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バックナンバー 2020-08

唐船風説書

第41回 2020.8.1 配信
JTBF 広報委員会

タイとの交易は、御朱印船の時代(16世紀末から17世紀始め)、当時の王都であり国際的な港湾都市として繁栄したアユタヤとの間で盛んであった。その後鎖国によって交易は途絶えたと思われがちであるが、実際は唐船を介して継続していた。唐船は中国沿岸はもとより遠く東南アジアと長崎を結び、その船乗りの口述記録は「華夷変態」(1644~1724 林春勝と林信篤の編纂)に納められている。その中から東南アジアを出航地とした記録を拾い上げ英訳したのが「The Junk Trade from Southeast Asia」で石井米雄氏(京大名誉教授、故人)の執筆による。JTBF 広報委員会は、この本に触発され、華夷変態から特にタイを出航地とした記録を抽出して現代文に訳して紹介していきたいと考えている。出航地はシャム(アユタヤ)、リゴール(ナコン・シータマラート)、パッターニー、ソンクラーである。シャムとリゴールは山田長政ゆかりの地でもある。


元禄十一年(一六九八) 四十番カンボジア船の唐人共の口述

私共の船は、元寧波より去冬十二月にカンボジアへ商売のために渡海し、彼地で商売を終えた後、彼地出産の荷物を調え、唐人八十五人が乗り組んで、当五月廿一日にカンボジアを出帆して渡海して参りました。カンボジア国王仕立ての船が一艘、 私共の船に数日先立ってご当地に向かいましたが、ただ今承ったところ、先に入津した三十八番船の由にございます。さらに後続の船が今二艘渡海の用意をしておりましたから、荷物が整い次第追々来朝することと存じます。カンボジア国王より今一艘ご当地へ商船を仕立てる筈と伺っていましたが、どうしたものか取り消しになったと承りました。私共の船今度の渡船の途中、海上殊のほか風が不順で難儀いたしました。殊に六月朔日、洋中において大風にあった際、船を乗り凌ぐため船上廻りの荷物等を少々取り捨て、船を軽くしてようやく露命を助かり どうにか凌ぎ渡ってきましたが、その後も逆風ばかりで、直にご当津へ乗り入れることが難しくまた潮行も悪かったため、是非無く同廿六日に五嶋領たたら嶋と申す所へ碇を下ろしました。その節案内を乞うため石火矢を打ちましたところ、早速警固船を差し出していただき、厳重な警護のもとに、挽船で今日ご当津へ迭り届けていただきました。この五嶋領へ漂着したほか、日本の地他所へ船を寄せることはございませんでした。本船頭黄應官と乗り渡ってきた船は、共に今度が初めての渡海、脇船頭陳瓚官は、一昨年七十一番船の事務方をつとめた者でございます。

次にカンボジアのこと、変わったことはございませんが、当二月に江南王より使者が差し越され、船数四艘に大勢が乗り組んで渡ってきました。その趣は、以前カンボジアより江南へ貢礼をしておりましたが、近年は貢礼を欠いておりましたので、以前のように貢礼するようにとのことでした。その使者の船は五月中旬に帰っていきましたが、私共は商人でございますから委細は存じておりません。定めて先に入津した国王仕立ての船より申し上げているかと存じます。その外近隣の奥国は何方も静謐と承っております。以上のほか、申し上げることは少しもございません。

 右の通り唐人共が申すに付き、書付け差上げ申しあげます、以上。
 寅七月七日       唐通事目付
               唐通事


元禄十一年(一六九八) 四十三番シャム船の唐人共の口述

私共の船は、シャム国王仕立ての船で、唐人百人とシャム人二人都合百二人が乗り組んで、当四月廿日シャムを出帆して渡海して参りました。当年シャム仕立ての船は私共の船一艘のみで、他に来朝の船は御座いません。もっとも大清の地より商船七艘がシャムに渡海して来て居て、これらの船は何れも本国へ帰り申す筈の由承っておりますが、その内御当地へ赴き申す船も有るかもしれません、その段ははかり難い事で御座います。今度の渡船の内、風が不順で思いの外海上で日数を費やし、難儀仕り申しました。あまつさえ当月十一日、洋中で逆風に逢い、凌ぎ渡る事が出来ず、是非無く平戸領牧嶋と申す所へ碇を下ろしました。その節案内を求めて石火矢を打ちましたところ、即刻警固の船を差し出していただき、厳重な守護のもと挽船にて今日送り届けていただきました。右平戸領へ漂着した外、日本の地他所へ船を寄せ申したことは御座いません。船頭王定官は、去年八十八番船の船頭として渡海してきた者で、乗渡ってきた船は去年の八十五番船で御座います。

次にシャム国の事、いよいよ相変わった事も無く国土大平で御座います。殊に近隣の奥国迄も、異変の沙汰は無いと承っております。さて亦五月朔日、おらんだ船二艘がシャムの川ロに乗り入れるのを見かけました。定めて日本へ渡海のおらんだ船であるかと存じ上げます。シャムに於いては変わったことは無く、他には申し上げるべき事は少しも御座いません。

 右の通り唐人共が申すに付き、書付け差上げ申しあげます、以上。
 寅七月廿日       唐通事共


文責 奥村紀夫(JTBF 会員)