Logo of JTBF
トップ・ページ  バックナンバー・リスト
文字サイズ: 

バックナンバー 2022-05

リレーエッセイ

第6回 2022.6.1 配信
JTBF 広報委員会


緊急事態における国を越えた支援(改めて日タイの絆を振り返る)


 既に30年を越える筆者の外務省生活の中で、チュラロンコン大学での留学を含め在タイ大使館及び、外務本省のタイ担当部局での勤務は18年間にもなりました。シントン大使とのお付き合いも長く、今から25年前、お互い30歳そこそこの頃、アジア通貨危機の最中、チャワリット首相が橋本総理と協議するために訪日された時(右写真)、それぞれの首脳の通訳を務めたことがあります。当時「宮澤イニシアティブ」と呼ばれた金融支援を含む両国間の重要事項について話し合われたのですが、シントン書記官(当時)の流ちょうな日本語の前に、生まれて初めての首脳会談の通訳で、緊張で全身から冷や汗が噴き出す中、必死で役目を果たそうとしたことをよく覚えています。

 筆者は現在、在デンマーク大使館に勤務しています。当国でもウクライナからの避難民受け入れや同国への各種支援が進んでいますが、本稿では緊急事態における国を越えた支援について日タイ関係の文脈で雑感を述べさせていただければと思います。

 2004年12月、スマトラ沖地震によりタイ南部で甚大な津波被害が発生し、これに対し日本は緊急フェーズにあっては自衛隊、捜索・救助チーム、医療チームを含む国際緊急援助隊(Japan Disaster Relief team)を派遣した他、以降の復旧・復興フェーズにおいても大規模な協力を行いました。(右写真)

 その7年後の2011年3月、日本で東日本大震災が発生しました。その際のタイ政府及びタイ国民の対応は迅速かつ大規模なもので、トンチャイ(バード)氏が日本の応援歌「Thai for Japan」を唄い、国民から寄せられた援助物資は、タイ外務省の地下駐車場を埋め尽くすほどでした。タイ政府も物的、資金的支援とともに小児科医と看護師からなる医療チームを福島県の被災地に派遣、福島県立医科大学と協力して県内の避難所の巡回診療にあたりました。筆者もこの医療チームに同行しましたが、派遣されたタイの先生から地震発災直後であったにも関わらず、多くの医療関係者から志願の手が上がり選抜が大変だったと伺いました。さらに企業間の協力も目を見張るものでした。日本が電力不足で悩む中、EGAT(タイ発電公社)から日本の電力不足を助けんとガスタービン2基が無償貸与されました。

 2011年は、日本だけでなくタイにとっても試練の年でした。年末にかけてタイ北部の大雨の影響でチャオプラヤー川が溢水し、河口にあるバンコク及び周辺で大規模な洪水被害が発生。日本企業が所在する工業団地も甚大な被害に遭い、日タイ間で構築されたサプライ・チェーンに多大な影響を与えました。読者の中にも大変なご苦労をされた方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。この危機にあたって日本は、東日本大震災で使用した排水ポンプ車とともにこれを操作する企業のオペレーターの方々を国際緊急援助隊として現地に派遣しました。また、タイの方々が日本の工場で働くことができるように特別の措置がとられました。

 このような両国が経験した危機は、多くの犠牲を招いた悲劇であることは間違いありませんが、両国関係の絆を強く感じさせるものでした。タイでの洪水被害発生から時を置かず、2012年3月、インラック首相が訪日されましたが(右写真:出所外務省HP)、その際、筆者は、首脳間で発出された日タイ共同声明「恒久的な友情の絆に基づく戦略的パートナーシップに関する日タイ共同声明」のドラフトに関わりました。防災・減災協力に多くのパラグラフが割かれ、サブタイトルも「災害を越えて育む信頼(Fostering Confidence beyond the Disasters)」となりました。このサブタイトルはまさに両国の国民、企業、政府の間で示された様々な協力により裏打ちされたものです。

 全くの個人的な見方ですが、日本人は、「恩返し」という考え方が好きなように思えます。昔話でも、鶴の恩返しや笠地蔵は人気の定番です。外国で発生した自然災害などに支援を行う場合も、日本が東日本大震災で困っていた時に示された連帯に報いるという意識が働きますし、「困った時の友は真の友」ということもよく言われます。一方、筆者は外務省において緊急人道支援を専門に行う部署にいたこともあり、国際会議や実際の支援現場で人道支援に携わる欧米各国や国連等の国際機関関係者と接する機会が多かったのですが、アンリー・デュナンの赤十字運動を源流とする人道諸原則の中で「恩返し」に触れられることは寡聞にして聞いたことがありません。むしろ、新約聖書ルカによる福音書の善きサマリア人のたとえ話にあるように普段は敵対していても困っている者には手を差し伸べることが人道支援の本質として語られることが多いと思います。それでは、タイはどうでしょうか。タイに駐在された方は、タイ人の同僚などがよく「タムディー、ダイディー(ทำดีได้ดี:善因善果) 」と言っていたのを覚えられているのではないでしょうか。この後、「タムチュア、ダイチュア(ทำชั่วได้ชั่ว:悪因悪果)」と続き、タイ人の人助けの背景には来世も含めた因果応報の世界観あるように思えます。

 国や地域をステレオタイプで分類することは百害あって一利なしですし、いわんや外交の世界では災害外交(disaster diplomacy)という言葉があるぐらいですから、人道支援といえども各国の戦略的思惑が反映されることは否定できないでしょう。しかしながら、現下の新型コロナに携わるエッセンシャル・ワーカーの方々を引き合いに出すまでもなく、支援の現場には時には命の危険も伴いながら活動に携わっている人たち、そしてそれらの人たちを現場に送り、無事還らせるために懸命に努力している人たちがいます。出身国や地域が違えど、彼ら、彼女らが人間の尊厳のために貢献する姿は尊く、いつも胸が熱くなります。

 長く日タイ関係に携わる中で、災害対応以外にも、猫の目のように変化する内政の分析、混乱の中での邦人保護、日タイ経済連携協定(JTEPA)交渉、ODAやインフラ輸出等どこを切り取っても忘れ得ぬことばかりです。ミャンマーのダウェーを深海港として開発し、バンコクと陸路で繋ぐ案件を担当していた時、ビジネスについて門外漢であった筆者は、タイで活躍されたJTBFの諸先輩に請い、ビジネスから見た合理性について貴重なご意見を賜りました。この場をお借りして改めて感謝申し上げます。今後ともJTBFが日タイ両国の交流の場としてますます発展することを祈念しつつ本稿を結ばせていただきます。


文責 原田 優 (JTBF 広報委員)