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日タイ・ビジネスフォーラム(Japan-Thailand Business Forum)


タイ国に駐在経験のある日本人ビジネスマン(現役&OB)が個人の立場で参加しています。これまでの日本・タイ国両国におけるビジネス経験を生かし、両国間友好関係の促進に寄与したいと考えています。


Sceneries of Thai Borders
sketched by H. Murata

The railroad station in Padag Besar, border town in Southern Thailand crossing to Malasia.



リレーエッセイ

第4回 2022.4.1 配信
JTBF 広報委員会


バンコクとクルンテープ、首都名の表記変更騒動に思う


 タイの首都・バンコクの名称がクルンテープ・マハナコーンに変更される?こんなびっくりニュースが世界を駆け巡ったのは2月中下旬のことだった。事の発端はタイ政府が2月15日の閣議で、タイの首都の英語表記を「Krung Thep Maha Nakhon; Bangkok」から「Krung Thep Maha Nakhon(Bangkok)」に変えるという案を原則承認したことだ。提案したのは、王立学会事務局(ORST)の国際地名辞典委員会。2001年から見直していなかったいろいろな国や地域、都市の名称の表記の見直し案を提出した中に、この変更案も入っていた。

 これまではKrung Thep Maha NakhonとBangkokが「;」(セミコロン)でつながれていたのに、新表記では「;」が消え、Bangkokは「( )」(パーレン)の中に入ってしまう。それが変更点である。「;」には「そして」「または」といった並列に近い意味がある。「:」(コロン)でつなぐよりも前後は密接な意味を持つとされる。これに対し「( )」は、前の文章や語句に解説を加えるときに用いられる。主役は「( )」の前の文章や語句である。

 この微妙といえば微妙な変更内容に「バンコクの呼称が使えなくなるのではないか?」という危機感を感じ取り、色めきだったのはタイのネチズンたちだった。タイのツイッターでこの問題がトレンドトピックのトップになり、「なぜ変えるの?バンコクはすでに有名な名前。ナンセンス!」といった反対意見が相次いでツイートされた。

 タイ政府はあわてたのだろう。ラチャダー政府副報道官は2月16日、「ちょっとした調整。(変更後の表記は)公的な場で使うだけで、一般にはこれからもクルンテープ・マハナコーンもバンコクも使える」と説明し、火消しに回った。ORSTもフェイスブックで両方の名前を使用できるとの見解を示した。2月17日付のバンコクポスト紙は一連の騒動を、「都市名の文字列がORST を刺す」との見出しで1面トップで報じたのだった。

 国や都市の名称変更には、いろいろな思惑が込められている。2月からロシアの侵攻を受けているウクライナは今、首都名をロシア語由来の「キエフ」(Kiev)からウクライナ語読みの「キーウ」(Kyiv)に改めるよう各国政府やメディア、世界の空港に求めている。ウクライナ支援の意図を込めて、それを受け入れる動きが世界でじわじわと広がっている。

 インドでは1990年代から2010年代にかけて、「ボンベイ→ムンバイ」「マドラス→チェンナイ」「カルカッタ→コルカタ」「バンガロール→ベンガルール」など五月雨式の改名があった。英国の植民地時代に多くの都市名が本来とは違う発音で英語表記され定着してきたが、それを現地の元々の発音とそれに近い表記に直すという作業の結果だった。言わば植民地時代の残滓の払しょくである。ミャンマーでも同じような作業の結果、1989 年に「ラングーン→ヤンゴン」などの変更があった。

 フィリピンのドゥテルテ大統領が2019年2月の演説で「国名をいつか『マハルリカ共和国』に」と意欲を見せたのも、植民地時代の名残を消し去りたいとの思惑からだ。フィリピンという国名は16世紀に、当時の宗主国だったスペインの皇太子フェリペ2世(後の国王)にちなんで付けられた。長期独裁政権を敷いたマルコス元大統領が1978年に「マハルリカ」への国名変更を試みたことがあるが、うまくいかなかった。ドゥテルテ大統領は演説で、「マルコス大統領が変更しようとしたのは正しかった。いつか変えたらいい」と述べたのだった。「マハルリカ」にはサンスクリット語で「気高く誕生した」という意味があるというが、ほかにもいろいろな説があるそうだ。

 政治体制の変更に伴い都市名が変わるというケースもある。ロシアのサンクトペテルブルクはその典型例だろう。18世紀初めにこの都市の建設に着手したロマノフ朝のピョートル1世は、自身の守護聖人である聖ペトロにちなんで都市に「サンクトペテルブルク」(聖ペトロの街)というドイツ風の名前を付けた。ピョートルは実はペトロのロシア語形で、事実上は自分の名を冠した名称だった。

