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バックナンバー 2022-03

リレーエッセイ

第3回 2022.3.1 配信
JTBF 広報委員会


広告マンが、タイの自動車市場を通して観たタイの消費者の成長と進化 ーその2

前回配信で前置きとして触れましたが、
1979年4月に博報堂に入社。初任配属の大阪を皮切りに、東京、バンコク、名古屋と、日本の三大経済都市と、沸騰アジアの中心都市バンコクの広告市場を経験して来ました。本篇では、バンコクで経験したタイの広告事情と、在任中関わりの深かった自動車産業から見えてくる、タイ人の生活の様子と消費者の成長・変化を、個人的な経験と独断と偏見で書き綴ると致します。

広告会社の環境と役割の変化

アジア通貨危機直後から広告会社の仕事に少しずつ変化が。広告対象がアセアン域内に留まらず西南アジア、中近東の市場を想定したグローバル向け広告を地域統括事業体に提案する機会が増えました。これにより、博報堂バンコクも、タイ人を中心にタイ国内業務対応と東京本社の支援を受けながらの自動車メーカーに加え家電メーカー・食品メーカー等のアセアン地域支援業務の二つの機能を備え、陣容も倍増させ、日本人駐在員も3名増員させることとなりました。アジア通貨危機を経て、2000年を境に広告会社も大きく変容することとなりました。大袈裟ですが、その時の経験が、以降のアドマン人生とビジネスマン人生の礎になっていると感じています。

広告媒体にも変化が。タイの広告媒体は、日本のそれと同様テレビ媒体が広告全体の60%を占めています。続いて、新聞、ラジオ、雑誌と続きます。日本のそれとの違いは、屋外大型広告看板の設置規制が緩いのでアウトドア広告と、皆さんの記憶にも残る、王室賛歌が毎回流れ起立して国王に敬意を表す映画のシネアドが主要メディアとして存在していることでしょう。1999年のBTSの開業以降交通広告の伸長が目立っていました。更に、2008年のiPhoneの発売とSNS(ソーシャルメディア)の普及が広告手法の革新を一気に進めました。広告出稿量もそれまで製造業、特に化粧品、食品、飲料、トイレタリー、自動車が中心でしたが、携帯電話、通信販売が上位に入ってきました。この傾向は、現在も続いているようです。

タイの消費者構造の劇的変化

この辺りからは、既に日本に帰任していて、出張で東京とバンコクを行き来していたとはいえ、やはり、実感が薄く、現象と現象を結び付けた私見と想像と偏見が入って来るので、話半分でお読みいただけると幸いです。

ここでは、生活者の消費に影響を与えた出来事、例えばリーマンショックとか大洪水ではなく、生活者の生活に大きな影響を与えた出来事、それにより消費者構造に起きた変化について触れてみましょう。

先ずは、「デジタル化」です。2008年にスマートフォン「iPhone」が発売され、同時に、既にアメリカでサービスが開始されていた「Facebook」の各国語版がリリースされ、一気に「SNS」が普及しました。これにより所謂「ミレニアル世代」(2000年以降に成人した世代)をこれまでの消費者層とは全く異なるものにしてしまいました。

続いて「ニューアップカントリー」です。2010年以前から全国的に月収15,000THB以上50,000THB未満の層が急速に増加、特に、セントラルとサウスの伸びが目立っています。またグレーターバンコクでは月収50,000THB以上の層が伸び始めていて、当時、生活者の生活レベルが一段上に上がることが予想され期待されました。これに関連して、2010年辺りから、タイの失業率が低下をはじめ2011年第二四半期には0.6%まで低下。それ以上に、これまで失業率統計の性格上、農閑期の1~3月の出稼ぎ者が増える時期に失業率が常に上がる傾向が、2010年と2011年には見られなかった事が注目点でした。これは、当時の推論・仮説ですが、

  1. タクシン政権とインラック政権の農村優遇政策と最低賃金引上げにより農村部の収入が増加し、地方都市でも十分な収入が得られるため、バンコクに出稼ぎに行かなくなった。
  2. 農村部も含め出生率が低下し、少子高齢化が進行。労働力として出稼ぎに行けない家族構成になった。

と捉えていました。自動車市場としても、2009年に34%だった地方での販売比率が、最低賃金は引き上げられ続けた2015年には43%まで上昇しました。結果、1995年当時に幻に終わった「中間層」がタイ消費市場初めて顕在化したと言われていました。

次に、「鉄道網の拡充とライフスタイルの変化」です。2013年のタイ全国の平均月収は25,000THB。バンコクの2004年のそれと同水準まで成長しました。BTS&MRTも延伸、ノンタブリやサムサコンエリアでは、通勤は電車、生活は自動車という日本の大都市の郊外型ライフスタイルに変化、郊外型ビレッジは自動車の需要を活発に支え、モダントレードの郊外型モールも自動車のあるライフスタイルを後押しすることが期待されました。

最後に、「観光ビザの免除」です。日本政府は、アセアン友好40周年を契機に、2013年にタイ人の観光ビザを免除しました。これにより、以降、タイ人の消費構造が大きく変化しました。

これらの社会変動(=消費者の変化)に対して日系自動車メーカー各社は、マーケティング対象を拡大し、主力ターゲットの変化による競争優位の視点の変更が要求され、マーケティング方針を転換。いざこれからと言う時の2014年にクーデターによる消費の減退。その後も、デジタル機器・住宅・教育・海外旅行等の支出は伸びた事で、家計の負債率も上昇。自動車国内販売は、ファーストカーバイヤー制度も後押し、洪水からV字回復した2012年をピークに減少。加えて、消費の主力への成長が期待されたミレニアル世代については、スマホ自撮りSNS投稿、海外旅行に時間とお金を使い、本物志向で本質価値の高いものに惹かれ、将来より今を楽しむ。この世代にとって自動車購入の優先度は低く、カーシェアの普及やBTS&MRTの発達がこの傾向に拍車をかけ、日本をはじめとする先進国同様、マーケティングの主役になったものの、自動車離れの傾向は強まることが予想されています。

自動車産業は、これらの社会変動(顧客変化)により、世界共通化・標準化と昔ながらのタイの文化の狭間で揺れる産業、特に、グレーターバンコクではこの傾向がしばらく続くでしょう。 タイの主力産業として、タイ人の生活を支え、所得向上による生活レベル向上を後押しし、生活の高度化と高価値化を実現した自動車産業にとって、タイ人の成長・進化による社会変容によって国内販売に大きな課題を抱えるとは、実に皮肉なことです。

ただ、間違いなく、直面する課題を克服して、これからも、日系自動車メーカーとその仲間たちは、タイのリーディング産業として、アセアンのリーディングカントリータイの豊かさと活気あふれる社会の実現と、ヒトづくりの可能性を信じ、支援し、タイ人一人ひとりの夢の実現を応援し続ける事でしょう。 私は、タイ滞在中に、このようなタイの消費者の成長と進化に立ち会えたことを心から感謝しています。

第2走者として、長々と取り留めもなく走り続けて来ましたが、そろそろ第3走者にタスキを渡す時が来たようです。 あらためて、今回このような機会を頂きましたこと、舘広報委員長をはじめJTBF役員・会員の皆様に感謝申し上げます。次回又機会がありましたら、今度は私の私的経験談を綴りたいと思います。


文責 原野圭司(JTBF 広報委員)