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日タイビジネスフォーラム(Japan-Thailand Business Forum)


タイ王国プミポン・アドゥンヤデート国王陛下のご逝去を悼み
謹んで哀惜の意を表します


タイ国に駐在経験のある日本人ビジネスマン(現役&OB)が個人の立場で参加しています。これまでの日本・タイ国両国におけるビジネス経験を生かし、両国間友好関係の促進に寄与したいと考えています。


Chenkhan Loei Province


2017/5/14  タイ国経済概況更新
2016/7/26  JTBFの案内更新
2015/10/15  アユタヤ銀行からTNIへの奨学金寄付を「提言・報告」に追加しました。
2015/9/15  JTBFは小冊子2冊を刊行しました(当トップページにて案内)。

唐船風説書

第2回 2017.5.1 配信
JTBF 広報委員会

タイとの交易は、御朱印船の時代(16世紀末から17世紀始め)、当時の王都であり国際的な港湾都市として繁栄したアユタヤとの間で盛んであった。その後鎖国によって交易は途絶えたと思われがちであるが、実際は唐船を介して継続していた。唐船は中国沿岸はもとより遠く東南アジアと長崎を結び、その船乗りの口述記録は「華夷変態」(1644~1724 林春勝と林信篤の編纂)に納められている。その中から東南アジアを出航地とした記録を拾い上げ英訳したのが「The Junk Trade from Southeast Asia」で石井米雄氏(京大名誉教授、故人)の執筆による。JTBF 広報委員会は、この本に触発され、華夷変態から特にタイを出航地とした記録を抽出して現代文に訳して紹介していきたいと考えている。出航地はシャム(アユタヤ)、リゴール(ナコン・シータマラート)、パッターニー、ソンクラーである。シャムとリゴールは山田長政ゆかりの地でもある。

延寶八年(一六八〇)十五番 シャム船の唐人共の口述

シャムのこと、例年の通り静謐でございます、しかしながら近年稀に見る大洪水に見舞われたため、砂糖の類が乏しくなっております。それ故わずかながらの荷物を調え(注①)、五月廿四日に出船し、ご当地へ直接に参る筈でございましたが、思明州へ向けての荷物も積んでおりましたので、そこに寄港するつもりでした。ところが思明州の近くで、東寧へ向かう船に逢って聞いたところ、錦舎が東掌へ退却したということで、韃靼方にこの船を乗り入れては、不慮のことも起こりかねないと判断し、直接ご当地へ渡ってきた次第です。注② 

シャムでの風聞ですが、去年夏の時分、広東の内天川(注③)という所より南蛮人の商船が二艘、シャムの川口まで商売のため来ておったということです。その商船の南蛮人二人が、先だって他の船に便乗して帰国したい思いにかられ、小船に乗移ってシャム王都近くに参ったところ、川口にいた得体のしれない唐人共との間でどういういきさつか口論となり、 南蛮人の一人は即時に打殺され、川に打ち捨てられたもう一人は命からがら向の岸におよぎ上り、行方も知れなくなったということです。南蛮人の船が係留されていた川口からシャムの王都までは六七里もあって離れており、在所の住民たちは日々の仕事に専念してさして心に懸ける者も無く、委しい事は尋ねるすべもございませんでした。

シャムへ、おらんだ人、ならびにえげれす、南蛮人どもが来て商売しておりましたが、私共が居た場所とは隔たっておりましたので、これまで出合ったこともなく、勿論言葉を交わしたことも無く、別に用事もございませんでしたので、私共の商売の相手は在所のシャム人や在住の唐人に限られておりました。そのため委細の事は聞いておりません。

