タイ国に駐在経験のある日本人ビジネスマン(現役&OB)が個人の立場で参加しています。これまでの日本・タイ国両国におけるビジネス経験を生かし、両国間友好関係の促進に寄与したいと考えています。
リレーエッセイ 第28回配信
2025年01月01日配信
JTBF 広報委員会
令和7年 謹賀新年
2024年は元旦から能登半島地震が発生するなど、多くの災厄に見舞われた一年でした。能登輪島では、地震直前に能登沖の浮体型洋上風力の推進に向けて地元研究会が発足したばかりだったので、同プロジェクトの発足メンバーであった私自身、大変大きなショックを受けました。輪島では9月には大雨による甚大な洪水被害もあり、復興に向けての動きが出鼻をくじかれた一年でした。
タイにおいても、10月にはチェンマイを大洪水が襲い、大きな被害が発生しました。日本とタイを同時に襲ったこうした自然災害は、2011年に両国を襲った悲劇を思い起こさせるものでした。当時は、内閣府経済社会総合研究所において、両国の復興セミナーを開催し、当時タイ国家経済社会開発庁(NESDB)長官であったアーコム氏(元財務大臣)、同副長官ポラメティー氏(元社会保障省次官)に来日頂いて熱心に討議したことが思い出されます。
タイと日本は、大変不思議なことに多くの歴史的悲喜劇を共有してきています。アユタヤ時代にも山田長政の当地での活躍が知られていますし、明治維新以降の近代化、工業化の時代には、タイにおいてもラーマ4世、5世時代の王室、官僚中心の近代化工業化が兄弟関係のように進展し、両国は欧米列強の植民地支配から逃れることに成功しました。その後の太平洋戦争時には、運命を異にしましたが、戦後の復興、経済成長の時代においては、協力関係を再構築し、日本からの直接投資や観光客の来訪が大きなブームを形成しました。
現在の日タイ関係を見ますと、90年代に奔流した日本からタイへの人、資金、技術の流れが一息つく一方、逆にタイから人、資金の流れが強まり、両国の関係性も水平的なものに変化してきていることに気付きます。
JTBFは、90年代中心に日本からタイへの直接投資が拡大の中で、その中心的な役割を果たした在バンコク日系企業のトップの方たちが帰国後もタイへの想いを断ちがたく、2002年に個人の立場で日タイ友好のために立ち上げた国際交流団体です。これまでは、日本からタイへの投資の拡大、タイへの日本人観光客の増加を基本的な目標として、在日タイ大使館と協力しながら活動を行ってきました。しかし、上記のような日タイ関係の変化とともに活動の内容も変化してきました。この数年は、タイ企業の日本での活動支援、組織化などに注力してきました。2月のタイミッションにおいても、タイでの日本文化ブームを更に深化する視点から、Miss Sake Thailandという日本の酒文化をミスコンを通じて海外に浸透させる活動の紹介をさせて頂きました。現地日本大使館のサポートを得て、タイでのコンテストが新年5月に開催されるとの朗報も側聞しています。
こうした日タイ関係の構造変化は、JTBFの会員構成や活動にも大きな変化を与えてきています。7月総会において、北山前会長から本会を引継ぎ、現在、規約の改定や活動方針の見直しを行っておりますが、これまでのJTBFの歴史を継承しながら、両国の今後の関係性の変化に的確に対応した組織活動を行っていきたいと考えておりますので、ご理解、ご協力のほど宜しくお願い申し上げます。また、今年のリレーエッセイは、新たな会員の皆様に順次寄稿をお願いする予定ですので、ご協力宜しくお願い致します。
新年が日タイ関係の更なる発展の年となること、また、会員の皆様のご健勝を祈念して新年のご挨拶とさせて頂きます。
令和7年 元旦
会長 舘逸志
今年はタイでゴルフを夢見て