日タイビジネスフォーラム(Japan-Thailand Business Forum)
タイ国に駐在経験のある日本人ビジネスマン(現役&OB)が個人の立場で参加しています。これまでの日本・タイ国両国におけるビジネス経験を生かし、両国間友好関係の促進に寄与したいと考えています。

Sao Chin Cha, Bangkok
☆☆日・タイ随想(46)☆☆
タイで学んだ経営学入門-原因自分論の薦め-
JTBF会員: 佐藤 満 2010/7/01
タイの乗用車市場に当時「最後発メーカー」として進出したホンダカーズタイランドの二代目の社長に就任したのは、ホンダ本社の中近東課課長に就任して僅か一年後の1985年(昭和60年)4月の42歳でした。
31歳でホンダ途中入社の”私のささやかな希望”は、50歳までにホンダの海外の現地法人の社長になりたいなとの思いでした。管理職の経験もほとんど無く、まして経営者として経験も知識も指導力もない私が真っ先に直面したことは、まさに「社長としてのリーダーシップの無さ」そのものでありました。
1984年当時のタイの乗用車市場は全体でも3.1万台(ちなみに今年の1-5月で120,329台。5月単月で27808台)と小さく、マーケットリーダーのトヨタさんが(以下敬称略)シェアー37%、日産が22%、三菱が10%、マツダが9%と日本車が82%で、上位二社だけでのシェアーが約770%と寡占状態で、最後発のホンダのつけ入る隙は全くと言っていいほどありませんでした。
当然の事ながら自前の工場を持てる力は無く、生産はバンチャンゼネラルアッセンブリー社での委託生産でアコードとシビックの二車種をほとんど手造りに近い形で一日数台生産していました。販売の方は直営店がシーロム道路近くのスラッサック道路に面した車を二台展示すると一杯になる一店舗だけとほとんどその存在すらわからない程度でありました。
更に追い打ちを掛けたのは1984年暮れのタイバーツの切り下げでした。乗用車の全体市場は1985年は前年同期比約30%減の2.2万台、1986年2.2万台、1987年2.7万台と回復の兆しは無く、やっと1988年に3.9万台と回復基調となりました。
ちなみにホンダ車の販売は:1984年786台(シェアー3%)、1985年952台(4%)、1986年875台(4%)、1987年3405台(13%)
1988年6734台(17%)、1989年9590台(22%)でした。
以下随分書生ぽい話になりますが、私が学んだ経営学入門-原因自分論であります。それらを箇条書きにすると下記でありました。
- 環境は変えられない-与えられた環境を是としてどう実績を挙げるかが問われております。(環境を理由にすると成長は止まると言われております。)
- 事業の目的は「常にお客様の数を増やす事であります-すなわち顧客の増加-」を実現する事により企業は繁栄する。お客様と増やす為には「お客様の期待を常に上回るサービスをする事」実践する事であります。
又L.O.L.=lifetime ownership loyality のレベルを常に best にする必要があります。
- 経営とは環境適応業です。もっと正確には「将来環境予測対応変身業」であります。
- 業績格差=戦略格差=経営者格差=業績格差であります。経営に「まぐれ、レバ、タラはありません」。
- 「他人、環境責任論」から「 原因自分論」への考え方の変更で困難を乗り切る事が出来ます。相手(部下、上司、他部門、関係者、取引先 等等)に常に yes と言わせる能力を養う事が大切です。
- 徹底した「差別化戦略」 only one, number one policy.
- 三現主義(現場、現物、現実)と、三識(意識、知識、組織)
- シンプル、集中、スピード
- 一日24時間を有効に使う。
ホンダ車が中々売れない中で私はその原因は取り巻く環境が原因であると心底思っておりました。環境が悪ければ業績が悪くても仕方がないし、他社も概して同じようでもある。と考えておりました。ましてや最後発のホンダに勝ち目なんか無いのでは無いかとも思っておりました。
そんな悶々とする時“自分はいったいどんな努力をしたのだろうか”、人一倍勉強をし、経営学やマーケッテングを学び、リーダーとして努力をし、困難に打ち勝つ為一体何をしたのだろうか?と自問したのであります。
-日24時間を有効に使う-すなわち大切な事に時間を集約する-
そんな時ハッとする言葉を知りました。「チャンスは預金出来ない」「幸運の女神は準備をしていた人にのみ微笑む」「知識の無いものに知恵は得ず」「お金は有限、知恵は無限」「努力は人を裏切らない」等等であります。
そこで私は「出来る事」と「出来ない事」ノートに列記し始めました。
- 私には出来ない事:
-1 タイの景気を良くする。 -2 タイ人の価値観を変える -3 先輩メーカーの強さをくじく -4 先輩メーカの多数店舗を少なくする -5 我が店舗数を激増させる -6 社員を総取換えする -7 宣伝費を捻出する -8 扱いモデルを変える -9 等等 等等
- 私に出来る事:
-1 社員の笑顔を素敵にする -2 全員常に元気な挨拶をする -3 全員名札を付ける -4 店舗をいつもきれいにする -5 お客様から給料を頂いているとの考えを社員に徹底する -6 お客様へのフォーローアップを完璧にする -7 全てのサービスを best にする (good, betterではなく) -8 感動を与える接客をする -9 「差別化戦略をする」 等等
すなわち要諦は出来る事を徹底して実行する以外無い事がわかりました。又ソフトウエアー(接客や親切等人に対する配慮)がハードウエアー(車そのもの)を上回る事の大切さでありました。これを学んだ私はメナム河沿いのオリエンタルホテルに日参しました。超5ッ星ホテルの接客の実践を学び我が社に導入する事でありました。そして得た結論は「タイで最もお客様指向に立った会社」を作ることでありました。すなわち
-to be the most customer-oriented company in Thailand -の構築であります。全てのタイ中の商いの中で我社が最もお客様指向の会社造りであります。
それと同時に学んだ事は
- (製造業では)生産能力を上回る販売力、販売力を更に上回るサービス、ケアー力、の構築であります。例えば生産能力が100であれば、販売能力を例えば120する事であります。この思想は私の経験では、生産能力は休出残業等で挽回のチャンスはあるが、販売は挽回出来ないとの事であります。常に販売が引っ張る体制を維持し、更にサービス、ケアー力を構築する事が企業発展の鍵すなわち
KFS - key factor's for succese サービス業に置き換えますと 生産能力⇒供給能力では無いでしょうか。
景気が少し回復基調ではありますが、まだまだ企業の業績回復に時間が掛かっています。共通してみられる現象は過剰生産設備による償却負担であると思います。
問題を環境や他人のセイにして、まさに徹底した「他人、環境責任論者」でありました私が「原因自分論者」に考え方を変えたのも、タイでの苦境の中で得た結果であったと回顧しております。
これらの考え方をベースにした事が、その後のホンダでのチェロキーの販売、その後のVW-AUDI日本,日本GM、現在の経営者対象の講演業でも大いに役立っていると考えております。タイで働かせて頂いた事にいつも感謝しております。ありがとうございました。
了 (元ホンダカーズタイランド社社長)
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