 右の通り、唐人共が申すにつき、書付け差上げ申します、以上
 申七月十五日 唐通事共

注① 主な交易品であった砂糖の積荷が少なかったことを意味すると思われる。
注② この段に、中国清朝初期における明朝遺臣鄭成功とその一族による抵抗の歴史を垣間見ることができる。東寧は鄭成功が本拠とした台湾の古称、思明州は台湾の本国側対岸に位置する今の厦門島。錦舎は鄭成功の長男。鄭成功と一族の資金源は対日貿易にあったとされる。韃靼方とは、この時既に清朝勢力下に陥ちていた思明州を指すと思われる。一族による抵抗は1683年まで続いた。ちなみにこのテキストの原本「華夷変態」は清が明を滅ぼした1644に書き始められていて、書名は「華(明朝)から夷(清朝)に変わり果てた」を意味し当時の清朝観を伺わせる。
注③ アマカワと読みマカオのこと。室町末期から江戸初期にかけて日本で呼んだ名。

延寶八年(一六八〇)十六番 シャム船の唐人共の口述

(内容は前述十五番船と同じ、口論沙汰にあった南蛮人二人の話に終始しているので省略。)

 右の通り、唐人共が申すにつき、書付け差上げ申します、以上
 申七月十五日 唐通事共

延寶九年(一六八一)二番シャム船の唐人共の口述

シャムの事、例年に相変り無く、国中が静謐でございます。その外シャム隣国においても何の沙汰も聞いておりません。 もっとも唐国、呉三桂ならびに広東の様子(注④)、東寧の風説も聞いておりません。シャムで荷を整え日本へ渡海してきた船は、当年は五艘でございますが、 内一艘は広東へ寄港して、生糸絹織物を少々積み足してくる筈でございます。あわせて広東の様子も分かることと思われます。洋中において不審な船に出会うこともありませんでした。この外申上げることはございません。

  右の通り、唐人共が申すにつき、書付け差上げ申します、以上
  酉六月廿三日                 唐通事

注④ 清朝康熙1673年に起こった漢人武将による反乱、すなわち雲南の呉三桂、広東の尚之信、福建の耿精忠による反乱で、三藩の乱として知られる。

天和二年(一六八二)五番広東船(注⑤)の唐人共の口述

私の船はシャムからの交易船で、毎年シャムよりご当地へ渡ってきております。去年もシャムよりご当地へ直接渡海しようと、五月十九日にシャムを出船し渡航中、六月廿九日に東寧の内けいらんという所の沖迄参りました。けいらんとシャムの間、大方二千里程海上を隔てておりますが、この海上において大風に遭いその後逆風ばかりで、ご当地への渡海は出来ませんでした。是非無く七月廿九日に広東の内十二門という所へ乗入れ、今年迄そこに滞在、このたび五月十一日に十二門より類船四艘同日に出船しました。この四艘の内、一艘徐歓官という者の船も、私と同じくシャム出航の船で、同じように大風に遭い、これもご当地への渡海かなわず、右の十二門に乗入れたものです。今一艘謝春官という者の船も、 十二門に滞留し、私共の船と同日に出船致しました。今一艘曾一官という者の船は、もともと広東出航の船で、去年は生糸絹織物の荷を積んでご当地へ渡海しようとしていましたが、不慮に水上竜巻に遭い、船が破損したため、積んでいた荷物のうち、私共類船三艘に少し移し替えたり、又は陸へ上げたり、広東へ運び戻した荷物もございます。私の船には百貫手余の荷物を分け積みました。それについて、曾一官は船の修理諸事に大分費用がかかり、私共の船より、少々の銀子や米などを借用致させしました。その船が最早先立って入津したとのこと、只今伺いました。

シャム国のこと、去年私の船が出船したときは、いよいよ相変ったことも無く国中が静謐でございました。その後私共は広東の地に逗留しておりましたから、シャム国の様子は存じません。また去年広東へ漂着して以来、広東の内へ入ることもできず、今年迄船中に住居しておりましたから、勿論大清ならびに東寧諸方の様子もわかりません。広東のことは、先に到着した船からも甲上げた通り、平南王(注⑥)没落の後、手下の諸官ならびに手代の者どもまで、或は斬科にあった者もあり、又は身を隠して逃亡した者もありましたが、これは平南王の度重なる叛逆だったので、逆党の輩として一人も残さず絶命に及んだと聞きました。この外は変ったことはございません。

