配信
JTBF 広報委員会

タイとの交易は、御朱印船の時代(16世紀末から17世紀始め)、当時の王都であり国際的な港湾都市として繁栄したアユタヤとの間で盛んであった。その後鎖国によって交易は途絶えたと思われがちであるが、実際は唐船を介して継続していた。唐船は中国沿岸はもとより遠く東南アジアと長崎を結び、その船乗りの口述記録は「華夷変態」(1644~1724 林春勝と林信篤の編纂)に納められている。その中から東南アジアを出航地とした記録を拾い上げ英訳したのが「The Junk Trade from Southeast Asia」で石井米雄氏(京大名誉教授、故人)の執筆による。JTBF 広報委員会は、この本に触発され、華夷変態から特にタイを出航地とした記録を抽出して現代文に訳して紹介していきたいと考えている。出航地はシャム(アユタヤ)、リゴール(ナコン・シータマラート)、パッターニー、ソンクラーである。シャムとリゴールは山田長政ゆかりの地でもある。


貞享三年(一六八六) 百番ソンクラー船の唐人共の口述 注①

私供の船は、当春厦門よりシャムの領地ソンクラーと申す所に商売の為に渡海し、彼所において商売を終え、当四月廿八日に出船致し、元の厦門に船を寄せ、異国向けの荷物を少々売渡し、其の上日本向けの諸色に荷物を替え、ご貴国を頼って、商売の為、六月廿ニ日に厦門を出船致しました。しかし海上に於いて数度悪風に遭遇し、帆柱梶ならびに船道具等に至る迄大分破損し、船底も殊の外いたみ、船もあやうくなりましたので、是非無く船上廻りに有った荷物等を海に捨て、船を軽くし、ようやく命を助りました。とはいえ厦門を出船してから今日迄凡そ八十日程海上に漂流していました。難儀至極の体でございましたが、さいわい日本の内何国の湊にも漂着せず、つつがなくご当地に着致しました。

それでは、私共が出船したソンクラーならびに近方の奥国のこと、何れも太平で変わった沙汰もございません。殊に大清十五省のことも、私共が厦門に船を寄せていた間、全く静謐の由を承りました。厦門よりご当地へ志した外の商船は、何れも私供の船に先立って彼地を出船しました。従って厦門の様子は先着の船から申し上げたことと推察いたします。今度の洋上で変わった船は見かけませんでした。昨日当湊の外において帰帆の唐船を二艘見かけた迄でございます。この外別に申し上げることはございません。

 右の通り唐人共が申すに付き、書付け差上げ申しあげます、以上。
 寅九月十日       唐通事目付


注① これまでの配信で、ソンクラー船の口述を取り落していた。これから三~四回にわたって、遡って紹介したい。


元禄六年(一六九三) 六十四番ソンクラー船の唐人共の口述

私共の船は、元厦門にて、去年十二月にシャム国支配地のソンクラーと申す所へ渡海し商売をしておりました。唐人七十人が乗り組んで、当五月十一 日に類船無く、私共の船一艘のみで彼地を出船渡船し、同晦日に厦門へ船を寄せ、厦門にて商買になる荷物は夏門におろし、其の替わりに台湾砂糖を積み添えして、六月廿五日に厦門を乗り出し渡海して参りました。ソンクラーからの後続の船ですが、私共の船の外に二艘あって、これらの船も去年厦門よりソンクラーに渡った船でございます。私共の船に相後して、この二艘共に出船する覚悟でございましたから、定めて追々出船したことと存じます。しかしながら 大方ご当地へは参らぬ様子に見受けました。二艘共に寧波へ船を乗り入れたいと、かねがね彼地にて申しておりました。結局私共の船一艘のみでございます。今度渡海の間、海上風並みが悪く、難儀しましたが、さいわい滞り無く渡海でき、日本の地何国へも船を寄せること無く、直に今日入津致しました。また渡船の間特に変わったことは無く何船も見かけませんでした。本船頭周棟官、脇船頭周賓舎ならびに乗渡りの船は、共に去年四十一番の船人にてございます。ただし本船頭は去年は筆者役を勤め、脇船頭は去年の本船頭でございました。

次に大清諸国いよいよ太平の段は、この間より順次入津した船共から申し上げたことと存じます。私共は厦門で船を寄せただけで、渡海商責に専念しておりましたので、諸省の様子を承る間もございませんでした。さて又ソンクラーのこと、シャムより海路五百里程の所にてございます。シャムの支配地でございます。そこの王はシャム人では無く、ソンクラー人が王となっております。狭い土地柄で、在住の唐人が過牛を占めております。私共が買取る品物は皆荒物ばかりで、諸所より持ち寄ってきます。産品に糸端物の類はございません。すず、なまり、すおう、藤など荒物が少々算出するところでございます。人民国の風俗はシャム国に劣ります。米穀類は随分安価でございます。このようなことを申し上げる外、別に変わったことは少しもございません。

 右の通り唐人共が申すに付き、書付け差上げ申しあげます、以上。
 酉七月十一       日唐通事共


文責 奥村紀夫(JTBF 会員)