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バックナンバー 2020-07

唐船風説書

第40回 2020.7.1 配信
JTBF 広報委員会

タイとの交易は、御朱印船の時代(16世紀末から17世紀始め)、当時の王都であり国際的な港湾都市として繁栄したアユタヤとの間で盛んであった。その後鎖国によって交易は途絶えたと思われがちであるが、実際は唐船を介して継続していた。唐船は中国沿岸はもとより遠く東南アジアと長崎を結び、その船乗りの口述記録は「華夷変態」(1644~1724 林春勝と林信篤の編纂)に納められている。その中から東南アジアを出航地とした記録を拾い上げ英訳したのが「The Junk Trade from Southeast Asia」で石井米雄氏(京大名誉教授、故人)の執筆による。JTBF 広報委員会は、この本に触発され、華夷変態から特にタイを出航地とした記録を抽出して現代文に訳して紹介していきたいと考えている。出航地はシャム(アユタヤ)、リゴール(ナコン・シータマラート)、パッターニー、ソンクラーである。シャムとリゴールは山田長政ゆかりの地でもある。


元禄十年(一六九七) 九十五番ソンクラー船の唐人共の口述

私共の船は、元厦門で積荷を仕立て、去冬十二月にシャムの属国ソンクラーと申す所へ渡海し、彼地で商売を終え、 そのまま滞留して居りました。唐人七十三人が乗組んで、当四月朔日に私共の船一艘のみにて彼地を出帆致し、直に御当地へ渡海する筈でしたが、積足が軽くて思うように船を乗りまわすことが出来ないので、五月ニ日に厦門へ船を寄せ、彼地で氷砂糖を少々積み添え、同六日に厦門を出船しました。ところが乗り筋が悪くて海上で日数を費やし難儀しました。殊に当月ニ日に、洋中で霧が深くて山を見損じ、是非無く薩摩領へ碇を下ろしました。其の節案内を乞う石火矢を打ちましたところ、早速警固の船を差し出され、厳しくお守りの上、挽船でお送り成され、今日ご当津 へ送り届けていただきました。上記薩摩領へ碇をおろしたほかに、日本の地他所へ船を寄せたことは一度もございません。また渡海の途中、洋中で見かけた船もございません。ソンクラーから後続の船も無く、私共の船一艘だけでございます。船頭周寶舎は、一昨年七月に福州仕立ての船でご当地へ来朝した時、大風に逢い同年九月に薩摩領で破船し、漸く去年六月に薩摩よりご当地へ送り届けていただきましたが、その時の船頭でございます。今度乗り渡ってきた船は、初めての渡海でございます。

次にソンクラーの事、いよいよ変った事もなく、国土静平でございます。殊にシャム其の外近隣の奥国迄も、変乱の沙汰曾つて無かったと承っております。シャム本湊よりご当地へ商船が渡海する筈と承っていますが、船数の程は存じておりません。さて又大清の事、いよいよ静謐との旨、これ又厦門で承りました。委細は、この間諸湊より来朝する外の船頭共が申し上げることと存します。以上申し上げた以外に他説は少しもございません。  右の通り唐人共が申すに付き、書付け差上げ申しあげます、以上。
 丑六月廿一       唐通事目付 唐通事共


注 今年四月配信以来、取り落していたソンクラー船の口述を、遡ってまとめて紹介してきたが、この元禄十年(一六九七)九十五番が最後である。これで華夷変態の中の元禄十年(一六九七)までの記録は終り、元禄十一年(一六九八)以降に続いていく。


元禄十一年(一六九八) 三十八番カンボジア船の唐人共の口述

私共の船は、カンボジア国王の命により積荷を仕立て、唐人四十九人とカンボジア人二人、合わせて五十一人が乗り組んで、当四月廿三日に類船無く、私共の船一艘で彼地を出帆し渡海してきました。カンボジアから後続の船が、今一艘国王の命により積荷を仕立てて参る筈でございます。この外に福建浙江表よりカンボジアへ商売のために渡った船が三艘、彼地での商売を終え、日本向けの荷物を調えておりました。この船共も御当地へ直に渡海してくる筈でございますから、追々来朝して来ると思います。私共の今度の渡船の間、風が不順のため思うように操船が出来ず、殊に五月廿八日に、広東の海上で思いの外の大風にあい、とても危い状態に陥ったので、上廻りに積み置いていた蘇木等の荷物を取り捨て、船を軽くして漂っているうちに風も静り、なんとか凌ぎ渡ったかと思いましたが、又々逆風にあい難儀に及びました。しかし運よく露命を助かり渡海して参りました。以上のような次第で、思いのほか日数が掛かりましたが、日本の地何国へも船を寄せることなく、直に今日入津いたしました。本船頭程徽士、脇船頭李端賓、ならびに乗り渡って来た船は、共に今度が初めての渡海でございます。

次にカンボジアの事、変わったことはございませんが、当二月に江南王より使者が差し越され、船数四艘に人数三百人余りが乗り渡ってきました。その趣旨は、以前カンボジアより江南へ貢礼をしておりましたが、近年は貢礼を欠いておりましたので、以前のように貢礼するようにとのことでした。もし承引できない場合は、兵船を差し向けるとのことでございました。もっともその使者の船は、私共が出船の時には、まだ滞船しておりましたから、その後どのような成行になったのかは存じておりません。かつ又カンボジアの近隣の奥国、何方も異変のことは伝え聞いておりません。以上申し上げた外には申し上げることは少しもございません。

 右の通り唐人共が申すに付き、書付け差上げ申しあげます、以上。
 寅六月廿三日       唐通事目付
                唐通事


文責 奥村紀夫(JTBF 会員)