 1914年に第一次世界大戦が始まりドイツと交戦するようになると、このドイツ風の名前は嫌われ、ロシア語風の「ペトログラード」に変わる。1917年のロシア革命を経てソ連が成立した後、1924年にレーニンが亡くなると、その功績をたたえて今度は「レニングラード」になり、1991年にソ連が崩壊すると、住民投票で帝政ロシア時代の「サンクトペテルブルク」に戻った。

 話をタイに戻すと、「Krung Thep Maha Nakhon; Bangkok」から「Krung Thep Maha Nakhon(Bangkok)」への変更は結局、これまでに比べバンコクよりクルンテープ・マハナコーンという呼称の方に重きを置き、軸足をクルンテープ・マハナコーンの方に少しずらすといった程度の意味合いなのかも知れない。少なくともタイ政府やORSTはそう解釈されるようにあわてて誘導した。確かに、過去に国名を「シャム」((Siam)から「タイ」(Thailand)に変えたときほどの大きな意図は感じられない。

 タイに駐在したことのある人なら、「バンコク」の正式名称が「クルンテープ・マハナコーン・アモーンラッタナコーシン…」という何とも長いが実に美しい名称であることは誰でも知っている。タイの人たちは普段、タイの首都を「クルンテープ」とか「クルンテープ・マハナコーン」と言い表し、「バンコク」と呼ぶのは主に外国人ということも。「バンコク」という名称は、アユタヤ王朝時代にトンブリー(チャオプラヤ川を挟んでバンコク中心部の対岸側)にある要塞に駐屯していたポルトガル傭兵団が現地の人に地名を尋ねた際、「バーンマコーク」という答えが返ってきたことに由来するのだそうだ。「バーンマコーク」は「ウルシ科のアムラタマゴノキが多く生えている水村」といった意味。それが「バーンコーク」と訛って外国人の間では今の名称が定着したのだという。この話は今回の表記変更騒動をきっかけに初めて知った。

 都市名や国名の変更には、経済成長が続いて国力が高まってきたタイミングで時の権力が民族の自尊心に訴え愛国心をかきたてるべく発議し、国内からの支持を集めるという面がある。先に紹介したインドやフィリピンの例などにはそうした側面があると言っていいだろう。「バンコク」から「クルンテープ・マハナコーン」への表記の軸足ずらしにも、そうしたニュアンスがちょっぴり感じられなくもない。ただグローバル化が進んだ今、「バンコク」という名称の国際ブランド価値はあまりにも大きく、タイ国民の支持が得られなかったのではなかったか。


文責 竹岡倫示 (JTBF 広報委員) 

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    そんなことをテーマに、2016年2月28日、JTBF観光委員会、泰日協会有志10名で小旅行を実施しました。その記録を纏めたのがこの冊子です。

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    今回、タイ国誕生と言われるスコータイ王朝そしてほぼ同じ時期に栄え、その後のタイ歴史の形成に大きく関係してきたハリプンチヤイ王朝、ランナータイ王朝の古里を旅しました。
    旅とは「出会い」である。「人」、「自然」、「歴史」、そして「自分」との出会いである。過去の「タイローカルの旅」とはまた違った、私たちが今まで追求してきた「旅は出会い」の様々な「心に残る風景」が今回の旅には多くありました。


  4. 「国境の地・メーホンソンへの旅」


    刊行:2019年8月  ⇒ e-book
    メーホンソン県はバンコクの北西924km、チェンマイの西120km、人口30万に満たない過疎地ですが、豊かな自然と多くの少数民族による多民族文化を残した魅力的な観光地です。一方ここは、先の太平洋戦争時の日本兵の足跡が残された、日本人にとって決して忘れてはならない土地でもあります。
    当時、このメーホンソン、クンユアムには日本軍の駐屯地がありました。また戦争末期にはインパール作戦の失敗によるビルマからの敗退撤退の道筋にあたり、ここで多くの日本軍兵士が命を落としました。クンユアムには駐屯日本兵と村民の友好的な交流を記念する博物館がタイ人によって建設されています。今なお多くの日本兵の遺骨が収集されずに眠っているところでもあり、我々にとってはこれら日本兵への慰霊の旅でもありました。


  5. 「日タイのビジネス交流を振り返る」


    刊行:2019年9月
    2019年2月20日、「日本企業とタイの歩み写真展」としてタイ大使館で展示講演会が開催されました。この冊子はその時の展示物を記念にとりまとめたもので、タイ大使館とJTBFが協力して作成したものです。
    1960年代からタイは工業国へと変化をとげましたが、日本企業も重要なプレーヤーとして役割を果たしてきました。写真展では長年タイで活動してきた9社からご提供いただいた写真と、JTBF会員吉川和夫氏が1960年代タイ駐在時に撮影した写真等が展示されました。なお吉川和夫氏の写真は上記「バンコクの今昔」に含まれるものです。


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