 右の通り、唐人共申し候に付、書付け差上げ申し候、以上
 戌五月廿六日                 

注⑤ 広東船となっているが、内容から実質シャム船である。
注⑥ 注④で触れた広東の尚之信のこと。

文責 奥村紀夫(JTBF 会員) 

先月までの「トップ寄稿記事」⇒バックナンバー



JTBFでは、2015年8月に設立以来初めて小冊子二冊を刊行しました。
その後の刊行も含め現在は四冊になります。


  1. 「Bangkok in 1960's」―副題「バンコクの今昔」


    1960年代から半世紀に亘るタイの激しい変化を垣間見る貴重な写真集です。50年前の長閑なバンコクやその近郊の風景は今や昔話の世界となってしまい、現代タイの人々にとってもおそらく懐かしさがこみ上げてくる風景と思います。これ等の貴重な写真は、JTBF特別顧問の吉川和夫氏よりご提供頂きました。Part1では、50年前、初めて氏がタイに赴任した時に撮影した写真と同じ場所・アングルで、最近再撮影して比較したものであり、Part2では当時の貴重な庶民の生活が活写されています。

  2. 「タイローカルの旅」


    旅は「出会い」と言われます。「自然との出会い」「人との出会い」「歴史との出会い」そして「自分との出会い」。その出会いは「幹線旅行」より「ローカルの旅」にこそ、この「出会い」に遭遇するように思われます。
    この10年間余、JTBF観光委員会のメンバーが中心となってバンコクやチェンマイ等の大都市への旅ではなく「タイ・ローカルの旅」こそ、日本人の「心の琴線」に触れる旅が出来ると確信し、タイ国観光庁(TAT)東京事務所と地道に共同で開発した「タイ・ローカルの旅」の会員紀行文、並びに  「お勧めのタイローカルの旅」を纏めた冊子です。

  3. 「アユタヤ歴史遺産の旅」


    現在の日本人向けアユタヤ観光の定番ルートは、「世界遺産アユタヤ遺跡」を標榜しているものの、アユタヤ歴史研究センターも、日本人町も、ましてやポンペット遺跡も含まれていません。魅力あふれるアユタヤの歴史全体を日本人にもっと知ってもらうために、この三ケ所をルートに含む観光ツアーの開発が望まれます。
    そんなことをテーマに、2016年2月28日、JTBF観光委員会、泰日協会有志10名で小旅行を実施しました。その記録を纏めたのがこの冊子です。

  4. 「タイローカルの魅力を訪ねて」


    今回、タイ国誕生と言われるスコータイ王朝そしてほぼ同じ時期に栄え、その後のタイ歴史の形成に大きく関係してきたハリプンチヤイ王朝、ランナータイ王朝の古里を旅しました。
    旅とは「出会い」である。「人」、「自然」、「歴史」、そして「自分」との出会いである。過去の「タイローカルの旅」とはまた違った、私たちが今まで追求してきた「旅は出会い」の様々な「心に残る風景」が今回の旅には多くありました。


この4冊の小冊子が皆様のタイ国に対するご理解に少しでもお役に立てば、私共JTBFの無上の喜びとするところであります。

尚、本冊子ご購入のご希望がございましたら、以下のURLにアクセスして頂き、お申込み下さい。

「Bangkok in 1960's」と「タイローカルの旅」は1冊1,000円、「タイローカルの魅力を訪ねて」は1冊900円、「世界遺産アユタヤ遺跡」は1冊800円にてご購入頂けます(各冊子合わせて6冊以上ご購入の時は割引価格となります)。代金を受領後、「ゆうメール」(郵送料無料)ないしは「ゆうパック」(ゆうパックは別料金400円)にて、10日以内に配送致します。

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