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バックナンバー 2021-03

唐船風説書

第48回 2021.3.1 配信
JTBF 広報委員会

タイとの交易は、御朱印船の時代(16世紀末から17世紀始め)、当時の王都であり国際的な港湾都市として繁栄したアユタヤとの間で盛んであった。その後鎖国によって交易は途絶えたと思われがちであるが、実際は唐船を介して継続していた。唐船は中国沿岸はもとより遠く東南アジアと長崎を結び、その船乗りの口述記録は「華夷変態」(1644~1724 林春勝と林信篤の編纂)に納められている。その中から東南アジアを出航地とした記録を拾い上げ英訳したのが「The Junk Trade from Southeast Asia」で石井米雄氏(京大名誉教授、故人)の執筆による。JTBF 広報委員会は、この本に触発され、華夷変態から特にタイを出航地とした記録を抽出して現代文に訳して紹介していきたいと考えている。出航地はシャム(アユタヤ)、リゴール(ナコン・シータマラート)、パッターニー、ソンクラーである。シャムとリゴールは山田長政ゆかりの地でもある。


寛永四年(一七〇七) 七十九番 シャム船の唐人共の口述

私共の船は、シャム国王の仕立てで、唐人数七十八人が乗り組んで、当五月廿八日に類船三艘、私共の船と合わせ四艘が同日に彼地を出帆して渡海して参りました。只今承りましたところ、右の類船は未だ入津していないとのこと、定めて程無く追々来着するものと存じます。私共今度の渡船の内、洋中変わったことがございませんでした。日本の地は何国へも舶を寄せることなく、直に今日入津いたしました。船頭王定官と乗り渡って来た船は、共に去年八十番の船人でございます。

次にシャムのこと、例年の如く別して静謐でございます。その外近隣の奥国迄、異変の沙汰はかつてございません。シャム属国で仕立てた船のことは承っておりません。大清の諸省より商売の為シャムへ渡っていた船共も、皆々本国へ乗戻りました。この船共の内、直にご当地へ赴く船があったかどうか、その段ははかり難いことでございます。さて又シャム川口で、ご当地へ赴く筈のおらんだ船一艘、遠々見かけました。却ってその船が先立って来朝しており当湊内で見かけましたから、様子は彼船より申し上げていると存じます。以上の外、別に申し上げるべきことは少しもございません。

 右の通り、唐人共が申すに付、書付け差上げ申しあげます、以上。
 亥七月廿八日    風説定役
           唐通事目付
           唐通事共


寛永四年(一七〇七) 八十番 シャム船の唐人共の口述

私共の船は、シャム国王の仕立てで、唐人数百三人が乗り組んで、当五月廿八日に類船三艘と私共の船を合わせて 四艘が同日に彼地を出帆して渡海して参りました。ただ今承ったところでは、類船三艘の内王定官と申す者の船が、先に入津した七十九番船の由にございます。残りの船共も追々到着するものと存じます。私共の今度の渡船の間、洋中で変わったことはございませんでした。また日本の地は何国へも船を寄せることなく、直に今日入津いたしました。本船頭呉赤申、脇船頭李園珍共に、この度が初めての渡海で、乗り渡ってきた船は、一昨年の五十二番船でございます。

次にシャムのこと、いよいよ静謐でございます。その外近隣の奥国まで太平でございます。委細の様子は、定めて先船の唐入共が申し上げたことと存じますから、重ねて申し上げるのは控えます。この外に異聞は少しもございません。

 右の通り、唐人共が申すに付、書付け差上げ申しあげます、以上。
 亥八月廿八日    風説定役
           唐通事目付
           唐通事共


寛永四年(一七〇七) 八十二番 シャム船の唐人共の口述

私共の船は、シャム国王の仕立てで、唐人数七十九人が乗り組んで、当五月廿八日に類船三艘と私共の船を合わせて四艘が同日に彼地を出帆して渡海して参りました。ただ今承ったところでは、類船三艘の内二艘は、先に入津した七十九番と八十番の由にございます。まだ残る船も程なく来朝するものと存じます。私共のこの度の渡船の途中、洋中で変わったことはございませんでした。また日本の地は何国にも船を寄せることなく、直に今日致しました。船頭楊耀官は去年八十番船で事務方を務めた者、乗り渡ってきた船は初めての渡海です。

次にシャムのこと、例年の如くいよいよ太平でございます。その外近隣の奥国までも変乱の沙汰はかつてございません。定めて先船の唐入共から、シャム表の様子は詳しく申し上げていることと存じます。この外別に異聞は少しもございません。

 右の通り、唐人共が申すに付、書付け差上げ申しあげます、以上。。
 亥七月廿九日    風説定役
           唐通事目付
           唐通事共

注 この年(1707年)はシャム国王仕立ての船が相次いで三艘来着している。三艘ともシャムを同日に出港しほぼ同時に到着しているのも珍しいので並べて紹介した(七十九番船の口述は、前回第47回発信の再掲)。これら三艘の口述によると出帆時は四艘であったことわかる。この四艘目だけは来着が翌年(1708年)になっている。


文責 奥村紀夫(JTBF 会員)